閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

384 眞面目に考へたこと

 不意に、饂飩について眞面目に考へた事が無いなあと気がついた。家でうがくし、カップ饂飩も食べなくはないし、偶には外でも啜るのに、漠然とああ饂飩だねえと思ふきりである。不眞面目な態度ではなからうか。

 四半世紀くらゐ前のわたしは、饂飩と云へば大坂風以外に目を瞑つてゐた。目を瞑るのにはつきりした理由があれば、まだ云ひわけの余地も残されてゐるだらうが

 「饂飩いふたら、大坂に決ツとる」

と決めつけてゐただけだから、我ながらまことに狭量であつた。反省してゐます。

 今はさうではない。東京風でも讃岐風でも稲庭や建長寺式もうまいと思ふ。大坂…近畿人からは糾弾される恐れもあるが、大坂饂飩がまづいと云ふわけでなし、第一うまいと思へる饂飩の種類は、色々ある方が嬉しいぢやあないか。

 

 小麦を挽いて水で捏ねて茹でたり蒸したり焼いたりするのは、特に珍しい調理法ではない。麺麭は小麦一族だし、スパゲッティも同根と云へる。詰り時間的にも空間的にも、小麦は一大帝國の偉容を誇つてゐて、日本での扱ひの低さ、小ささは寧ろ例外ではないかと思へる。

 不思議やねエ。

 と首を傾げる必要はなく、この島國には米があつた。手元で正確な数字を挙げられないが、同じ面積で収穫出來る米と小麦を較べると、米の方が圧倒的に喰へる数が多いさうで

 「今さら小麦でもなからうに」

農民がさう考へたとしても、異議を立てなくていいでせう。小麦の名誉の為に云ふと、五穀のひとつではあつたから、まつたく無視されたわけではありませんよ。

 

 小麦を喰ふには粉砕が必要である。

 粉砕するには道具が必要でもある。

 遠慮なく云へば、我われのご先祖の頃、さういふ道具を造り、また使ふのに当時の日本は余りに後進國であつた。

 空海和尚が伝へたといふ神話から、一応は信頼してよささうな記録まで、五百年余りの開きがあるのが間接的な證拠。記録されたといふことは、それ以前から饂飩…小麦の粉を紐のやうに練つて、蒸したか(熱い)汁で食べる習慣は(少くとも一部では)あつたと考へていい。

 といふことは、小麦を料ると旨いと實感した集団があつた筈で、かれらが執念深く、工夫を繰返したと想像しても許されるのではなからうか。この際だから許してもらひたい。

 尤もどこがその執念深さをみせたかまでは判らない。そこで讃州を想像するのは安直呼ばはりされるかも知れないが、あすこは肥沃な土地だつたから(現代はどうなのだらう)、米の序でに小麦を育てたんですと云はれても、難癖はつけにくいか。

 

 事の眞偽は兎も角(どうしたつて判らう筈はないもの)、姿や味つけを変化させつつ、饂飩が現代にまで生残つたのは事實である。

 小麦を挽き捏ね、紐状にする。

 出汁を取り、つゆを作る。

 紐にした小麦を茹で、つゆとあはせる。

 かう書けば簡単だけれど、その為の道具が必要なのは触れたとほりだし、たつぷりの水、それから火を使ふ設備も要る。燃料代だつて高くついたに決つてゐる。と考へるに、饂飩はひどく贅沢な食べものだつたと想像出來る。古風に云へば“ハレ”の日のご馳走。いいですね。収穫の後の神事で熱い饂飩が振舞はれたのか知ら。

 その饂飩が“ケ”…即ちありふれた食べものになつたのは遅くとも江戸期に入つてからで、座頭市の映画では、勝新太郎が賭場の隅で饂飩を啜る場面があつた。あのひとの喰ひつぷりは、まつたく旨さうだつたな。ああいふのも才能なのだらう。

 

 種ものをあしらひだしたのは、いつ頃からだらうか。座頭ノ市が盛大に啜つてゐたのは、その食べつぷりから、素饂飩かと思へる。流れ者のやくざだから、懐が寒かつたのさと考へたつていいけれど、饂飩屋の懐だつて、あれこれの種ものを用意するほど豊かだつたとは思ひにくい。

 なのでいつ頃といふ詮索はさて措くとして、ほぼ確實と思ふのは、種ものに熱心だつたのは大都市の饂飩屋だつたにちがひない。工夫と眞似と取捨撰択が繰返され、幾つかのうまい種に纏まるには、競争といふ下地が不可欠になる。そんな下地を持てるのは人の流入があつて、新奇なものに敏感で、お金が動く大都市以外にない。

 江戸と大坂だらうな、矢張り。

 京にはさういふ柔軟さが感じられない。多分にわたしの偏見が含まれてあるから、信用してはいけませんよ。念の為。

 各地からもたらされた目新しい食べものや調理法を貪慾に取込み、取込み序でに饂飩に入れ

 「これあ、旨い」

と云はれたのが、うまい種として纏り、現在に繋がつたと考へていい。

 

 基本中の基本と呼びたいきつね。

 その変種であるきざみ。

 蝦夷地の工夫を取入れたおぼろ。

 蕎麦の応用だらう海老天麩羅。

 月見があり肉があり天かすがあり、大根おろしが生醤油が味噌煮込みが、笊が釜揚げが建長寺汁があり、焼き饂飩やカレー饂飩があつて、まつたく豊穣と呼ぶ外にない。厭みを云ふと、この豊穣に較べれば、蕎麦の種ものなんて、天麩羅は例外にしても荒野に等しい。

 「すりやあ君ね」

と江戸好みのひとが云ふかも知れない。江戸人は蕎麦それ自体を洗練させてきたんだからさ

 「同列に語られちやあ、困るよ」

その指摘は一応正しいし、蕎麦をただの備荒食からうまい食べものまで仕立てた江戸人に、敬意を表するのに吝かではない。吝かではないとして、饂飩がそれ自体の洗練を経てゐないわけでなく、寧ろその完成があつたから

 「もつと旨い食べ方が、あるンとちがふか」

といふ方向への慾求が生れたのだと考へるのが、實態に近いのではありますまいか。蕎麦派の顔を立てつつ云へば、蕎麦は簡潔へ、我らが饂飩は豪奢にそれが發展した…盛り蕎麦に対して鍋焼き饂飩を思ひ浮べれば、説得力もあるでせう。實際、玄冬の鍋焼き饂飩は花やかな上に旨いもので、時代考證を無視したら、桃山振りの洗練と云へなくもない。

 

 かういふ我が儘勝手が許されるのは、確かに大都市の特権であらう。その特権の延長に贅沢があり、贅沢の先に洗練があると気づいた時、洗練は本來、時間が掛かるものなのだと納得も出來る。

383 お燗酒のこと

 尊敬する内田百閒の『御馳走帖』(中公文庫に収められてゐる)に“我が酒歴”といふ一文がある。題名通りの随筆で、陸軍の士官學校で教官を勤めてゐた時期、地蔵横丁の[三勝]といふ高等縄暖簾で、お酒を覚えた頃の一節が記されてある。

 

 お酒はいつも白鶴の一点張りで(中略)お燗番のおやぢさんが見たお銚子の肌で、気に入る迄は決してよこさなかつた。

 

 通ふ内に懇意になつた百閒先生は、[三勝]が混雑したある晩、我慢出來ずに

 

 そこにあつた燗徳利を自分で取つて、火に掛かつてゐる鐵瓶につけたら、おやぢさんが、駄目です。そんな事をすると味が惡くなりますと云つた。

 

 それでその一本は呑む事にしたさうだが、随分と驚かされたらしい。

 

 私のつけたお燗はぎすぎすして、突つ張らかつて、いつもの様なふつくらした円味は丸でなくなつてゐた。

 

 と續いてある。ヴェテランになつてからの百鬼園氏は年間に一石五斗のお酒…一升瓶で百五十本の計算になる…を平らげるに到るのだが、[三勝]の頃は未だ志を立てた計りだつたのだらう。

 考へてみたら、お燗酒の味はひがお燗の温度で変るのは当然で、冷酒や白葡萄酒の冷し方が下手なのは、ただ冷たいだけなのと同じである。そのくせ我われはお燗の具合に頓着しない。温燗とか人肌程度が註文の精々ではなからうか。

 併しどのお酒も同じ温度で温めればいいかといふと、決してそんな事はない。一ぺん、お酒の催しに行つた時、同じ銘柄のお酒を、ぬるいのと温かいのと熱いので呑む機会があつて、香りも舌触りも喉越しも…詰り味はひは丸で異なつた。それは予想の範囲だつたが、別の銘柄だと、異なり方がちがつてゐて、その異なり方がまつたくと云つていいくらゐだつたのには驚かされた。

 (いやはや、繊細なものだなあ)

と感心したのは、冷酒しか知らなかつたゆゑか。とは云へ、お燗酒もまた美味いものと体感…實感出來たのは、確かに有難い経験であつた。

 

 それで以降はお燗酒計りになつたかと云へばそんな事にはならず、呑んでも冷やか温燗に留まつてゐる。なんだ結局恰好だけかと思はれるのは心外で、[三勝]のやうに、“お燗番のおやぢさん”が居るお店を知らないからである。殆どの場合

 「熱ければ、いいでせう」

と云はん計りで、もしかして電子レンジに何秒かはふり込んだのを、お待ち遠さまと持つてくるのだらうか。さういふお燗酒は大抵まづいし、少し温んだらもつとまづくなる。わたしは呑みたくない。お燗がうまいんだぜと気取りたい若もの相手(果して何人ゐるものやら)だつたら、熱さで誤魔化せるだらうが、さういふ若ものがそれからもお酒を味はひ續けるかどうか。わたしの知つた事ではない。

 詰りお店からすれば、お燗酒…訂正、うまいお燗酒を呑ませるのは實に面倒といふ事になる。さつきの[三勝]はお燗は長火鉢に銅壺を置いて、そのお湯でお燗をつけてお燗番さんが様子を見て、肴には唐墨や海鼠腸、がざみを出したとあるから、確かに高等縄暖簾であつた。唐墨は極端としても、お燗の調子は見てもらひたいし、具合のいいお銚子に適ふ肴だつて慾しい。縄暖簾の気樂さと廉さでそれを求めるのは無理がある。

 

 わたしとしてはここで、吉田健一の“おでん屋”といふ短い一文(光文社文庫の『酒肴酒』に入つてゐる)からどうしても引用しなくてはならない。

 

 安くてうまい酒というのもあって、おでん屋の主人の心がけ次第で見つけることが出來る。おでん屋というのは安い酒を飲ませるところで、安い紛いものを出す場所ではない。安くてうまいものにおでんがあり、酒も酒自体は決して高いものではないから、おでん屋というものが誕生したのであって、それ以外におでん屋が存在する理由はない。

 

 大坂は道頓堀のおでん屋で舌鼓を打ちながら、錫の器でお燗酒を呑んでゐたらしい宰相の倅が云ふのはまつたく正しい。かれを愉ましたおでんが幾らだつたか、そこははつきりしないけれど、“飲みたいから飲み、食べたくなければ、豆腐の一つも頼んで”懐と相談せずに済んだとあるから、その程度だつたのだらう。おでん屋にお燗番が居たのか知らと疑念を抱く必要はないので、かういふお店なら、ご主人がお燗番を兼ねたに決つてゐる。

 

 出來のいい冷酒は出來のいい白葡萄酒と似たところがあつて、食べものを撰ばない。仮にオムレツとハンバーグが出された時に偶々冷酒しか無かつたとしても、その冷酒が相応の出來なら、それで平らげるのは無理ではない。これがお燗酒の場合、小芋の煮ころがしや鯖の煮つけやじやこおろし、或は鰯の干物でなければ、どうもしつくりこない。お燗酒が惡いからでないのは勿論で、お燗酒と肴がさういふ風に育つてきた…要は伝統だと考へる外にない。

 かう考へると、お燗酒を樂むには、そこに似合ひの肴を樂める程度に、舌の成熟が求められるのではないか。所謂クラッシックな日本食に、成熟も何もあつたものぢやあない、と苦笑するひとが出さうでもあるが、家でも店でも、そんな食べもの…煮つけや和へもの…を当り前に目にする機会がどのくらゐあるかねえと疑念を抱くのは、意地の惡い見立てと云はれるか知ら。

 まあ厭みを云ふ暇があれば、お燗のうまいお店を探して、焼き厚揚げやら鯵の開き、烏賊の焙りなんぞで一ぱい、やつつける方がいい。えらく大雑把な態度だと思ふのは早計で、お燗酒といふ面倒をきちんとこなすお店だつたら、肴への気配りを忘れてゐないと考へて間違ひない。上手に焙つた雑魚天(本当は揚げたてが嬉しいんだが、東夷の町では巡りあへないだらう)で、お銚子を二本かもしかして三本も呑めば、温められた月が、腹の中でゆつくりと昇つてくる。

382 チーズから連想したこと

 醍醐とか(乾)酪、蘇とかいふ食べものがある。あつたと云ふべきか。上代日本の乳製品。呼び名がちがふから、別の食べものだつたと思はれるが、どこがどうちがふのか、よく解らない。ミルクとバタとチーズとそれらの中間らしい。中間つて何だと訊かれても、元がはつきりしないのに、中間が明快になる筈がない。筈はないが、靄の中に霞む上代、我われのご先祖は乳製品を食べてゐたかも知れない。かも知れないと言葉を濁すのは、どうも余程に珍しい食べものだつたらしく、御門が臣に篭で持たせたとか、そんな話を目にした記憶がある。貴女の家系図に殿上人がゐれば、我が國の乳製品史に名を刻んでゐる可能性が考へられますよ。自慢になるかどうかは保證しないけれど。

 

 要するに日本人は古來、乳製品を口にする機会を多くは持たなかつた。断定は避けながら、少くとも当り前に食べる習慣はなかつたと想像して大間違ひではなささうに思ふ。全國各地にお大師さまの伝説は残つてゐても、坂東毛ノ國の井戸や温泉が、牛の乳で煮た粥でもてなした返礼で掘られたといふ話は聞いたことがない。九郎判官が大天狗法皇から褒美の蘇を賜つたとか、旭将軍が、馬ノ乳デ醸シタル酒を呑み、合戰に臨んだなんて逸話もないだらう。無學なわたしが知らないだけとも考へられるけれど、それでは見栄の部分で具合が惡くなる。

 

 ここで我が國では何故、乳や乳の醗酵食が發達しなかつたのだらうといふ疑問…中國料理でも乳またはその醗酵食を用ゐる例は多くないといふ。本式に調べたわけでない分は差引きしてもらふとして、確かにバタやミルク、或はチーズを(ふんだんに)使つた菜単は見たことがない…が浮ぶ。まづかつたからだよと両断しにくいのは、醍醐味といふ言葉が今にあるし、お寺の名前や御門への諡にもなつてゐるからで、惡い意味合ひがあれば、さうはならなかつたらう。畜産が軽んじられてゐたとも考へにくい。古代の官制には牛乳司といふ役職があつたくらゐだから、珍重されたのは間違ひない。ごく簡単に宮中や殿上貴族の需めが少かつたのか。食べたがり、或は歓ぶひとがゐなければ、手間の掛かることはしなくなつても、不思議ではないもの。

 

 上代古代の日本…正確には貴族連中…は何かと云ふと大陸の帝國の眞似をして、我こそは文明人と誇つてゐたが、食生活はどうだつたらう。宮廷と胸を張つたところで、塩はあつても醤油と味噌は未分化で、砂糖や蕃椒は影も形もなく、調理法は焼くか煎るか、後は塩漬けにするのが手一杯…詰りおそろしく貧弱な環境だつたと想像するのは容易である。尤もそれをまづかつたと受けとるのは気が早く、上代古代には上代古代のご馳走があつて殿上人を歓ばせた筈である。それが現代の我われに適ふかどうかは別だと解する方が正しからう。それで上代古代の食卓に乳製品が用意出來たとして、干し魚や木の實や濁り酒に似合つたか否かを考へれば、無理のある取合せになつたのではなからうか。

 

 別に事情をひとつに絞る必要はなく、他の食べものやお酒との相性、佛教の殺生きらひの拡大解釈、何より手間を掛けてまで、さういふ栄養価の高い食物を作らなくても、致命的な問題にならなかつたといふ條件が絡みあつたから、我われのご先祖は乳製品と縁の遠い食生活を續けたにちがひない。現代の目で見れば、何とも勿体無いことだが、飲み喰ひは結局のところ、その土地で獲れるものから形作られるのだから、止む事を得ない。

 

 では勿体無いと思ふのは何故だらう。

 旨いからである。

 

 臆病で知らない味には積極的に近寄らないたちのわたしなので、塩辛かつたり黴を用ゐたりしたやつは知らないけれど、その辺で気らくに買へるくらゐのなら好物である。麺麭と一緒でよく、スパゲッティには欠かせないし、デミグラス・ソースやカレーに隠すのもいい。ごはんに乗せたことは無いけれど、バタとガーリックのライスなら似合ふだらう。序でに云ふとチーズと味噌の相性の佳さは大したもので、これ計りはチーズ自慢の欧州人も知らないにちがひない。一ぺんえらさうに振舞つてみたいけれど、残念ながら欧州人に知合ひはゐないから、そこは諦める。

 

 それより特筆したいのは、酒精を相手にした時に見せる器の大きさの方で、経験則で云ふと、葡萄酒やヰスキィは当然として、泡盛焼酎、お酒にも適ふ。麦酒からシェリー、お酒を経て、葡萄酒に到るまでのつまみをチーズで通すのは、無理難題でも何でもない。贅沢が許されるなら、海苔や粒味噌、佃煮、ハムなんぞも用意しておかう。

 

 勿論チーズには様々の種類があり、酒精にもまた様々の種類があるから、すべての組合せが成り立つとは限らない。限らないが、身近に賣つてある銘柄同士だつたら、余程に捻くれた銘を撰ばない限り、頭を抱へずに済む。チーズ以外にかういふ安心感を得るとすれば、おそらくピックルスがさうなるだらうが、海苔だの何だので変化を持たせにくい難点がある。この乳の醗酵食品は矢張り大したものだなあと思ひ、思ひながら、酪や蘇を知つてゐた平城平安の貴族が、この組合せの妙に理解を示さなかつたのは、醗酵の技術が未熟なのを差引きしても、改めて不思議に感じられる。

 

 もしかすると、さういふ樂みは寺僧の特権だつたのだらうか。酒醸りを遡ると奈良朝の寺院に辿り着くといふ。かれらは醗酵といふ(当時としては)特殊な技術のプロフェッショナルだつたわけで、更に云へば海外からの新知識を得易い立場でもあつた。その大半は佛典だつたのは間違ひない…寧ろ当然だが、片隅に筆法や絵画、音樂、彫刻の技法が含まれてゐたと考へるのに無理はないし、その中に含まれてゐた(かも知れない)酪や蘇や醍醐の製法に通じてゐたと考へても、眞つ向からは否定しにくい。ここで無知の奔放な空想を許してもらふと、青丹かがやく奈良の巨刹の奥で、月に一ぺんくらゐ、高僧がこつそり集つて、お酒とチーズで酒宴を開いてゐたのではないか。その末席に、私度僧になる前の空海が坐つてゐたと思ふと、愉快な気分になるのだが、眞面目な修行僧からはきつと、厭な顔をされるだらうなあ。

381 残る問題のこと

 餃子が好きなのだと云ふと、したり顔で、どうせ焼き餃子でせう。本場では水餃子なのですよと知識を披露するひとが出てきさうである。確かに焼き餃子が好物なのは事實で、この稿はさういふ話をする積りでもあるのだが、幾らわたしが無知でも、水餃子が本來…元々の姿だつたらしいことは知つてゐる。もつと云へば、元々は皮が分厚くつて、中身のみつちり詰つた、主食であつたことも知つてゐる。尤も知つてゐることと好むかどうかは別であつて、水餃子は勿論、蒸し餃子や揚げ餃子だつて旨いのは認めつつ、矢張り焼き餃子が一ばん好もしいと思ふ。かういふ嗜好に根拠があるものか。

 

 ここからは餃子を焼き餃子の意味で使ふ。

 おかずと云つていいものか。世間に餃子の定食は珍しくもないが、ごはんに適ふのは挽き肉の混じつたたれの方で、本体はどうだらうねと疑念を呈したくなる。さりとてつまみになるかと云へばそれもまた、多少の疑問が残る。麦酒に紹興酒、焼酎。或は葡萄酒やハイボール。どれも適はなくはないけれど、決定版とも呼びにくい。なら獨立して食べればいいかと云ふと、些か物足りない感じがされる。要するに扱ひがややこしい。だつたら食べなければいいと考へるのは早計以前に浅薄な態度で、扱ひが六づかしからうが何だらうが餃子は美味い。酒精に馴染まないのは、薄い皮に種を包み、鐵板で焼いて喰ふ方式が随分と新しいからに過ぎない。

 小麦の皮でくるんだ挽き肉、韮、白菜、生姜に醤油と酢と辣油。

 まづこんなところだらう餃子の基本形は、ごく大雑把に敗戰後の日本で成り立つたらしい。大陸帰りの元兵隊が、口に糊する為の工夫とも云はれてゐるが、そこは判然としない。ここでは餃子を焼いて喰ふ料り方が、ざつと八十年程度の時間しか経てゐない…ラーメンより遥かに若い…ことに着目すればいい。餓ゑを凌ぐ目的で生れた食べものが、食事としても、酒席の友としても、洗練されるには、これはまだ短すぎる時間である。洗練された餃子とはどんなものだと訊かれても、それが未だ出來てゐないのだから、具体的に応じるわけにはゆかないが、餃子と聞いて、ある食事乃至酒精が浮ぶ風な変化だと、曖昧に云つておく。

 併し洗練された餃子が果して旨いのか。まづくなれば洗練ではないから、旨い筈だとして、ではそれが我われ…いやわたしの口に適ふのかどうかといふのはまた、別の問題である。洗練の中には儀式的な要素も含まれるもので、たとへば蕎麦はたかが備荒食だつたのに、今では蕎麦を一枚啜るにも、ああだかうだとご高説を宣ふひとがゐる。八釜しいし、さういふひとが好んで使ふ、野暮だねえと揶揄ひたくもなる。餃子を目の前に、半可通の蘊蓄を聞かされるのは迷惑以外の何ものでもないことを思ふと、洗練はまあいいやと云ひたくなつてきるが、おれが死ぬまでならば(まあ十年か十五年か、そんなところだらう)平気かといふ気もしなくはない。

 

 そんならたつた今の我われは餃子を前に右往左往するしかないのかと云ふと、さうとも云へなくて、要するに好きにすればいい。

 定食でよければラーメンや炒飯とあはせてもよく、餃子を山盛りにした大皿でも構はない。

 烏龍茶でも茉莉花茶でも緑茶でも水でも、紹興酒でも麦酒でも焼酎でも葡萄酒でも勿論いい。

 酢醤油に辣油だと決めなくたつて、ぽん酢や胡椒、蕃椒、辛子、塩。種の下味がしやんとしてゐたら、何も使はなくても、舌に適へば宜しい。

 種にしてもチーズやら酢漬けキヤベツやらコーンド・ビーフやら、勝手に入れれば(ラーメンより若い食べものの割りに、さういふ勝手次第が見られないのは、餃子の不思議である)よい。

 わたしが死んで半世紀も過ぎた後の通人が、昔の餃子は野蛮だつたと笑つたとしても、それはこつちの知つたことではない。

 おかずにするより、酒精のお供にしたい。

 いつたい食べものの姿や味にわたしは保守的または臆病な男だから、目新しい種を使つた新式餃子でなくていい。大多数の同意を得られる筈の基本形…呑みながら食べることを考へれば、皮は分厚めが好もしいか。そこに酢醤油と少しの辣油があれば満足で、大根おろしと大蒜おろしがあれば、望外の悦びといふものだ。

 一人前が五個か六個として、二…三人前だらうか。外にザワー・クラウトだとか、苦瓜のピックルス、或は沖縄の島辣韮があれば、もつといい。かういふ組合せならお酒は似合はないし、葡萄酒は余程もつたりした赤か、口を洗へる辛い白でないと喧嘩しかねない。大きなコップで麦酒を一ぱい平らげ(最後まで麦酒で押し進めるなら黑麦酒がいい)、黒糖焼酎の水割りかソーダ割りに移れば、収まりが宜しからう。温めた紹興酒が惡くないのは当然だが、それは本式の水餃子を味はふ時に取つておかう。残るのは餃子と(黑)麦酒と黒糖焼酎とピックルスを用意するお店が、どこにあるのかといふ問題で、問題が残るといふのは、樂みが残るのに近いと思へば、厭な気分にもならずに済む。

380 花で呑むこと

 ほつけの漢字は魚ヘンに花…𩸽ださうで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏はご存知でしたか。わたしは調べて初めて知つた。アイナメ科に含まれ、ホッケとキタノホッケが属する。魚ヘンにも花にもホッケといふ訓みはない。身のほろほろ崩れる様を散る花びらにたとへて字をあてがつたか。我われが居酒屋で目にする開きを焙つたのはキタノホッケ、別名シマホッケの方で、画像もそれになる。大して高額でなく、旨い上にほろほろと身離れがよく、ちびちびつまめるので、具合がいい。干して焙る料り方が主なのは足が早いからださうで、水揚げ地に近い町では煮つけでも食べるといふ。旨いのか知ら。ちよいと食べてみたい気はする。

 

 ほつけはそのほろりとした身離れのよさが、まことに有難い。といふのもわたしはお箸の使ひ方が他人さまに見られたくないくらゐに下手だからで、鉛筆を握るのと同じ持ち方になつて仕舞ふ。なので箸先で毟らなくてはならない魚は、美味いまづいとは別に苦手である。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、恰好惡いと笑ひ玉ふな。

 もうひとつ、こちらは有難いといふより嬉しい点になりさうだが、(少くとも)(居酒屋で食べるやつは)骨も囓れるのがいい。焼き魚でも煮魚でも、余程硬くない限り、骨まで舐り…訂正、囓り尽すのがわたしの流儀で、随分と以前、同席してゐたひとに呆れられたことがある。魚の骨つて、食べられるんですね、だつたか。これくらゐなら食べますよと応じつつ、何とはなしに気耻づかしさを感じたのは、今も覚えてゐる。

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 思ひ返すと(堅くない)魚骨を囓る習慣は、鰯の生姜煮で身に附いた。母親が煮て呉れた鰯は小ぶりだつたし、同居の年寄り向けなのもあつてか、たいへん軟かいもので、尾鰭を除いて食べ尽した。それに馴染んでか、塩焼きの鰯も食べ尽した。流石にこちらは骨に気をつけなさいと云はれたけれど、丹念に噛み砕けばどうといふこともなく、それを顧みれば、ほつけの骨なぞ、寧ろ食べ易い方に入る。と書けばきつと、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から

 「それはそれでいいとして、ほつけの骨なんて美味しいものか知ら」

と疑義が呈せられるだらう。そこでもう一ぺん画像を見てもらひたいのだが、骨を捲ると、その周りは幾許かの肉がこびりつく。皮の下と骨周りの肉が旨いのは獸肉に限るわけでなく、嘘だと思ふなら、鮪の中落ちがどの辺りかを考へてみたらいい。若い讀者諸嬢諸氏は首を傾げるか知ら。

 

 骨を噛むで思ひ出した。いつだつたか、雀の串焼きといふのを食べた。串に一羽か二羽か刺さつた丸焼き。旨かつたかどうか、食用雀なんて聞いたこともないから、肉は殆ど無かつたのではなからうか。尤も多分頭蓋骨を噛み砕いた時の歯応へは快かつた。さういふ快感の為の串焼きだつたとすれば、おそろしく贅沢な一本と考へてもいい。淑女には残酷趣味と眉を顰められるかといふ不安はあるが、だつたら腹を開かれた上に天日で干され、焼かれたほつけの立場はどうなるのだらう。雀が我われの舌に馴染まないのは、獲れる数の少なさより、大して旨くないからの筈であらう。その辺の焼き鳥屋で、一串二百円程度で当り前に食べられれば

 「雀串は塩に限る」

 「矢張りたれで樂むべきだ」

 「いや漬け焼きが最良だよ」

といふ議論が續出しても、不思議ではないが、雀の話ではなかつた。ほつけ方面に戻りませう。

 

 その前に中島らもといふ、作家でアル中で藥物中毒を兼ねたひとの話。あのひとはコップ酒があれば肴は要らなかつたが、“ピリ辛コンニヤク”を註文するのが常だつたらしい。但し食べない。“ピリ辛コンニヤク”を睨みながらコップ酒を呷る。廉価な上に、肴が目の前にあれば、呑んでゐる恰好がつき、呑み屋の親仁にも惡くないといふ理由。ある日中島のお供で呑んだひとが、その“ピリ辛コンニヤク”をつまんだところ、いきなり罵倒されたといふ。

 「キミは阿房か。一体何を考へとるンや」

お供は何故叱られたか解らない。よくよく聞いてみると、どうやら“ピリ辛コンニヤク”をつまんだのがいけないと気がついて、ただつまみを喰つて説教される事情までは解らない。更に訊くと

 「喰たら、減るやないか」

さう拗ねたといふから、ややこしいひとだつたのだな。見習はうとは思ひにくい。

 

 ここで大事なのは、(残念ながら)“ピリ辛コンニヤク”自体ではなく、ある程度腹がふくれた後、もう少し呑まうとする時、“ピリ辛コンニヤクのやうに”小さくつまめる肴は便利といふ点で、お漬け物の盛合せなんていふのもここに入る。尤もお漬け物だと、わたしの苦手な茄子や人参、或は奈良漬けが含まれることがあるからこまる。それにひとりで呑む場合には、盛合せでは些か多すぎでもある。そこで予めほつけを註文しておくか、半身といふのかハーフと呼ぶのか、兎に角小振りなやつを追加する。

 身をひとひら

 大根おろし檸檬と醤油。

 焦げた皮。

 それから骨。

 喰たら減るのはまあその通りとして、ゆるゆるやれば、二合かそこらのお酒か、葡萄酒の半壜くらゐは、十分に相手が出來る。花をつまみに呑むのが好きなんて、気障な云ひ草だらうか。