閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

155 貧困なのは

 朝めしを食べ損ねた時。

 移動中の腹の虫抑へ。

 或はおやつの代役に。

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 コンヴィニエンス・ストアのおにぎりをいつ、食べるのだらうと思つたら、これくらゐしか、浮んでこなかつた。 我ながら貧困である。

 ところで貧困なのは、わたしの想像力なのだらうか、それともコンビニおにぎりの方なのか知ら。

154 痕跡

 数日前から永井荷風の『断腸亭日乗』を讀んでゐる。岩波文庫に収められてゐる磯田光一による抄録版。何度めになるか、思ひ出せないが、讀む度に面白い。

 何がどう面白いのかは、機会を改めて書くとして、今回は別の話。この偏窟な老人の日記…と称する文ノ藝をわたしは古本屋で購つた。偶々のことだから、岩波書店のひとは怒らないでもらひたい。

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 その古本に挟まつてゐたのが画像。

 池袋東口の[文芸地下劇場]が今もあるのかどうかは知らない。市内局番が三桁だから、古ければ昭和六十三年、どれだけ新しくても平成三年以前の宣伝である。画像では見えないが、外にも『血闘高田馬場』に『座頭市と用心棒』なんかがラインアップにある。豪勢だねえ。裏面にも宣伝があつて、こつちは“スーパー・アクション・シリーズ”と銘打つて、『片腕サイボーグ』や『アメリカン忍者』の上映を予定してゐたらしい。『ブレードランナー』やら『エイリアン』の予定もあつたけれど、寧ろ前者の方が気をそそられる。

 尤も用心棒や忍者が荷風山人の値うちを高める筈はない。だから今回は別の話なので、この手の紙切れは、意図して手に入るものではない。現代風俗の研究は大変なのだなあと思ふが、こちらには関係のないことなので、七百五十円とは廉でいいやと羨むだけで済む。気らくなものです。かういふ前の持ち主の痕跡は、古本が新刊書に勝る点でせうね。別の本では、序盤五分ノ一辺りまで、線が引かれたり、書き込まれてゐたのに、途中からすつかりなくなつて、作業の気が失せたのか、讀むのを投げ出したのか、意地の惡い興味が湧いてくる。颯風式の讀書だと、頁に折目をつけず、書き込みもしないし、たれかにさういふ本を押しつけられるのも好まないのだが、古本に関しては話がちがふらしい。上映会の宣伝に限らず、挟み込まれた“今月の新刊”案内の類を眺めるのも面白いもので、近年さつぱり目にしなくなつた作家の“待望の最新刊”が麗々しく印刷されてゐたりすると、『平家物語』の冒頭を呟きたくもなつてくる。

 さう云へば断腸亭には時折り、古書肆で何やらを購つたと記述がある。荷風はその手の痕跡を歓んだだらうか。