閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

003 ライカIIIcの話

 ライカといふカメラについては、ライカの数以上にファンやマニヤがゐるから、詳しく知りたいひとはご自身で色々調べてみるのがよい。『ライカの歴史』(中川一夫/写真工業出版社)や『ライカポケットブック』(デニス・レーニ/田中長徳 訳/アルファベータ)辺りが讀み易いと思ふのだが、多分どちらも絶版だらうな。まあ著者出版社を撰ばなければ、今だつて幾らでも手に入る筈です。但し大半…殆ど…ほぼ全部が、酷い文章なのは、覚悟しなければならない。…いやライカに限つた話ではなく、一体にカメラ(とレンズ)に関はる本は、文章が酷い。さういふ文章を引用するのは苦痛だから、具体的に挙げはしないが、編輯者の能力は、こんな場合に発揮されるものではないのか知ら。まつたく不思議でならないよ。

 

 この稿は文章を論じるのが狙ひではないから、これ以上は控へませう。

 

 ライカの話。

 とすると、広範に過ぎるから、ここではライカIIIcといふ機種に絞ります。ライカと云へばM3だらうとか、ライカフレックスにも捨て難い魅力があるとか、色々な意見反論が出るだらうと予測は出來るが、IIIcにする。簡単に云ふと、ライカ史を見渡して、實に面白い機種だからで、何がどう面白く思へるのかを書かうと思つてゐる。

 さてここで、ライカIIIcの簡単な紹介…人物ではないが、まあ、いいでせう。

 俗に云ふ"バルナック型ライカ"は、I型II型の第1世代、III型からIIIb型の第2世代を経て、このIIIc型から第3世代に入る。製造は1940年から1951年の12年間。我が邦を見るとペンタックスLX(21年間)やニコンF(16年間)、同F3(20年間)といふ長期に渡つて生産された機種はあるが、これは寧ろ例外的で、おそらく今後、ライカを含めてかういふカメラは出てこないだらう。

「併しライカIIIcはペンタックスニコンに較べれば、長いとは呼びにくいんではないかなあ」

と思はれる向きがあるかも知れない。知れないがここで我われは、改めて1940年から1951年といふ期間に着目する必要がある。1939年にドイツはポーランドに侵攻してゐる。所謂第2次世界大戰の始まりですね。パリ入城が1940年。ド・ゴールのイギリス亡命もこの年である。翌1941年にモスクワ包囲戰で大敗してから、ドイツは転げ落ちるやうに敗け、1945年の降伏に到る。IIIcはかういふ期間のライカであつた。ペンタックスにもニコンにも、かういふ血腥さは感じられない。時代のちがひと云へば、それまでかも知れないが。

 

 生眞面目はいけませんね。

 のんびり進めませう。

 

 ライカIIIcを俯瞰すると、先づ前機種(IIIb)と比較して、幾つかの大きなちがひが見られる。ダイカストの全面的な採用がひとつ。これで軍艦部と一体化する形で前面のエプロンが構成された。またシャッターのダイヤルが高速/低速が完全に廻転する仕様になつたのも、ここからである。技術的には、II型で距離計に連動するファインダを採用して以來のブレイクスルー(次のそれが云ふまでもなくM3)といつていい。

 但し、出來は感心しない。これはIIIcの責任でないのだが、戰時の混乱が影響したのだらう、工作の精度や仕上げが粗く、ばらつきも大きい。かういふばらつきはライカ史でもう一ぺん、繰返されてゐる。1970年代後半のライカM4-2がそれなのだが、この時はライツ社が傾いた時期。またキヤノンAE-1が大ヒットを飛ばし、詰りライカが日本の一眼レフに大敗を喫した時期…比喩的な意味での戰争、或は敗戰…でもあつた。ここでルイ・ナポレオンの"二度目は茶番"を思ひ出すのは皮肉な感想か知ら。

 話を戻しませう。

 工作も仕上げも(残念ながら)感心するには足りないライカIIIcだが、その分、ライツ社が意図しなかつたヴァリエイションが實に多い。色々な分け方があつて、例を挙げると

 

⚫️戰時(前期)型

 巻き戻しの切替へレヴァに段がある。

⚫️赤幕

 おそらく戰時型の一種。シャッター幕が何故だか赤い。一ぺん見たことがあるなあ。

⚫️シャイニー・クローム

 おそらく戰時型の一種。鍍金の光沢が異なつてゐる。

⚫️戰後(後期)型

 巻き戻し切替へレヴァの段が省略されてゐる。

⚫️シャーク・スキン

 おそらく戰後型の一種。グッタベルカと呼ばれる人造皮革が縦になつてゐる。これは衝動買ひをして、直ぐに賣つた経験がある。

⚫️軍用

 主にドイツ軍で使はれたから、戰時型だらう。陸海空の順にHEER、MARINE、LUFTWAFFENがある。また英國海軍用もあるらしい。

⚫️IIIc-K

 シャッターにボール・ベアリングを採用してゐるらしい。寒冷地での使用に耐へるといふから、戰時型に見られるのだらう。

 

さうさう。軍用の贋物も挙げておきませうか。非常に豊か(?)なんですね。もつと云へば、セルフタイマーを組み込んだIIIdやフラッシュとの同調機構を追加したIIIfを、ヴァリエイションに含めても無理筋ではないと思へる。基本的な構造はIIIcと同じなのだもの。因みに云ふ。IIIcの生産台数は13万台余り(内約10万台は戰後型)これ以前のライカで10万台以上製造された機種はない。18万台余を賣り上げたIIIfには及ばないとしても、その時期を考へれば、立派な成功と見て贔屓目とは云へないでせう。

 かうなると工作や仕上げの粗さは、利点に引つ繰り返る。詰り入手が容易で、然も(ライカとしては)(比較的)廉価といふ意味。たとへばIIIaは約9万台造られた、戰前の成功機種だけれど、レンズとの組合せ…時代的な背景も含めた…を考へると、ちつと弱い。それに手入れの不安も少なからずあらう。IIIcの戰後型なら、多少はましに感じられる…のではないか知ら。 だつたらIIIfの方がいいぢやあないかと指摘されさうで、更に云ふとその指摘は正しい。そこを判りつつIIIcを推すのは、好みの範疇。客観的な基準なんて、ありやあしない。

 

 現時点でわたしは、銀塩もデジタルも、冩眞から少々距離を置いてゐる。なので現實的に入手を考へてはゐないのだが、仮にIIIcを持つとして、どんな揃へ方をするだらう。空想或は妄想でかまはないとすると、こんな風になる。

 ボディは戰後型。シャーク・スキンがいいな。綺麗でなくてもかまはないが、手入れの行き届いた、調子のいいやつを2台。内1台にはSCNOO(ライカピストル)のIIIc対応型をつける。SYOOM(ライカビット)もあるらしいのだが、使へるかどうか解らない。

 さて次はレンズ。ピストルなしのボディには先づ、50ミリを。クセノンF1.5(ズマリットではなく)、ズミタールF2の2本。F3.5と地味な明るさだが、ズマロン35ミリも挙げたい。使ひこなす自信は兎も角、21ミリF4のスーパーアングロンも慾しいところ。ピストルをつけた方には、28ミリF5.6ズマロンがいい。速さに徹した組合せでせう。焦点を3メートル辺りにしておけば、贅沢な写ルンですの出來上りである。さうさう。これだけだとモノクロームのフヰルムしか使へないから、35ミリF2ズミクロンを追加する。尤もこのレンズ、生産数は600本足らずだから、そもそも出廻つてゐるのか、どうか。

 細かいアクセサリにも、目を向けなくてはならない。35ミリ用ファインダ(SBLOOまたはSBKOO)と28ミリ用ファインダ(SLOOZ)は必須。50ミリ用ファインダ(SBOOI)があれば、もつといいだらうか。或は35ミリと50ミリは、イマレクト・ファインダとも呼ばれるVIOOH(ニューヨーク・ライツ社製で似たものがあるらしい)に任せてもいい。

 フードやフィルタは原則的に不要と考へるが、ズマロン28ミリだけは例外。SOOBKといふ姿の綺麗なフードがあるので、これは是非とも取りつけたい。それからズミタール用の近接撮影装置(おそらくSOOKY)も慾しい。ズミタール用NOOKYと記載してゐる本もあるが、SOOKYがズミクロン用であり、ズミタールがズミクロンの原型といふ点を考へれば、NOOKYではないと思へる。

 

 ピストルをつけた(何だか物騒ですねえ)IIIcは長めのストラップで首または肩からぶら下げる。ピストルなしの方(こちらは平和的)は、手首を通せる短いストラップを片側につけて、レンズと一緒に鞄にはふり込む。それでぶらぶら歩いて、気が向いたら撮る。さうならなかつたら、まあそれはそれでいいし、日が暮れたらそのまま呑みに行けばよい。生眞面目なファン乃至マニヤには厭な顔をされるかも知れないが、冩眞を撮り、或は機械を愛でるのは、生眞面目なファン乃至マニヤに任せたい。尤もさういふのはニコンでもペンタックスでも様になるけれど、呑み屋で肴になるのはライカだけなのは、指摘しておいてもいいでせう。

 

 ここまで書いて、IIIcに限らず、ライカは何べんか買つたことがあり、ライカを肴に呑んだこともあつたが、モーゼルを添へた経験がないのに気がついた。人生にはいつでも未経験が残されてゐるのだなあ。