閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

413 夢の超特急

 我われの世代にとつて"夢の超特急"と云へぱ、新幹線ひかり號である。『サイボーグ009』でも加速装置で新幹線と並走(!)する島村ジョーが、無賃乗車を気にしながら、どうにも我慢出來なくなつて、その屋根にちやつかり坐る場面があるくらゐで、鐵道史を顧みるに余程に劃期的な変化だつたのだらうと思ふ。念の為に確かめると開業は東海道が昭和三十九年、山陽は同四十七年。記憶は定かでないが、わたしがサイボーグ戰士を知つたのは、昭和五十二年以降と思はれるから、東海道・山陽新幹線が全線開通した後であらう。

 東海道新幹線を利用…年に何べんか…しだしたのは平成になつてである。ごく単純に住居が関東になつたのが理由。使つたのはひかり號で(のぞみ號の運行開始は平成四年からだが、この頃わたしは大坂に戻つてゐた)、詰り新幹線と"夢の超特急"とひかり號はほぼ一直線で結びつく。のぞみ號が幾ら速くてもそれは

 「ひかり號の技術的な發展と変化」

ではないかと感じられる。實際は異なるのだらうが、かういふのは一種の刷り込みだからどうにもならない。

 

 併しこの十年余り、そのひかり號には乗らなかつた。

 大坂へ帰る時はこだま號。

 東京に戻る際はのぞみ號。

 決り事ではないけれど、習慣がさうなつてゐて、"さうでなくてはならぬ"理由が無い分、却つて変更してみるかと思ひにくい。笑つてはいけません。これは個人の文化といふ範疇の話なのです。

 尤も変更し辛いとは云へ、"してはならぬ"理由も無く、大小は兎も角切つ掛けがあれぱ、ひかり號に乗る事は有り得るわけで、わたしが今回、新大阪驛十六時十六分發(始發)ひかり528號東京行に乗つたのは、その切つ掛けゆゑであつた。…などと勿体振つた事情があつたのではなく、単に新大阪驛でのぞみ號に乗らうとする人びとが多すぎて

 「こだま號だと時間が掛かりすぎる。そんならまあ、ひかり號に乗るとするか」

と考へただけの事、と書くと、殺伐としてゐるなあと呆れられるだらうが、殺伐でもどうでも様々の撰択と行動を詩的な理由で決めるのは、人生の一大困難ではあるまいか。

 ところでえらく最近、そのこだま號を褒めてゐたぞと指摘されるだらうか。だとすればその指摘は正しい。ただわたしが絶讚するのは東京驛發新大阪驛行のこだま號なのだと、念を押す必要はある。わたしが乗る下リこだま號は、正確にいふとそこで呑む麦酒と葡萄酒は、休日の始りを象徴してゐるから褒め讃へるんである。対比的に云へば東京に戻るのは日常への帰還であり、日常に戻るといふ用件を果す必要があるのだから、旅情だの何だのの気分は切り捨てねばならず、それには合理性を突き詰めた上リのぞみ號が似合ふ。

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 ここまで書けば我が賢明なる讀者諸嬢諸氏は

 「ははあ。とすると丸太は、"ひかり號は、特段に速くなくなつて仕舞つたし、こだま號の緩かさも感じられない、云はばどつちつかずぢやあないか"、と思つてゐるのだな」

さう膝を叩くにちがひない。まつたくその通り。ひかり528號は新大阪から名古屋までの各驛と、小田原、新横浜及び品川の各驛を経由して東京に着到する。妙な停車だなと思ふでせう。わたしもさう思つた。思つてゐたら、名古屋驛まで、意外なくらゐの乗降があつたから驚いた。新大阪から名古屋に到る移動と、名古屋以東へ行かうとする必要を詰り巧妙に満たしてゐるのだと気がついて

 (これは大したものだ)

昭和三十九年からの膨大な乗降の資料があつて、最適な停車驛を決めてゐるのだなと感心した。"夢の超特急"と呼ばれるのは速さも当然その條件にある筈として、かういふ要素を見逃さないところが大きいのだ。ダイヤグラムを作るひとは素晴らしい才の持ち主にちがひない。道理で罐麦酒がうまい筈だよ…さう讚辞を贈らうと思つたのは小田原を過ぎた辺りだつたから、我ながらにぶい。

 

 ひかり528號は途中、数分の遅れが出たが、東京驛にははぼ定刻通り、着到した。

412 令和二年の手帖

 高橋書店の"フェルテ4(製品番號234)"…以下単純に"フェルテ"と呼ぶ…を令和二年の手帖に撰んだ。前年(平成卅一年から令和元年にかけて)は同社の"リシェル"を使つて、それよりひと廻り判型が大きい。参考までに云ふと、価格は消費税が別で千四百円。"リシェル"で使へてゐた小物入れといふのか何なのか、それに入らないのは少しこまるが、書ける量に余裕がある方を優先した結論である。

 ラパーは無愛想な黑。作り方が少し雑なのか、内側にある紙片を挟み込める部分の線がうつすらと浮いてゐる。購入した本屋で平積みになつてゐたから、それが原因かとも思へるけれど、たかが数冊の平積みでラパーに線が浮いたのなら、それはそれで雑な造りと云はれても仕方ない気がする。

 高橋書店はラパーの扱ひが苦手らしい。ここの手帖を購ふのは、中身の出來が惡くないからで、詰めがあまいと云へなくもない。中がしつかりしてゐれば問題は無からうとも云へるだらうが、手帖は毎日使ふのですよと(聲ひくく)反論しておかう。尤も感心しないとは云へ、我慢がならないほど酷いわけでもない。合格点を差上げてかまはない程度の中身を編輯するのと、それをどう見せ、持ち歩かせるかはどうやら別の課題らしい。

 さうさう。気にするひとがゐるかも知れないから、序でに記すと、書込みに使ふのは三菱鉛筆のSigno 0.28ミリ。インキの色は黑。遊び心とやらは丸で無く、文房具マニヤはそつと溜息をつくだらうが、溜息をつかれても使ふのはわたしだし、わたしには文房具にフェティッシュを感じる体質の持合せはない。荷風大谷崎を眞似て筆を用ゐ、或は萬年筆に手を伸ばしたところで、直きに飽きて仕舞ふか、扱ひにくさにうんざりするのが関の山であらう。

 それで今さら手帖を何に使ふのか。Googleのカレンダー機能は勿論、スマートフォン向けのアプリケイションだつて幾らでもあるんだし

 「その方が便利でせう」

まことにその通り。確かにGoogleカレンダーは利用してゐる。但し予定の管理に限つた併用。どこかに行くとか催事があるとかが判ればよく、云はば壁掛のカレンダーに丸印を附けるやうな使ひ方。何故その程度の利用で済ますのと云ふと、"フェルテ"(乃至"リシェル")は記録…日記的に用ゐるのが主な目的だからで、さういふ用法の場合、Googleカレンダーだらうが外のアプリケイションだらうが、スマートフォンでも何でも、電源を入れ、アプリケイションそのものを起動させ、更にその中で必要な機能なりを起動させるのが、不便以前に面倒で堪らない。さうかなあと首を傾げつつ

 「これだから、老人は」

と苦笑するひとがゐるのは当然だし、こちらとしても、おれは違ふと聲高くは云ひにくい。併し再び居直るなら、使ふのはわたしであつて、わたしが面倒に感じるなら、それはわたしにとつては好もしくない…もつときつく云へば使へない機能やサーヴィスなのだと断じても誤りにはなるまい。

 少々気障な云ひ方をするなら、手帖にはそこに書込んだ時間が詰め込まれる事になる。だから手帖を持歩くのは書かれた時間を持歩くのと同義、が大袈裟としても、近似値くらゐの場所を与へて許されるのではないか。感傷的な事情よりも紙の手帖がわたしには使ひ易いのが併し實情であつて、ごく簡単にそれは馴染んでゐるからと云へる。

 さてそこで、我が"フェルテ"はその"馴染み"に含まれる(期待を持てる)のかと疑問が浮ぶ。中のつくりは"リシェル"と大差無いから平気に思へるとして、大きさが異なる分、便利さはちがつてくる筈である。わざわざ大きめの判型を撰んだのは、一冊に纏めたい…詰り複数の手帖を併用しない事が前提だからで、ただ"リシェル"を使つた前年…平成卅一年から令和元年に、それで大きな不満があつたとは云ひかねる。

 「大きめ(の判型)なら、書き易からう」

改めて"フェルテ"を撰んだのはもしかすると、併用を避けるとかひと纏めにするとか以前に、かういふ単純な気分が一ばんの理由だつたかも知れず、さうなると大は小を兼ねるのが手帖にも当てはまるのかどうか。仮にさうだとして、大きな手帖は重くなるのが当然で、であれば持歩きには不便の度合ひが高くなる。"フェルテ"を撰ぶ時にその点の考慮は無論忘れなかつたし、この判型なら許容の範囲と見積つてもゐるけれど、實際に許容出來るかは使つてみないと判らない。

 ただややこしいのは、使つて不便を感じたとしても、馴染んで仕舞へば余程に酷くない限り、許容出來るだらうとは予測としても容易な事で、さう想像した時、手帖の評価は面倒だと思へてくる。 同時に手帖は使ふものだから評価は他人に任せばよいと開き直れもして、その気分もやややこしさに拍車を掛けてゐる。

 まあ。

 ややこしさ乃至面倒は先送りにしてもいいでせう。

 繰返しになるが、手帖は"ある限られた時間"を詰めた(特殊な)物体である。何をたれに辯護するのかは知らないが、使ひにくいとして…たとへば何年も前に一ぺん試したモレスキン(今はモールスキンだつたか)は、ラパーや紙の撰択は優れてゐたが、わたしの使ひ方でいふとまつたく駄目…いや適はなかつたのに、一年過ぎると、その一年を記した"特殊な一冊"になり、その特殊さには使ひにくいなあといふ不満も含まれ、その不満も含められてゐるのに、惡感情で思ひ出すのは六づかしく、どうもフェティッシュとは別にある種の感情…気分を擽られるのが、わたしにとつての手帖らしい。

 Googleのカレンダーの優秀さ(わたしには便利ではないのだけれど、それは別の話になる)は認めるとして、或は外にも優れたアプリケイションはあるだらうとして、そこにあるのは機能がどうであるかといふ点に尽きて仕舞ふ。出來が惡ければ斬捨て御免で終るもので、"ある限られた時間"を詰める器には相応しくない。そんな器が必要なのかと思ふひともゐるだらうと予想は出來るが、また不要なひともゐるのだらうが、わたしには要るのだと応じておかう。"フェルテ"が器としてどうだつたかは、令和二年が終る頃、やうやくはつきりする。

411 長閑な春

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に新年の御挨拶を申し上げる。

 令和二年は佛さまに挨拶をしてから、お屠蘇代りのお酒を一杯にお餅を三個で始つた。

淡いろの 胃の腑に落ちる お屠蘇かな(颯風)

餅を食む 顎くひしばる 年の明け(颯風)

 皆々様に佳き一年となります様。

410 年の瀬の御加護

 伝承によると推古天皇元年…六世紀末頃の創建であるといふ。ウェブサイトによると

 

 『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

 

とあつて何となくギリシア叙事詩が連想される。御加護を与へ玉へ。敵をば討ち滅ぼした暁には立派な祭壇を立て新鮮な仔羊を贄として捧げませうぞ。

 尤も崇佛の蘇我と排佛の物部の争ひは佛教といふ新思想を受容れるかどうかもあつたらうが、それ以上に朝廷での豪族共の権力の奪りあひであつたから、雄渾より生臭さと矮小さが先立つて感じられなくもない。要はさういふ経緯で建てられたのが四天王寺で、現在では建物を中心にした地域が天王寺または阿倍野と呼ばれる。

 年の瀬の或日、その阿倍野に足を運んだのは、そこでカラバッジオの展示があると知つたからである。十六世紀後半から十七世紀初頭にかけての画家。イタリア人。何となく気になる名前だつた。かれから百年ほど遡るティツィアーノ(ヴェネツィア画家)が好きなので、その連想かも知れない。

 

 「さう思つてゐるのだが、どうだらうか」

とエヌに云ふと賛意を示して呉れた。エヌは旧い友人。もう四十年近い附きあひになる。そのエヌと大阪メトロの堺筋線に乗り、動物園前驛で降りた。日本橋の(旧)電器屋街と通天閣の間くらゐの位置に当る。

 通天閣の周辺は甞て新世界と呼ばれた地域で、その呼び名は残つてゐる筈だが、以前は(名前とちがつて)ひどくいかがはしい、安呑み屋…ホルモン焼きやおでんや焼酎…が並び、浮浪者とちんぴらがたむろするやうな町であつた。今はすつかり清潔になつて、我われでも平気な顔で歩く事が出來る。串かつ屋と惡派手な服屋がならぶ猥雑な町並みに、佛教の敬虔を感じるのは六づかしいが、猥雑なりの秩序はあつて

 「雜密の世界だなあ」

と感心はさせられた。序でに云へば雜密は呪文…咒の欠片を指すと考へればいい。八世紀の初頭、空海が眞言を完成させた時に組み込まれ溶け消えた事を思ふと、これは無邪気な思ひつき以上にはならないけれども。

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 あべのハルカスを外から見ると奇妙な形をしてゐる。幾つもの菓子函を積み上げたやうな姿で、所々に飛び出た箇所があつて、総じて不安定な印象を受ける。我われは未だ超のつく高層建築を、都市の中にどう位置附けるのか、迷ひ續けてゐるのではないか。そのあべのハルカスの十六階にハルカス美術館があつて、カラバッジオはそこで展示されてゐる。

 フル・ネイムはミケランジェロ・メリージ・ダ・カラバッジオ。素行の惡い若ものだつたらしい。口論だけでなく喧嘩も乱闘も辞さず、ひとを殺める事もしたらしい。その生涯は僅か卅八年は終つてゐる。狷介な人柄だつたのか、本人にも解らない不機嫌にくるまれてゐたのか、何とも想像し辛い。

 「まあ、入つてみませう」

さう云つて入場券賣場に並んだら、小父さんがしやがんで鞄の中をごそごそ探つてゐる。何だか判らないが入場に必要なものがあるのだらうかと思つて待つた。さうしたら何をどう満足したか鞄の蓋を閉め、そのまま立ち去つた。ごく当り前に道端にしやがんでゐたやうな風情で(多少呆れはしたが)怒る気にはならなかつた。

 

 正直なところを云へば、期待には些かの距離はあつた。展示は正しくいふと"カラバッジオとその時代"展だつたのがひとつ。それは構はないとしても、観せ方が稚拙な所為で、目の前にあるのがカラバッジオの筆なのかどうか、直ぐに判別しにくかつたのは、ハルカス美術館館員が不勉強…が惡ければ"意余つて力足らず"だつた證であらう。

 またグロテスクな描冩が少からずあつたのも、好みには適はなかつた。斬首、弓矢による死刑。刎ねられたヨハネの首やゴリアテの首を手にしたダビデ。復活したイエスさまが疑念を抱いた弟子に対し、腹の傷に指を入れさせる場面。或は象徴的に配置された頭蓋骨。それらの描き方はリアリズムではないがひどく生々しく、目をやるのが躊躇はれた。

 尤も例外はあるもので、マグダラのマリヤを題材にした二点("悲歎"と"法悦")はその生々しさが魅力になつてゐた。カラバッジオが模倣者を多く生んだ画家…だから展示が同時代史風になつたのだらう…なのを思ふと、かれの画風は時代を劃したと考へてよく、切り取られた生肉のやうなグロテスクさを感じさせたり、また柑橘の搾り汁を吹き掛けたやうな気分にさせたりする、云はば不安定さがあつたとしても、それは画家の責任にはなるまい。

 

 美術館を出てから珈琲を一ぱい。大和路快速で大阪驛まで動いてから、地下街にある中古カメラ屋を冷かした。エヌは銀塩カメラを三台持つてゐる。FE2NewFM2/TとFM3A…型番を知らないひとの為に云ふとすべてニコンである。

 「あのペンタプリズム部の恰好が」

好きなのださうで、一貫してゐる。細かいアクセサリを見ながら聞くと、最近になつてMD-12(外附けの高速巻き上げ機)を手に入れたといつたから笑つた。實用ではなくスタイルを調へるのが目的で

 「廉だから買つてもいいと思つた」

らしい。MD-12が大振りで重く、うるさい機械である事を思へば、これも一種の見識と呼ぶべきか。折角だから何か買はうと棚を見てみたが、残念ながら物慾は刺戟されなかつた。時刻はそろそろ十七時。

 「エエ時間帯になツたかな」

 「エエ時間帯になツたねえ」

それで天満まで歩く事にした。

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 エヌは麦酒とヰスキィを好む。

 わたしは麦酒と葡萄酒を好む。

 互ひに呑めれば何でもいいと思へる年齢ではない。

 天満にある[てぃだ]といふお店がさういふ事情に好都合である。看板は奄美料理。品書きには確かに油素麺だの海藻の天麩羅だの、それから黒糖焼酎泡盛まで並んでゐて、併しその隣にはドイツの麦酒に焼きソーセイジの盛合せなんぞもある。何年か前に偶々立ち寄つたら、さういふ店だと判つたので、エヌと呑む時はここすると決めてある。

 店の一ばん奥に小さな舞台があつて、入つたらそこで男女の二人組がギターと三線を鳴らしてゐた。定期的にライヴを開くのは知つてゐたが、開催日に入るのは初めてであつた。

 「それはまあ兎も角」

 「先づは麦酒ですな」

シュナイダー・ヴァイス(オリジナル)で乾盃した。お互ひ一年、生き延びたねえと云ひながら、つまみに註文したのは苦瓜と豆腐の炒めもの(奄美料理ゆゑか、"ちやんぷるー"ではなかつた)、牡蠣とベーコンのスペイン風オムレツ、シュニッツェルで、この中ではオムレツが出色の出來。半熟に近い仕上げだつたから、スペイン風かどうかには議論の余地が残るとして、牡蠣の風味が巧妙にあしらはれ、然もその牡蠣が硬くなつてゐない。

 「上塩梅、上塩梅」

品書きを見るとサッポロのグラン・ポレールがあつた。ミディアム・ボディ。飲みくちは惡しからず。冷しすぎは惜しまれるが、そこまで求めるのは酷と云ふものか。エヌが黒ラベルに移つたのにあはせ、こちらもオリオン・ビール。若鶏の唐揚げとジャーマン・ポテトを追加。遅れてシュニッツェルが出てくる頃にライヴが始つた。出演は三組。観客(わたしたちの事だ)を上手に煽り、観客も上手に煽られ、詰り大騒ぎになつた。

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 「かういふのは、踊る阿房にならにやあ、損よ」

さう決めたので今宵はここで腰を据ゑる。さう結論を出してお代り。エヌにお奨めの黒糖焼酎はどれだと訊かれて、"高倉"を推した。この男は蒸溜酒が

 「薄まるのが、気に入らんのよ」

といふ理由で割らない。わたしは"あじゃ"の水割り。好みのちがひよなと笑つてゐたら、揚げ肉の塊がきたから驚いた。どうやら若鶏の唐揚げらしい。

 「またえらい大きいもンやな」

 「ハーフ・サイズて、書いたアつた」

かなンなと云ひつつ、喰ふと美味いからこまつた。シュニッツェルとはちがつて、歯触りがばりばりするディープ・フライ。衣に少し手を掛けてゐる…何をどうしてゐるかは判らない…のだらう。おほむね平らげ、"瑞泉"の古酒を註文した。わたしは変らず水割り。エヌは割らずに、ヰスキィ並みに強い一ぱいをちびりと舐め…ああいふ呑み方は眞似出來ない。反省すべきなのかどうか。

 いい具合に…時間もグラスもお皿も…なつたところでお勘定。女将さんが愛想よく(見掛けない客がライヴの夜に押し掛けて大騒ぎしたからだらう、きつと)どこから來はツたンですかと訊いてきた。この場合の"どこから"には

 この店を何故いつ知つたのか。

 ライヴの出演者のファンなのか。

さういふ微妙な調子が含まれてゐる。我われは正直なので

 三年くらゐ前に偶々入つた事。

 食べものが美味くて気に入つた事。

 年に一ぺん足を運ぶ事。

それからライヴはまつたく知らなかつたが、十分に樂しんだ事を云ふと、嬉しさうに

 「ほならまた來年、お越し下さいね」

いい気分になつて[てぃだ]を後にして、もう一ぱい呑むかどうか考へた。時間を掛けて呑んだ所為か、醉つてはゐても醉ひ過ぎた感覚は無い。併し

 「物足りン感じはするけど、次の一ぱいで惡醉ひしさうな気もするンよな」

 「といふか。これで下手な店に行つたら、エエ気分が台無しになるンとちがふかな」

ではお開きにしませうと意見の一致を見た。まつたくのところ賢明な判断であつた。醉ひが翌日に殆ど残らなかつたのは四天王寺佛法の御加護にちがひない。

409 オチデント・ノ・エトセトラ

■始め

 二十年ほど東京に住んでゐる。併し親は大坂にゐて、だから年末から年始にかけて、二週間余り西に上る。えらく長いねと云はれさうだが、年に一ぺん所謂長期休暇(と呼べるほど長いとも思へないのだが)を取つて、文句を附けられても肩をすくめる外にない。半月も何をするのだと更に訊くひとも出てきさうで、併し何かはすべきなのかどうか。したければどうぞと云つておく。

 

■十一月に考へた

 取急ぎエヌに帰坂すると知らせた。中學生の頃からなのでもう四十年近い附合ひの友人。長いですな。

 四十年前といへば昭和五十四年。当時の宰相は大平正芳江川卓小林繁のトレード、箕島高校と星陵高校の延長十八回に江夏の二十一球(アマチュアとプロフェッショナルの両方で伝説が生れたわけだ)、天然痘の根絶とマーガレット・サッチャー英國首相就任があつた年。空想世界で云へば、宇宙探検家ゴーハム・ジョンソンの金星と水星の探検も(キャプテン・フューチャー史での話)この年である。若い讀者諸嬢諸氏には判りにくいか。

 たとへば明治維新の四十年前は文政十一年…幕末から明治初期にかけての日本史で外せない西郷隆盛松平春嶽公と副島種臣、それからサー・ハリー・パークス、文學史でいへばジュール・ヴェルヌトルストイが生れ、シーボルトが日本地図を持ち出さうとして大騒ぎになつた年でもある。明治維新から四十年後(明治四十一年)に目を向ければ、味の素の原型が作られ、バルテュスカラヤンイアン・フレミングが生れてゐる。

 四十年といふ長さに視点を移せば織田信長今川義元を強襲した田樂狭間ノ戰から、徳川家康が豊臣政権の主導権を握つた関ヶ原合戰までがちようど四十年。スッラが死んでローマに戻つたカエサル元老院の議場で暗殺されるまで(この間にガリア戰役とポンペイウスへの勝利、クレオパトラとのロマンスがあつた)はざつと三十五年。

 大きくかまへれば時代が転換するのに十分すぎるのが四十年で、その時間を細く長く附合つてきたのはエヌ以外にゐない。なので一報を入れたら、何日頃になるかねと返事があつて、未だ決めてゐない事を更に知らせた。平行して別の友人(東京在)と酒席の約束をした。十二月廿一日の土曜日に決つたので、西上は廿二日日曜日以降になるのが確定した。

 

 何を使つて西に上らうか。と悩む事はなく、東海道新幹線のこだま號である。"ぷらっとこだま"といふ切符…正確には旅行商品なら東京驛から新大阪驛まで、片道一万円と少しで済む。新宿發の高速バスや羽田からの飛行機、或は東海道本線を使ふ手もあるし、いづれも試した事はあつて、併し再び三たびは使はうとは思へない。従つて何を使ふかを考へるなら、こだま號の何番列車にするかで、ここは熟慮を要する。

 前日は酒席だし、家を出る前には洗濯をしておきたくもある。なので午前は避けたい。とはいへこだま號の所要時間は四時間ほどにもなるから、午后遅いのも困る。晝めしをどうするか(乗車前にしたためておくか、お弁当を買つて車内で食べるか)も考慮する必要がある。そこで

 

・十二時五十六分發こだま657號

・十三時五十六分發こだま661號

 

の二本に目を附けた。これならどちらを撰んでも余裕を持つて洗濯をし、お晝にも柔軟に対応出來る。新大阪驛への着到は十七時から十八時くらゐ。こだま號で少々過ごす可能性は否定出來ないとして(罐麦酒を三本に葡萄酒半壜くらゐが例年だからそれより多く呑まなければ大丈夫だらう)、米原驛辺りでお開きにするのは決つてゐる。醉つ払つて新大阪驛に降り立つ心配はない。その筈である。降りてからちよいと一ぱいを引つ掛けない限り。とここまで十一月の内に考へた。

 

■どうしても思ひ出す

 東海道線を西に上つて大阪驛を目指すとなつたら、どうしたつて『阿房列車』を連想せざるを得ない。以前から何度も触れてゐるから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は

 「もう、飽きたよ」

と溜息をつくかも知れない。わたしだつてさう思はなくもないのだが、半ば刷込みのやうでもあつて、かういふ例は外に無い。『金沢』を讀んで年に一ぺんも通へばさうなるのかと考へれみたけれど、あの中篇小説の主人公(東京神田で商ひをしてゐるらしい内山といふ男)が、東京から金沢まで何に乗つたのか、急行列車として車内で何を呑み、またつまんだのか、その辺がはつきりしない。仮に作者である吉田健一の投影だつたとすると、シェリーや麦酒をきこしめし、途中の驛で大急ぎに弁当を買つたりしたのだらうと思ふけれど、内山氏には吉田流の賑かが馴染まない感じもされる。尤も『金沢』にその描冩が無い。なので想像を広げにくい。

 ご存知の無い方に簡単な説明をすると『阿房列車』は内田百閒先生がヒマラヤ山系君をお供に、東海道線に復活した特別急行列車の一等で大坂まで行つて、東京に帰るといふ話。いやに簡単だと云はれても、實際さうなのだから仕方がないし、それで何が面白いのかと訊かれたら現物を讀んで下さいとしか云へない。少しくらゐ引用したつていいでせうと思はれるやも知れないが、冒頭の

 

 阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。

 

を引くと最後まで引かざるを得なくなつて仕舞ふ。気になるひとは『第一阿房列車』の題で(但し現代仮名遣ひに改惡されてゐる)新潮文庫に収められてゐるから、参考までに。

 百閒先生の冒頭を引いた所為だらう、『金沢』ではない吉田健一を思ひ出した。正確には吉田との金沢行を懐かしむ観世栄夫の"金沢でのこと"といふ一文。東京驛を夜八時頃に出發する能登號に乗るのは批評家と能樂師、それから河上徹太郎と[辻留]の雛留君の四氏で、"列車が、ガタンと発車するのを"合図にして

 

 吉田先生が「河上さん、シェリーは」と言ってさされると、そこから、酒宴が始まる。

(間を飛ばして、能登號が米原の手前辺りを走る朝)

 四人で席へつく。汽車は敦賀へつく。吉田先生が「河上さんビールは?」と口にされる。河上先生はだまってうなずかれる。我等は立って、ビールを買いに駅に降りる。プラットホームにはチラチラ雪が舞っていた。

 

 歯切れのよい文章だなあ。我等といふのは弥次喜多を自認する観世雛留両氏の事で、"お二人の先生の飲まれ、召しあがるお相手をしていればよいわけ"だつたさうだから、何とも羨ましい。かういふ旅なら何もこだま號に膠泥しなくてもいいと思つたけれど、所謂帰省で弥次喜多よろしく、たれかのお供をするわけにもゆかないと気がついた。残念である。

 

■鞄の問題

 西上乃至帰坂に伴つては例年カメラを持ち帰る。別に何を撮るわけでなく、大体は家で母親のごはんを食べ、麦酒やお酒を呑むのだから、カメラが無くたつて不便をかこちはしない。乱暴に云へばただの習慣…とは云ふものの、習慣を莫迦にしたものではない。

 平成卅一年から令和元年、詰り今年は殆ど冩眞を撮らなかつた。年明け早々にパナソニックのGF3を手に入れ、オリンパスのボディ・キャップ・レンズで暫く使つたきりである。スマートフォンで飲み喰ひの記録は撮り續けたが、それは画像での記録に過ぎないから、数に含めなくてもいい。さういふ背景、事情があるので新しいカメラもレンズを買つてもをらず、リコーのGRⅢは慾しくてたまらないけれど

 

http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/products/gr-3/

 

使ふかどうかの疑念が拭ひきれず、手を出しかねてゐる。發表された時は昂奮して直ぐにでも買はうと思つたのに、我ながら(よくも惡くも)冷静になつたものだなあ。

 フヰルム冩眞機を持つて帰らうか。動作に些かの不安はあるがキヤノンPといふ旧式が手元にあつて、ソ連製ジュピター・レンズもある。T-Maxフヰルムもある。現像とプリントに時間とお金が掛かる難点はあるけれど、何年振りかに一本のフヰルムを大事に使ふのは惡くない樂みではなからうか。以前のわたしだつたら、そこで何かと理窟を捏ね、新しく何か買ふ事を目論んだらうに、さういふ發想に進まないのも、冷静になつた證か。詰らない態度と思はなくもないけれど。

 

 どのカメラを持帰るかは一旦はふり出す。いやまつたく無関係ではないのだが、どの鞄を使ふかといふ問題を先に片附ける方が賢明さうである。鞄が決れば容量が決り、さうすればカメラその他に何を持帰るかも決る筈で、どうです、合理的な判断でせう。

 基本はデイパック。常用するコールマンをそのまま使ふ。それから信三郎帆布の縦型ショルダー・バッグを考へて、これはちつと宜しくないかと思つた。信三郎は普段使ひに丁度いい大きさだが、運搬向け(ここを考慮しなくてはならない)とは云ひにくい。無銘の帆布製トート・バッグならその任に使へても、それ自体が少し重めなのが気に掛かる。

 相応の容量があつて、それ程重くなく使へさうな鞄が無いものかと思つて見渡すと、ドムキ…DOMKEはドンケと讀まれるがドムキの方が原音に近いらしい…のF6Eがあつた。卅年余り前に買つたカメラ・バッグ。ドムキの一ばん標準的なF2から左右のポケットを省いたくらゐの大きさで、確か限定色の触れ込み…Eはエメラルドの頭文字だが、エメラルドいろといふより深緑いろ…だつたと記憶してゐる。購入の動機がその限定の文字だつたのは云ふまでもなく、当時からあの手の誘惑には弱かつた。ドムキは中仕切といふのか、それを抜くとただの鞄になる。自由度の高まるところがいい。ぎりぎりになつて変更する可能性は残すとして、ドムキの使ひ勝手を改めて試してみた。

 

 先づ驚いたのが、自由度が高くなると期待した中仕切りの抜取りは、却つて使ひにくい事で、余程に荷物を詰めでもしない限り、柔かさは寧ろ頼りない。蓋はフラップ式なので、中の物は取出し易いし、中に入れ易くもある。当り前か。左右のポケットが無いのは、ベルト・ポーチを附ければ対処出來る。さういふ勝手な追加に苦心しないのはドムキの優れた点であらう。

 匣のやうな形状は判断に迷ふ。単純に嵩高いからで、中仕切りを抜いてへにやりと出來るのは、かういふ場合に役立つのだらうな。とは云ふものの全体の印象は

 「カメラとレンズとちよつとした小物を入れて運ぶ」

目的には適ふけれど(これが駄目ならカメラ・バッグではないよね)、さうではない…少くともその要素が薄い運搬にはどうも不向きに感じられる。もう何べんか使つてみて、その感じが変るかどうか、確める必要があらうと思つた。

 

■一ぺん、整理をする

 ここまで書いてあちこちに考へが散らばつてゐると気がついた。そこで師走の予定を時系列に纏める。

 

・十三日:ニューナンブ(わたしが属する不逞の輩の集り)の大クリルタイ…忘年会。新宿。

・廿一日:某女性との忘年会。都立家政。

・廿二日(以降):西上。

・廿七日(以降):エヌとの一献。

 

 ひとつ註釈を附けると、クリルタイは遊牧人…モンゴル帝國の集会の意。部族の長が集つて可汗を撰んだり、どこに攻め込むかを決めたり、或は法を定めたりもした。ニューナンブに可汗はゐないし、不逞とは云つても至極平和的でもあるし、法があるわけでもないが、皆でどこかに行かうとか、かういふ遊びをしようとか、さういつた(暢気な)方針を立てる機会ではあるので、かう呼んでゐる。可汗の子孫が聞いたら髪を逆立てるか知ら。といふ不安は兎も角、予定を書き出したらすかすかだつたから苦笑が浮んだ。勿論たとへば

 

・竹工芸名品展:ニューヨークのアビー・コレクション-メトロポリタン美術館所蔵

http://www.moco.or.jp/exhibition/schedule/?e=545

・特別展 国宝彦根屏風と国宝松浦屏風―遊宴と雅会の美―

https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/exhibition/hikonebyoubu.html

 

といふ少しそそられる展示はあるのだが、それは帰坂してから考へればよく、師走の上旬でどうかうとは云へない。

 

■悩ましい博物館

 師走に入つていきなり困つた事になつた。それまで頭の中に無かつた[リニア・鉄道館]が飛び込んできたからである。

 

https://museum.jr-central.co.jp/

 

JR東海が運営してゐて、入場料金は千円。この時点で西上を予定する廿二日、翌廿三日は開館日でもある。大坂は辯天町にあつた[交通科学博物館]は幼い頃、父親にねだつて通つてゐたし、千代田にあつた[交通博物館]と大宮にある[鉄道博物館]にも行つた事がある。上のサイトをざつと見ると樂しさうで、千円ぽつきりなら廉と云つてもいい。但しそれだけならといふ條件が附く。着到すべきは大坂だもの、名古屋からの移動を無視するわけにはゆかない。"ぷらっとこだま"を使ふとして

・東京から名古屋まで八千五百円

・名古屋から新大阪が四千五百円

 

計一万三千円。東京新大阪間をのぞみ號で動くのとほぼ同じ値段になる。名古屋から近鉄の"アーバンライナー"を使つたところで

 

近鉄名古屋から大阪難波で四千三百四十円

 

大して変らない。更に東京發名古屋途中下車[リニア・鉄道館]経由で名古屋から大坂を一日でこなせるかといふと、出來なくはないだらうが、落着かないし慌ただしくもある。さうなると一泊を想定せざるを得ない。名古屋驛の近くにチェーンのビジネス・ホテルがあるから、そこに泊るとすれば六千四百円。これだけでざつと二万円、"ぷらっとこだま"での東京と新大阪駅の往復分にほぼ相当する。然も東京名古屋間の呑み喰ひにその日の晩めし(当然呑む。名古屋の旨い呑み屋はどこにあるのかは知らないけれども)、翌日の朝めし(もしかすると呑む)、それに名古屋から新大阪までに呑む分まで考へると、[リニア・鉄道館]の千円の為にえらい出費が求められる計算になる。魅力的な建物ではあるが、その分を帰坂した後ちよいと贅沢に呑む時に遣ふ方がよささうにも思へて、まつたく悩ましい。

 

■大クリルタイの事

 それでひと先づ新宿の[JTB]に行き、"ぷらっとこだま"の切符を買つた。廿二日日曜日東京驛十二時五十六分發のこだま657號で、十六時五十三分に新大阪驛着到予定。切符代は一万と七百円(罐麦酒一本分を含む)これで移動の予定が確定になつた。前段の、[リニア・鉄道館]は見送る事にした。一仕事を片附けた気分になつたのは勘違ひに過ぎないが、その勘違ひの所為か、空腹を覚えたのは我ながら珍しい。

 少し時間があつたので、[紀伊国屋書店]で手帖を幾つか見た。よささうに思へるのがあつて、安心してから[清瀧]に入つた。[清瀧]とはつきり名前を出すのは、まあ不都合はなからうと思ふからで、さう思ふのは埼玉蓮田の藏元が営むこの居酒屋は都内に何店かあるからで、上野御徒町店から新橋店を経て、現在は新宿歌舞伎町店がニューナンブの御用達となつてゐる。値段の割に酒肴がうまい。その[清瀧 歌舞伎町店]の卓を取つたのは十三日金曜日の十七時半過ぎであつた。えらく早いと思はれるかも知れないが、少し遅れると混雑して待つ事になりかねない。ニューナンブは用心深いのである。

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 ホッピーを呑みながら附出しをつまんでゐると、十分余りで頴娃君がやつて來た。席に坐りながら

 「入つたら店員さんが確かめもしないで、この卓を教へて呉れた」

と云つたから大笑ひした。普段なら呑む前にグレープフルーツ味の何とかいふ清涼飲料を開ける筈なのに、すつ飛ばして麦酒のジョッキを傾けたから

 「けふは構はないのか」

と揶揄つたら、買ふのもすつかり忘れてゐたさうで、いい加減なものだねと再び大笑ひになつた。鱸と鰤のお刺身、ハラミの鐵板焼き、鮟鱇の天麩羅なんぞで呑んでゐる内に、G君が姿を見せた。かれは眞面目な會社員だから、ネクタイをきちんと締めてゐて、流石だなあと感心したのに

 「外廻りは少くなつたですが、締める方が落着くんです」

なんだただの習慣なのかと大笑ひになつた。

 ニューナンブのクリルタイは伝統的に中身の無い話で盛上る。この晩も例外ではなかつたが、その中で年が明けた令和二年の睦月十二日に奥多摩の[小澤酒造]で、吉例の"樽開けと粕汁の振舞ひ"があると判つた。

 

http://www.sawanoi-sake.com/sawanoien_news/22790.html

 

正確には"御嶽汁"と呼ぶみたいが、そこまで厳密にならなくてもいいでせう。要するに酒藏で出來立ての酒粕を使つたお椀もの。その酒粕と多摩の水とで作つたお椀がまづくなる方が寧ろ不思議で、あれは一ぺん大きな丼でやつつけたい。この数年は寒さと体調の都合で無沙汰をしてゐるが、久しぶりに食べたくなつた。

 牡蠣フライ、お好み焼き、ソーセイジとトマトのチーズ焼き、それぞれの酒精を追加して、更に散々の莫迦話も追加して…"ぷらっとこだま"なら新宿から甲府までのあずさ號と同じくらゐの値段で東京から静岡へ行けるとか、G君が秋田で撮つた天國のやうな呑み屋の品書きの冩眞とか…、すつかり平らげてから、お疲れさまとおやすみを云つた。ニューナンブが賑やかな集団なのはその通りだが、我われには礼儀正しい一面もあつて挨拶は忘れないのである。

 

■十二時五十六分發について

 わたしが乗るこだま號の發車時刻である。これなら車内でお晝を食べるのがいい。そこで何を食べ、また呑むのかが問題になる。"ぷらっとこだま"には罐麦酒一本分(三百五十ミリリットル)の引換券が附いてゐて、勿論それは使ふ。サッポロの黒ラベルかキリン・ラガー。後二本くらゐは事前に買つておかう。それから葡萄酒。半壜があればいいのだが、ざつと見た限り、七百二十ミリリットルでなければ百八十ミリリットルで中途半端だなあと思ふ。

 尤も前夜の事を考慮しなくてはならない。都立家政での酒席があるからで、おそらく焼酎(連續式蒸溜…即ち甲類)の水割りをゆるゆる呑み續けると予想出來る。詰り廿二日はかるい宿醉ひで迎へる可能性が高い。となると食慾はそれほどでもなからうし、こだま號で呑める…呑みたいと思へる量が少くなつても不思議ではない。なので葡萄酒は買ふにしても、半壜は無理をしなくてもいい事にする。呑み足りないと感じたら、こだま號は途中で何度か五分間の停車があるから、そこで買へばいい。

 何を食べるかはもつと問題である。幾つかのウェブ・サイトで東京驛で買へる驛弁当を見ると、何々牛弁当とか、何とか海老の天丼とか、そんなのしか見当らない。一点豪華と云へば恰好は附くかも知れないけれど、こちらの好みは幕の内弁当だから甚だ詰らない。だつたら東京驛に行く前にマーケットだかでおにぎりやサンドウィッチ、餃子や酢のもの、ポテト・サラドにチーズにクラッカーを買ふ方がよささうにも思はれる。

 「何だかしよぼくれてゐるねえ」

さう呆れられる可能性もあるが、呆れる諸氏の為に用意するわけでなく、諸氏が一点豪華式のお弁当を買つたつて、こちらは一向にかまはない。何しろ旅程は四時間ほど(呑めるのはその内三時間くらゐか)である。つまみに何千円も使ふのは流石に躊躇はれるよ。それで前年はどうだつたか、手帖を捲ると、キリンの一番搾りヱビス・ビール、Vino en Casaにチキン南蛮弁当と書いてある。慌てて買つたのだらう、麦酒は兎も角、どうも面白みのない撰択であつた。事前の買物は注意深くしなくてはならないと反省した。

 

■都立家政の事

 何があつたわけでもないのに、午前五時半頃、目が覚めて仕舞つた。二度寝するとえらい目にあひさうなので、そのまま起きた。即席珈琲とトースト。面倒だけれど止む事を得ず午前中だけ働き、帰りに令和二年用の手帖を買つた。何を撰んで何故それにしたかは別の稿に纏める。

 家を出て西武新宿線の中井驛から同都立家政驛まで、どれくらゐの時間が掛かるものか、未だにうまく把握出來ない。中井驛は各驛停車しか停まらず、乗らうとする時によつて、急行列車特別急行列車の通過を二本も三本も待たなくてはならない。何しろ年に一度か二度しか使はないから、仕方がない事にしておかう。

 それでどうも早めに着いたらしい。彼女と呑む時は大体、十八時頃とかさういふ曖昧な感じなのが通例だから気にしない。大将と女将さんもこちらの顔を覚えてゐて呉れて

 「待合せですかね」

 「無沙汰してます」

 「先に何か呑む?」

 「ぢやあ、麦酒を」

まことになだらかである。附出し(もつ煮込み風の小鉢。塩味仕立てで美味かつた)をつまみにちびちびやつてゐる内

 「や。お久しぶりですもの」

 「やあやあ。何を食べませうか」

乾盃してから焼き鯖と焼き枝豆を註文した。この焼き枝豆、栗の甘みと芋のほこりとした歯触りが感じられて、實によかつた。彼女いはく

 「〆鯖はいけないけれど、焼いた鯖の皮のところは美味しくつて、こまる」

何がどう困るのだらう。次の註文は水餃子鍋(湯豆腐に皮の熱い餃子を入れた感じ。ぽん酢でやつつける)、ハムとブロッコリのサラド。ブロッコリは塩茹ででこれもまた宜しい。ここらでお燗酒に移つた。彼女は焼酎を烏龍茶で割つて。お喋りはひつきりなしに續いてゐて、猫舌な彼女の為、主にわたしが取分けをした。どうも甘やかしてゐる気もするが、まあいいでせう、これくらゐは。

 この酒席がいいのは、最初から最後まで食べ續けもする事で、クリルタイのやうに後半は呑むだけにならない。健全である。それに我われの常席は卓子が狭い。食べて註文しての繰返しになるから、原則として食べ残しが出ない。これもまた健全である。呑み續けてもゐるのだから、健全ではないと指摘されさうだが、さういふ野暮なひとは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の中でも少数派であらうと信じてゐる。

 「この際だから、令和二年の新年會、予定を立てませう」

 「醉つてゐると見せ掛けて、名案が出ましたなあ」

 予定を立て、柳葉魚を焼いたので〆て、お開きにした。二十三時前。十分に許容の内だと…何に対しての許容なのか知ら…思ひながら、おやすみを云ひかはした。

 

■"居酒屋 こだま號"の事

 起床七時。

 外は曇り。

 ドトール銘のカフェ・オ・レ(ペット・ボトル)とヤマザキの二色パン(チョコ&クリーム)それから洗濯。

 十一時四十分新宿驛發快速東京行に乗つて、東京驛でお弁当と麦酒、バター・ピーナツを買ふ。

 こだま號は恙無く定刻に發車(隣席にiPadを使ふ小母さん)えらく空腹を感じたので品川驛を過ぎるのを待つてから、キリンのブラウマイスターでピーナツ。近所のドラッグ・ストアだと一袋百三十グラムで百五円なのに、キヨスクで買ふと七十五グラムで百五十円もする。

 隣のiPad小母さんが熱海驛で降りたから、そろそろ"居酒屋 こだま號"を開店させていいかと考へて、エヌに"開店のお知らせ"を送つた。買ひ込んだのは、江戸甘味噌(東京味噌工業協同組合の登録商標)入りたれを使つた"江戸甘からあげ弁当"(九百円)で、サッポロの黒ラベルでやつつける事にする。時刻は十三時四十五分。

 唐揚げは二種類。江戸甘味噌を入れたたれを使つてゐますといふ触れ込みの方を先づ食べる。まづくない。ただ唐揚げは余程の下手でなければ美味いのだから、褒めるほどでもないか。もつと江戸甘味噌の風味を押し出してもいいのに。江戸甘味噌を入れたたれを使つてゐない方は、マーケットのお惣菜程度の味。こんかものかと思ふ。併しごはんは感心しない。梅干しを添へてゐないのは何とか我慢するとして、炊き方がまつたく駄目なのには驚いた。何升か纏めて機械で炊いてゐるのだらうが、水加減だか機械の設定だかを間違つたのではないかと疑ひたくなる。それもまたお弁当の樂み方かと思つたが、これで千円以上の値段だつたらただ腹立たしいだけにちがひない。

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 掛川驛に着到する辺りで葡萄酒。[Alpaca]の二千十六年(半壜)カベルネ・ソーヴィニヨンとメルロ。

 南米の葡萄酒は大体が美味くて、駱駝の親類を名前にしたこの銘柄も、勿論その例外ではない。ミディアム・ボディは卓で呑むと、些か物足りなさを感じるのだが(お酒とちがつて赤葡萄酒はフル・ボディが好みなのである)、"居酒屋 こだま號"で呑む分には丁度よい。掛川驛を過ぎて豊橋驛に到る辺り、春雨のサラドをつまんだ。期待したより適はなかつたのは、春雨だからか酢が少々甘かつた所為か。

  (次の機会には蛸と若布と胡瓜の酢のもので確めなくてはなるまい)

と思ひつつ予め買つてあつたチーズをつまんだ。二百円とかそんな値段で賣つてゐるありきたりのやつ。さつき豊橋驛を出た計りの筈なのに、何故だか名古屋驛を過ぎてゐたからびつくりした。十五時四十五分。こだま號は速い。速いといふのは實感であつて、のぞみ號ならもつと速いと云はれたらすりやあまあ、さうなんだが、あすこまでになると寧ろ、飛行機の(遠い)親戚なのではないかと疑念が浮ぶ。のぞみ號は遅滞無く速やかにひとを運ぶ機能の純化であつて、きつとこれから開通するリニア新幹線はその純化が更にすすどくなつた姿になるだらう。それ自体を非難する積りは無いとして(併し"狭い日本、そんなに急いで"とかいふ惹句は思ひ出す)

 「特別急行列車で過す無為の何時間か」

は矢張り大切にしてもらひたい。移動の手段は合理的であればいいとは限らない。終着驛降車驛が目的地でない場合もあり得るといふ意味で、現に百閒先生は特別急行列車に乗りはしたが、大坂は目的地でも何でもなく、一泊して(折返すより旅費が廉になるのが理由)直ちに東京へと帰つてゐる。特別急行列車に乗(つて大坂に行つて東京に帰)る事自体が詰り目的であつて、かういふ(稀な)目的だと、高速で合理的なのぞみ號は、その高速と合理性が目的に適はなくなる。をかしいと思ふのはそれでいいけれども、さういふをかしな娯樂があつてはいけないわけではない。といふ事を考へてゐたら、我がこだま號は米原驛を發車した。"居酒屋 こだま號"の閉店時刻である。

 

■終り

 旧國鐵大阪驛から阪急大阪梅田驛に到る建物群は地下通路と廻廊、改装と新築と新規開店で複雑に絡みあつてゐる。三十年前はほぼ把握してゐたが、年に一ぺんの帰坂になつてからはまつたく不案内になつて、今はもう何がなんだか判らない。だから迷つて、新宿驛の周辺よりややこしいかも知れないと思つたら、笑つて仕舞つた。上新庄驛で降り、氏子になつてゐる神社(菅原道眞公を祀つてゐる)に挨拶をしてから、家に帰り着いた。湯を浴びて、ごはんとお味噌汁で簡単な夕食をしたためた。