持つてこい 熱い老酒 焼き餃子
山門の 厭ふ葷酒の 美味さかな
そんならと 拗ねるうなぢの ほつれ髪
持つてこい 熱い老酒 焼き餃子
山門の 厭ふ葷酒の 美味さかな
そんならと 拗ねるうなぢの ほつれ髪
中秋を 忘れ蕎麦やに 月見かな
どんぶりに 月の昇れる 日暮れ前
秋の夜の 月に叢雲 たまご葱
独り寝の 枕頭に鳴る ラヂオかな
夜も更けて 天気予報の 子守唄
流行り唄 昭和が近く なりにけり
朝めしを食べ損ねた時。
移動中の腹の虫抑へ。
或はおやつの代役に。
コンヴィニエンス・ストアのおにぎりをいつ、食べるのだらうと思つたら、これくらゐしか、浮んでこなかつた。 我ながら貧困である。
ところで貧困なのは、わたしの想像力なのだらうか、それともコンビニおにぎりの方なのか知ら。
数日前から永井荷風の『断腸亭日乗』を讀んでゐる。岩波文庫に収められてゐる磯田光一による抄録版。何度めになるか、思ひ出せないが、讀む度に面白い。
何がどう面白いのかは、機会を改めて書くとして、今回は別の話。この偏窟な老人の日記…と称する文ノ藝をわたしは古本屋で購つた。偶々のことだから、岩波書店のひとは怒らないでもらひたい。
その古本に挟まつてゐたのが画像。
池袋東口の[文芸地下劇場]が今もあるのかどうかは知らない。市内局番が三桁だから、古ければ昭和六十三年、どれだけ新しくても平成三年以前の宣伝である。画像では見えないが、外にも『血闘高田馬場』に『座頭市と用心棒』なんかがラインアップにある。豪勢だねえ。裏面にも宣伝があつて、こつちは“スーパー・アクション・シリーズ”と銘打つて、『片腕サイボーグ』や『アメリカン忍者』の上映を予定してゐたらしい。『ブレードランナー』やら『エイリアン』の予定もあつたけれど、寧ろ前者の方が気をそそられる。
尤も用心棒や忍者が荷風山人の値うちを高める筈はない。だから今回は別の話なので、この手の紙切れは、意図して手に入るものではない。現代風俗の研究は大変なのだなあと思ふが、こちらには関係のないことなので、七百五十円とは廉でいいやと羨むだけで済む。気らくなものです。かういふ前の持ち主の痕跡は、古本が新刊書に勝る点でせうね。別の本では、序盤五分ノ一辺りまで、線が引かれたり、書き込まれてゐたのに、途中からすつかりなくなつて、作業の気が失せたのか、讀むのを投げ出したのか、意地の惡い興味が湧いてくる。颯風式の讀書だと、頁に折目をつけず、書き込みもしないし、たれかにさういふ本を押しつけられるのも好まないのだが、古本に関しては話がちがふらしい。上映会の宣伝に限らず、挟み込まれた“今月の新刊”案内の類を眺めるのも面白いもので、近年さつぱり目にしなくなつた作家の“待望の最新刊”が麗々しく印刷されてゐたりすると、『平家物語』の冒頭を呟きたくもなつてくる。
さう云へば断腸亭には時折り、古書肆で何やらを購つたと記述がある。荷風はその手の痕跡を歓んだだらうか。