閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

025 山梨に行つたこと

⚫️11月23日。

 起床6時。雨音を耳にネスカフェを一ぱい。

 天気予報で北斗市を調べると午后から晴。捨てる前提のビニール傘を持ち出すことにする。

 07時08分發の落合から中野経由07時15分快速で新宿着は07時19分。残念ながら立ち喰ひ蕎麦を啜る閑はなし。

 新宿驛でお弁当(復刻御鯛飯880円)を買つて07時30分頃、頴娃君と合流。

 未練がましく煙草を吹かしてから08時00分發スーパーあずさ5號に乗り込む。暫く喫せないと思ふと些かうんざりする。

 發車は恙無し。三鷹を過ぎてから御鯛飯。包み紙の添書が面白かつたので記す。

『本品ノ良否ニ関シ御心付ノ點アリタルトキハ列車内若クハ驛鐵道係員ニ御申告願度候』

鯛のそぼろが予想よりも多くてあまい。御心付ノ點アリタリかと思つたが、御申告は控へて山葵漬けをあはせつつサッポロラガーに同黒ラベルの黒麦酒仕立て。

 改めて包み紙を見ると、描かれてゐる路線が目に馴染まない。見直すと御殿場から下曽我(曽我兄弟出生地との但し書きあり)、國府津、小田原を経て熱海伊東方面と、湯本から大涌谷或は元箱根方面で、現在の東海道本線が載つてゐない。時代のちがひを感じながらQBBチーズをつまみに井筒桔梗が原。気がつけば頴娃君は出羽桜のカップを3本も空にする。

 甲府に近くなつて空が明るくなる。雲の立体感が見事で凄いすごいと自然を褒めそやすうちに小淵沢に到着。

 バスで[白州蒸溜所]へ。10時30分の見學。予約しての見學は初めてで案内の担当…稲田(元)防衛大臣をもつと美人にした感じ…の説明とあしらひが上手いのに喜ぶ。樽の貯蔵場所は文字通りの馥郁。ここで息が切れても悔ひはなし。

 試飲は3種。原酒(ホワイトオーク樽とライトリーピーテッド)のちがひ、さらに完成した白州とのちがひは驚きに価する。ハイボールの旨い作り方講座。頴娃君は験さず。旨かつたのに勿体無いなあ。有料の試飲で白州と山崎、いづれも12年。

 小淵沢から小海線でひと驛、甲斐小泉に動いて[三分一]で晝めし。もりを一枚。鶏もつ煮と麒麟一番搾りの中壜をあはせて1,750円。鶏もつは佳し。但し肝腎の蕎麦は平凡といふところか。頴娃君は同じくもりに天麩羅の盛合せに谷櫻。揚げた蕎麦の小袋をお土産にもらふ。

 歩いて驛前の平山郁夫美術館。平山の絵は大したことはないと思つた(醉つてゐたからか知ら)けれど、佛像のコレクション…ことに彌勒さまの立像は素晴らしかつた。

 小淵沢に戻つて[久保酒店]に足を運んで、"横笛"(ひやおろし/純米/)300ミリリットル(680円)を2本買ふ。これはタンク買ひだから、他所で呑むのは六づかしからうと思ふ。頴娃君は自分用に"眞澄"を1本。甲府までは各驛停車。サッポロ黒ラベル500ミリリットルを1本。

 ホテルはAPAの甲府南。何となく古い感じがする。別のホテルを改装したのか知ら。近くの[オギノ]でヱビス・ビール(6本入り)やお弁当、刺身、餃子その他を買ひ込んで部屋で宴会。

⚫️11月24日。

 起床6時半。薄く汗をかいたのか、少し厭な感じ。ぼんやりするうち罐珈琲が飲みたくなつてホテルの1階に降りたが、自動販賣機には麦酒しか見当らなかつた。道路向ひに[ローソン]はあるけれど、スリッパで降りてゐたから断念。

 07時40分から朝めし。かつサンドとヱビス・ビール。前夜のお惣菜の残りを少々。バスで甲府驛を経由して各驛停車に乗り込む。

 勝沼ぶどう郷驛着は10時過ぎ。散ら散ら撮りながら[勝沼ワイナリー]を経由して(試飲した限り感心にまでは到らなかつた)、[マルキ葡萄酒]へ。"マリアージュツアー"への参加だが、20台半ばよりは年上だらうお嬢さんが案内役。この醸造所は表記がマルキとまるきで一致しないことが屡々あるのだが、お嬢さんの説明に曰く

「カタカナのキを丸で囲んでマルキと称するに到りました」

ださうだから、マルキでいいのだとする。平仮名のまるきも愛嬌があると思ふんだがなあ。

 仕込みの規模は非常に小さい。醗酵から樽と保管庫までひと渡り見學。お嬢さんの話しぶりは現代風だけれど軽薄ではなく、日川といふ地名の由來…戰で流れた血が3日に渡つて水面を染め、三日日血川と呼ばれたさうだ…や、葡萄と桃を栽培する土地のちがひ…前者は水はけを求め、後者はそれほどでもない…を教へてくれた。

 壜の保管は一升瓶。キルクと王冠で栓がされてゐる。葡萄の品種がメモされてゐて、併し一部は古すぎて"不明"なのが可笑しかつた。呑めば解るか知らと訊いたら首を傾げてゐた。また先代のオウナーが是非にと醸した巨峰の長期熟成があつて、お嬢さんが云ふには

「とてつもなく、まづい」

由。酒税の関係で無下に廃棄も出來ないさうで、先々どうなるのだらう。

 葡萄畑では羊が数匹働いてゐる。下草を食べ、蹄で土をやはらかくするさうだが、隣の畑の葡萄をつまみ喰ひしたり、雄雌を同じヴィンヤードに入れたらいつの間にか増えてゐたり(増えた羊は系列の畑に派遣されてゐるさうだ)といふ話。雄はひとなつこく、雌は用心深い。確かに畑の奥で動かずこつちを見る雌羊(2匹)は、同じ姿勢でぴたりと止まり、あからさまに"用心してゐるよ"とでも云ひたげな様子だつた。

 マリアージュはピックルスにチーズ、ソーセイジ、カナッペの3種類。南野呂ベーリーAや樽熟成の甲州などの5種。中でも10~20年熟成の白をブレンドしたのには感心する。非常にあまく、ブランデーを練り込んだお菓子を液体に戻したやうな香りと口当り。色々解説があるのかと思つてゐたら、はふり出されて気樂に味はへた。気遣ひなのか面倒な来訪者と思はれたのか。窓からの景色佳し。上述の日川や葡萄と桃の話はこの時に。

 ここで[マルキ葡萄酒]の"ぎゅっとワイン"について訊く。以前は"ひょいとワイン"でその頃から愛用してゐたのが、急に銘柄が変更されて不思議だつたのだ。お嬢さんはよく知らなかつたらしく、何故だか栽培の担当氏が登場して説明してくれたところだと、どうもオウナーが替つた際に併せて変つたらしい。因みにこの"ぎゅっとワイン"には羊があしらはれてゐて、詰り葡萄畑の羊諸君。今回も帰りには買はねばならぬと思ふ。

 藏を後に[シャトー・メルシャン]へ移動。長野メルロー2015年と一文字短梢 キュヴェ・タンザワ2016年を試飲。久しぶりに呑んだ短梢の切れ味は相変らず美事。散々頭を悩ましてホテルへの持帰りは頴娃君推薦のマリコ・ヴィンヤード・サンジョヴェーゼ2015年。前日同様、[オギノ]でヱビス・ビールやお弁当を仕入れて酒席。食事の邪魔をしないマリコの穏やかな口当りに感心する。葡萄酒は食事に似合つてこそ華である。

⚫️11月25日。

 起床7時。麓のもやを眺めながら一服点け、ヱビス・ビール、横笛の残り、おにぎりと白菜のお漬物とチーズで朝めし。昨日今朝と珈琲を飲まないので落ち着かず。チェックアウトして(バスが無いので)身延線経由で甲府の[サドヤ醸造場]へ。1917年創業といふから1世紀の歴史(但し葡萄酒醸造大正6年からとのこと)がある。残つてゐる最も古いヴィンテージは1950年。[マルキ]は確か1952年だつたか。それ以前になると太平洋戰争の爆撃とその後の貧な日本といふ経済の所為で、殆ど残つてゐないらしい。熟成させる前に賣らなくちやあならなかつたさうだ。

 今上陛下が皇太子殿下の当時、ここにに來場あそばされたといふ。但し"公務中"の為に折角の葡萄酒をきこしめはなさらず、ブランデーに浸したクッキーだかを召し上つたさう。勿体無いといふか無粋な話で(宮内庁よ、反省し玉へ)、やんごとなき方にはお気の毒だと深く同情しつつ、平民の気樂さを密かに寿ぐ。

 見學の地下貯蔵庫は元々仕込の部屋。今は手動の圧搾機や打栓機を展示してゐる。ほぼ立方体と思へる部屋はほぼ全面がタイルが貼り。仮もしうつかり葡萄酒の素が流れ込んできたら溺死は疑ひない。さういふ溺死なら惡くないと思つたが、外の見學者の手前、口に出すのは控へた。

 試飲は3種。ヴァンロゼ・ヌーヴォ2017年、オルロージュの白(ヴィンテージ不明/甲州シャルドネブレンド)、同赤(ヴィンテージ不明/マスカット・ベーリーAとカベルネ・ソーヴィニヨンブレンド)を順に樽の貯蔵庫(ここで年間10組以上が結婚式を挙げるとやら。粋な趣味だねえ)で。いづれも宜しい。ことにオルロージュの赤はベーリーA特有の甘みをカベルネ・ソーヴィニヨンが巧妙に受けた出來で感心に価する。尤もどの銘柄も食事があつて完結する味はひに思はれた。生ハムとまでは云はないけれど、チーズのひと欠片かピックルスくらゐは慾しかつたなあ、残念。

 案内の青年の話しぶりや佳し。冗談を混ぜつつも明快。受け応への中で山梨大學の學生(20歳。岡山の出身)と知つて驚かされる。葡萄酒の勉強をしたくて山梨に來たんですといふ。落ち着いた青年で本人曰く、30歳くらゐに見られることもあるといふ。本当かなあと思つたが、かういふ場合は笑ひ聲をたてるのが礼儀であらう。丁寧な話し方に感銘を受けた頴娃君がブランデー(青年曰く實に旨いです)を購つてゐた。

 甲府からバスに乗つて山梨県立美術館に移動。好天で風もなかつたから、筋向ひの[セブンイレブン]でキリン・ラガー(350ミリリットル)とサンドウィッチと串の唐揚げ。それから罐珈琲を買つて公園で食べる。安い罐珈琲が妙にうまい。頴娃君はキリンの一番搾りに七賢、おでんと豚まん。よく食べるなあ。

 美術館では常設のミレー。ポーリーヌもお針子も変らぬ愛らしさ。待つてゐてくれて有難うとお礼を云ふ。今回はダニフスとクロエと無原罪のマリアさまに何故か惹かれた。どちらも奇妙にエロチックなものを感じたからで、これが絵画のちからなのだらうか。羊(飼ひ)をモティーフにした幾枚から[マルキ葡萄酒]の羊が連想されて、笑みが浮んだ。紅葉は盛りを過ぎてゐたが、館内館外どちらも冨士がくつきりと見え實にいい気分。

 14時59分の快速バスで甲府驛まで。サッポロ黒ラベル(500ミリリットル)とマルキの"ぎゅっとワイン"を買つて15時55分發スーパーあずさ22號に乗る。頴娃君はいつの間にか買つてゐた唐揚げをつまみながら呑んでゐる。途中で約2分の遅れが生じたものの、新宿驛には恙無く定刻到着。帰宅して素早くベッドにもぐり込んだ。