閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

010 リコーのXR-8

 リコーのカメラは何となく、好きである。何となくだから、ここがかういふ理由で好きなのだと云へるわけではない。好惡の感情はさういふものだから、仕方がないでせう。

 最初に買つたのが、XR-8といふ一眼レフ。リケノン50ミリF2レンズが一緒になつて、29,800円だつたと記憶してゐる。新品の価格。カメラの衝動買ひは何べんか経験があるんだが、予備知識を持たず、新品に手を出したのは今のところ、この時だけで、要するにそれだけ廉価だつた。当り前と云へば当り前で、先づ新品で出された当時でも既に時代遅れな、機械式カメラだつたのがひとつ。この頃、同じ構造だつたのはニコンNewFM2くらゐではなかつただらうか。尤もお金の掛け方は丸でちがつてゐて、リコーのは(後から知つたのだが)コシナOEMだつた。要はコストが廉についたから、市場にも廉で出せたのだらう。責める積りはない。オリンパスも京セラもキヤノンも、また前述のニコンも、コシナからOEMの供給を受けてゐたし、コシナ自身、自社の別製品に転用してもゐた。ベッサがそれで、あれを發賣当初から廉に出せたのは、金型の減価償却が終つてゐたからだと讀んだ記憶がある。やるねえ。

 話が逸れない内に、戻りませう。

 さて。リコー製一眼レフはKマウントといふ規格を採用してゐた。ペンタックスが基本を公開したので、幾つかの会社が採用した筈である。本家ペンタックスでは、電子化に伴ふ変更を加へながら、今も基本は変らない。これは中々に大したもので、Kマウントはアダプタを使ふことで、M42マウントとの互換性を保つてゐる。例外や制限はあるとしても、融通が利くのは事實で他に似た例を考へるとMマウント採用時、Lマウントとの互換性を考慮したライツくらゐではなからうか。尤もライツにはMマウントを採つた当初、肝腎のレンズがなかつたといふ事情があつたけれど、まあそれはこの閑文字の本題ではない。XR-8は前述のとほり、機械式カメラである。従つて、電子制禦の縛りつけとは無縁なので、諸々の不便に目を瞑れば旧式のタクマーやフジノン、もつと旧式の東獨ツァイスだつて、その気になれば使へなくはない。ここで注釈をつけると、M42マウントでも電子制禦対応のレンズはあつて、ねぢ込む位置をボディ側のピンで留める構造になつてゐるのは、用心しなくてはならない。用心以前にその気になるかどうかの問題があるのだけれど。

 「そんならリコーより、ペンタックスを撰ぶ方が正しくはないかな」

といふ疑問がここで出てくるのは容易な想像で、それは確かに尤もなのだが、ペンタックスは先取の会社であつて、早い時期から露光の自動化に熱心だつたと指摘しておきませう。要するに今から撰ぶとすると、MXくらゐだし、そのMXも程度のよいのを見つけるには、余程手間が掛かるし、お金も掛かる。面倒でいけない。その点、XR-8なら見つける手間は兎も角、買ふならどうだらう、数千円辺りが精々ではあるまいか。實に廉である。仮に壊れたとして、買ひ直せば済む。本当かどうかは知らないが、XR-8が現行機だつた頃、リコーの某氏がこれを"世界初の使ひ捨て一眼レフ"と呼んださうだ。自虐的と思へなくもないが、今になつて、すすどい見立てであつたと解る。事實、最初に買つたXR-8を賣り払つた後、何度か中古で買ひ直した最後の個体が手元にあつて、これはこのカメラの"資産性のなさ"が、(少なくとも)(わたしにとつて)好もしいものだといふ、間接的な證明になつてゐると思へる。

 併しレンズが高額についたら、身も蓋もないよねえ、といふ指摘がありさうで、その指摘には、手元にあるペンタックスのM50ミリF1.7と同28ミリF2.8がどちらも数千円くらゐだつたと切返しておきませう。すりやあ、例外はある。数が少ないとか、大口径とか、現行のデジタルカメラに転用し易いとか、或は著名なひとが褒めたとか、そんな事情があれば、値札を見てうんざりさせられることだつて、十分に考へられる。だがそれはKマウントに限つた話ではない筈で、そこに目くぢらを立てるのはをかしいよ。フヰルム式のカメラはどうしたつて、お金が掛かる趣味なのだから、最初の投資は少ない方がいい。それに廉価に入手出來る旧式レンズでは、いい冩眞が撮れないと思ふのはただの勘違ひである。植田正治木村伊兵衛土門拳が仮に現在、かれらが存命だつた頃のレンズで撮つたとして、それがいい冩眞にならないだらうか。冩眞がひとの目と手から生み出されるものだとすれば、それは機械の性能を必ずしも要求するわけではないことを、我われはもう少し、考へてみても損はしないでせう。

 冩眞論めいた話は横に、冩眞やカメラを遊びの道具と見立てるとして、ニコンニッコールやライカにズミクロンでなけれぱズミルクスを奢る方法は否定しない。確かに姿は綺麗である。眺めながら一ぱい呑めるくらゐ。それに事實上、滅びたフヰルム式カメラに、さういふ見た目の要素を求めるのは惡くない。但しそれが全部…でなければ優先されるべきといふ風潮…フヰルムでもデジタルでも…を感じることがあつて、それはこまる。カメラである以上は、その気になれば持ち出せるのが矢張り、欠かせない條件であつて、そこには気樂さがあつてもらひたい。それは僻目だよ、ニコンでもライカでも出來るさと云はれるかも知れず、さう云はれると、かも知れないなあとも思はなくもないけれど、XR-8ならニコンやライカに遣ふお金の何パーセントかがあれば、ボディにレンズ、フードやストラップの類まで揃へられて、余つた分はフヰルム代や現像代、撮影後の呑み代にまはせる。貴重なお小遣ひの費ひみちとしては、こつちの方が健全ではないか知ら。

 

 ここまで書いた後、久しぶりにXR-8を使はうか思ふ、と續けば恰好いいんだが、わたし自身は現状、冩眞やカメラ趣味から一歩、退いてゐる。いつかその気になつた時、このカメラが手元にあれば宜しいのだと、ここでは居直つておかう。