閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

023 人生の先の

 かう云つては何だが、俗に"B級グルメ"と呼ばれる食べものは大体それほど旨くない。それぞれの地元のひとに叱られるだらうから、具体的な名前を挙げるのは避けるけれど、ほら、皮肉含みで"名物にうまいものなし"と云ふでせう、あれに事情は近い。尤も伊豫の別子飴のやうにそこを逆手を取つて、"名物にうまいものあり"と名乗る例もあるし、實際に別子飴はうまいから、油断するわけにはゆかない。話を戻しながら考へるに"B級グルメ"はその為にわざわざ作つた印象が強くて、どの町でもどの地域でもいいんだが、それと食べものとの結びつきが想像しにくい。ここでそもそもの話をすると"B級グルメ"といふ言葉自体がをかしくて、グルマンディズ…詰り美味いもの好きを歓ばせる食べものなら、"B級"では有り得ない。素材がどうかうとするひとがゐるかも知れないが、そんな区別が仮に成り立つとして、どこに線を引けばいいのだらうと疑問を呈する余地はある。

 

 それで旨いのに不当な低い扱ひをされる代表に臓物を挙げるのは妥当かと思へて、臓物の煮込みや串焼きはまつたく素敵なのに、臓物だからといふ理由で、だつてねえと云はれるのは気の毒でならない。檀一雄はこれを"日本人の清潔好き"と残念がつてゐて、余人が嘆くなら兎も角、放浪者で転がり込んだ土地でめしを喰ひ、また作りもして

「ひとが棲む土地には、その土地に根差したうまいものが必ずある」

と喝破した檀が云ふのだから説得力が凄い。そして小説家を気取りながら云へば、山梨の鶏もつ煮は土地に根差したうまいもののひとつと考へていい。尤ももつ煮とは云へ、鶏の臓物を醤油と砂糖のたれでねつとりと煮詰めてゐるから、牛や豚のそれとは見た目も味はひも丸で異なつてゐる。

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 1950年頃…昭和25年頃と呼ぶ方がしつくりするが、そのくらゐの時期に原型が出來たらしい。鶏の臓物を棄てるのが勿体無い、何とかならないかと考へたのが切つ掛けといふ。太平洋戰争後わづか5年だから、食べものをどうにかするのは切實な問題だつたらうと想像出來る。併し臓物を食べる習慣のない"清潔好き"にどうやつて受け容れてもらふのかと考へた時、煮貝…鮑などの醤油漬けが浮んだのではないだらうか。これは保存の手段だが、貝それ自体の味ではなく、別種の濃い味の食べもので、甲州人はかういふ味つけに馴染みがあつたと思へる。但し貝類のやうに時間を掛けて漬け込むわけにはゆかず、煮詰める方法に辿り着いたのが妥当な推測ではないか知ら。かうすれば"清潔好き"が苦手とする臓物の匂ひを打ち消しつつ、甲州人が好む(だらう)濃い味つけの一品が出來上がる。

 まあかういふ想像や推測は兎も角、と云ひたくなるくらゐ、この鶏もつ煮はうまい。どちらかといへば下品な味に思へるのだが、この場合はその方が好もしい。熱いのをつまんでから麦酒や冷や酒で口を冷やすのが愉快だし、冷めてきたら七味唐辛子をざつと振りながら食べると、甘みの勝つた元の味に変化があつて、これもまた宜しい。仄聞したところ、ごはんに打ち掛ける食べ方もあるさうで、些かしつこいのではないかとも思ふが、ほんのひと口なら熱いお茶と適ひさうでもある。併しきつと似合ふのは葡萄酒。甲州種で仕上げた切れ味のいいからい白と組合せたり、もつたりした野暮つたい赤…甲州勝沼の葡萄酒だと撰ぶのは六づかしいだらうが…でも旨からうな。一ぺん試してみたいのだが、案外とさういふ機会に恵まれてゐない。人生の先に愉しみがあるのは悦ばしいと考へておかう。