閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

018 方向ちがひ

 南米産で欧州に持ち込まれた頃(勿論西班牙人の仕業)は観葉植物だつたらしい。トマトの話である。最初は毒を持つと考へられてゐて、飢饉の折に無理をして食べたのが我われに馴染む切つ掛けだつたといふ。栽培され流通に乗り出したのは十八世紀辺り。といふことは三世紀かそこいらで希臘人や伊太利人の食卓から欠かせなくなつたのか。数千年に及ぶ地中海の文明時間から見ると、ごく最近の出來事と云つていいし、大した出世だと云つてもいいでせうね。日本に入つた当初も赤茄子だとか呼ばれて、観賞用だつたといふ。本格的に食べられるまでになつたのは随分と後になつてからで、流石にご先祖も手子摺つたらしいや。洋食のソース作りで経験を重ねたにちがひない。今の視点から云ふとどうしたつて旨いから、苦心を偲ぶのが六づかしいけれど。

 

 一ばん簡単なのは鶏肉を焚くことだらうか。鍋にざくざくと切つたトマトを大量にはふり込み、ごく弱い火に掛ける。鶏肉は焦げない程度にざつと焼いて鍋に追加する。味は塩胡椒で好みに調へればよい。単純すぎて詰らなければ玉葱でもキヤベツでもセロリーでも大蒜でも胡瓜でも入れればいいが、あれこれ慾張らない方がよささうに思へる。水は使はない。

 同じ焚きものなら牛肉を使ふ手もある。ごろりとした肉を塩胡椒で炒めて(これははつきりした味つけの方が好もしいと思ふ)から麦酒でゆるゆる煮るので、面倒ならピューレだつていいんだけれど、トマトを使ふと贅沢な気分になれる。この場合、主役は牛肉だからトマトの皮は剥いておく方がよいし、他の野菜を入れるなら細切れといふか千切りといふか、余り目立たせないのがいい。

 牛にしても鶏にしても一ぺんにたつぷり作るのが望ましいが、そんな単純な食べものには勿体無いと思ふなら主だつたところは立派な料理に仕上げて、切れ端をトマトやレタスと一緒に炒めるのもいいし、臓物を使へばもつといい。なーに、下茹でに時間が掛かるくらゐでこんなのは面倒でも何でもない。淡めの醤油で味つけしてトマトをはふり込む。匂ひが気になるなら生姜でも忍ばせればいいでせう。お味噌汁の種にも似合ふくらゐだから、味噌仕立てでも旨いんではないかな。洒落たお皿に盛つてパセリでも散らし、木の匙を添へて出したら、葡萄酒に適ふつまみになりさうだ。さう云へば[AWA]といふ葡萄酒の立ち呑み屋でトマトソップ仕立てのおでん(辛子ではなく粒マスタードで食べる)を出したことがあつて、あれは中々旨かつた。かういふ工夫を怠らないお店は嬉しいものです。希臘人や伊太利人が歓ぶかどうかは保證の限りではないとして。

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 それで何故こんな話を始めたかと云ふと、珈琲に似てゐる…欧州の外から入つてきて食卓を席巻した辺りが…と思つたからで、それは過日偶々飲んだ一ぱいの珈琲からの思ひつきだつた。どうも我ながら連想の方向が間違つてゐたらしい。