閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

024 試し飲み

 呑むと云ふ場合、大体は呑み屋か家での話になるでせう。わたしが書く時は殆どがその前提になつてゐるし、讀者諸嬢諸氏がさういふ話をする時だつてさうではないかと思ふ。勿論それがいけないのでなく、例外があるのだと云ひたいので、それが何かと云へば試飲である。百貨店で催される機会もあるが、矢張り本筋は日本酒の藏やワイナリ、麦酒工場、ヰスキィなら蒸溜所に足を運ぶことだらう。その場所で案内を受けてから呑むと、味はひが異なる気がする。気がしてゐるだけなんだらうが旨いと思へるなら得だとも云へる。

 ことに嬉しいのは呑み較べをさしてもらへる場合で、はつきり目的のある呑み較べ…葡萄酒で云へば葡萄の品種にヴィンヤードやヴィンテージで比較さしてくれる…だとちがひを意識出來て、かういふのは同時に試さないと實感が六づかしい。實感出來なくたつて美味いものは美味いよと云はれさうで、それは正しいのだが、解つたらそれはそれで愉快ではありませんか。尤も藏またはワイナリ或は蒸溜所の立場だと、限られた量から出さなくてはいけないから半ばは迷惑かも知れないと思へる。そんなら呑まないのかと訊かれたら首を横に振るのは疑ひの余地はなくて、我ながらいい加減なものである。

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 なので余り文句を云つてはいけないと解つてはゐる。ゐるのだが不満がないとも云ひ切れない。呑み助の我が儘なのだと思つてもらつてかまはなくて、一部の例外を除くとおつまみが用意されないのは困る。葡萄酒でもヰスキィでも、日本酒や麦酒、焼酎に泡盛でも、食べものがあつて綺麗に完成するのだから、自慢の銘柄に適ふ一品を添へてもらひたいよ。普段は呑む機会の少ないものならなほのこと、さういふ愉しみのヒントを示すのも、試飲の大切な役割になるのではないか知ら。

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 勿論醸り手としては心血を注いだ一ぱいを味はつて(それから買つて)もらひたいと考へてゐるにちがひなく、それは正しい望みでもあるんだが、ささやかな経験で云ふと、それだけで呑めば旨くても食べものとあはせにくい銘柄があるのに対して、それだけだと物足りなく感じても食べものがあればぐつと引き立つ銘柄もあるのは指摘してよいと思はれて、わたしの嗜好で云へば後者を好もしく感じる。それは併し試してみなくては解らない。おつまみの用意が無理なら、賣店で買つたものくらゐは持ち込みを認めてもらへたら、試飲の持つ意味が広くなると思はれるのだが、我が讀者諸嬢諸氏には如何だらう。