閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

033 新大阪驛まで

 12月23日。土曜日。中野の某呑み屋で知人の女性と1年ぶりくらゐに会ふ。昨年も同じ時期に会つてその時は1月か2月辺りにまた呑まうと云つてゐたのが丸々一年過ぎて仕舞つた。どうも彼女はわたしが誘ふと思つてゐたらしく、笑ひながらどういふことよと云つてきて、そんなら貴女から連絡してくれたつていいだらうさと反論したら、こつちは週末と祝日が休みだけれど、あなたはちがふものとさらに反論されて、すりやあ申し訳なかつたと頭を下げた。
 その某店…名前を出さないのは狭いお店だから、へんにお客が入ると迷惑だらうからで、お酒の揃ひは並みだけれど何の問題もなく、詰りつまみが旨い。つまみがうまければ、お酒の揃ひは並みで支障はなく、つまみが呑みものをうまくする。さういふ場所で銘柄だの香りだのを八釜しく云ふのは字義通りの拘りで、ゐてもいいけれど酒席を共にするのは敬シテ遠ザケたい。それで協議の結果、先づは焼きソーセイジ、苦瓜と厚揚げの炒めものを注文した。わたしは麦酒。彼女は焼酎の水割り。苦瓜はきらひだつた筈だから念を押したら、厚揚げを食べるからかまはないといふ返答で、苦瓜もちよつとは食べるよとつけ加へたから、可笑しかつた。
 お喋りは色々な方向に飛ぶ。呑めば酔ふし、酔へば何の話をしても聞いても面白い。面白くない相手とは喋らないし、そもそも呑まうと思はないから、話題が飛ばうが戻らうが面白いに決つてゐる。冷や酒に切り替へ、莫迦話の花を咲かせてゐる内つまみがなくなつてゐたから、焼き餃子とらつきようを頼んだら、この焼き餃子が素晴らしい出來だつた。口当りから察するに皮からちやんと仕立ててあつて、それ自体は褒めなくていいかも知れないけれど、仕立てた皮と餡と焼き具合が案配の宜しきを得てまつたくうまいつまみになつてゐた。かういふつまみにお酒が適はないのは明らかだから、こちらも焼酎の水割りにして、いや我が讀者諸嬢諸氏よ、焼き餃子には麦酒とは限らない。わたしが呑んだのは甲類だつたが、その無愛想さ加減が寧ろ餃子に似合つてゐて、乙類や黒糖焼酎泡盛ならどうだらう。機会を作つて試してみなくちやあ。その後に韮卵煮とお漬物の盛合せを出してもらつて解散。次はもつと早く誘はうと思つた。
 翌12月24日はかるい宿酔ひ。ふたりで甲類の壜をほぼ1本空にしたのだから、妥当なところだらう。何べん繰返しても馴れない頭の重さを感じ、珈琲をがぶがぶ飲みながら洗濯機を2回まはす。序でに食器も洗つて、これでよからうと思ひつつ、荷物の準備を始める。デイパックにトートバッグ、分割用の小さなショルダーバッグ、それからウェイストポーチ。お午前に家を出る。東中野驛から中野驛に行つて、驛内の[あじさい]で月見蕎麦。本來は叢雲に見立てたとろろ昆布を乗せるのだが、たかだか立ち喰ひ蕎麦にそこまで求めるのは筋がちがふ。温泉卵だつたらも少し月見らしくなるだらうか。中野から中央快速線で東京驛へ。何だかひどく混雑してゐるなあと思つたら、日曜日でクリスマス・イヴでもあつた。成る程ねと思つてから、面妖な感じがされた。面妖な感じのままお土産を買つてプラットホームに上つたら、こだま661號新大阪行が既に入線してゐたから乗り込んだ。
 東京驛の發車は定刻の13時56分。新横浜驛まで我慢してから、ヱビス・ビールの“華みやび”500ミリリットル罐を開けて、ハムタマゴ・サンドウィッチを食べつつ呑む。熱海驛を過ぎた辺りでサッポロ黒ラベル350ミリリットル罐。掛川驛に着到する前にピーナツをつまみながら呑み干す。15時38分。宿酔ひはどうなつたと苦笑が浮ぶ。15時52分、浜松驛でこだま662號東京行(N700系)とゆきちがふ。だからどうなのだと自問しつつ、モンデ酒造の“プティ・モンテリア”(山梨は石和の藏。300ミリリットルの罐入りで葡萄種はカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロ。異なるヴィンテージをブレンドしたのだらう)の蓋を開ける。まあ惡くない。ブレンデッド・ヰスキィと同じで、格別ではないとしても、安定はしてゐる。ぼんやり呑んでゐる間にこだま661號は豊橋驛を過ぎ、三河安城驛へと進んでゐたから驚いた。こだま號つてこんなに速かつたか知ら。速度に対する感覚は相対的なもので、同じ新幹線でものぞみ號に較べたら随分と暢気な運行なのだらうとは解るのだが、偶さか乗る特別急行列車は中央本線のあずさ號で、新宿驛から甲府驛まで1時間半くらゐだと思ふと、今更ながら夢の超特急といふのが實感される。
 併しここで思ふのは“ある乗り物で受け容れられる速度”にはもしかすると上限があるのではないか。蒸気機関車ヂーゼル機関車だつたら時速90から120キロメール辺りといふ風に。技術の粋を集めた新幹線なら時速250キロメートルといふ風に。そこを突き抜けて仕舞ふと、どうにもかうにも不安になる。何が駄目なのではなく、蒸気機関車ヂーゼル機関車が時速180キロメートルで走つたら速度を喜ぶ前にこれは大丈夫かと(不安を)感じるのが当り前の感覚で、のぞみ號は確か東京驛から新大阪を2時間余りで踏破する筈だが、それは当然より異常に属する速さだと受け止める方が正しさうに思へる。だとすると東京驛發新大阪驛行こだま號があらまし4時間を掛けるのは体感として誤りではなささうにも思へて、4時間は掛かり過ぎだと感じるなら、それは体感が狂つてゐるのではなからうか。葡萄酒の罐を空にしつつ、そんなことを考へてゐたら、こだま661號は恙無く新大阪驛に着到した。尤も恙無かつたのはダイヤグラムだけで、大坂は冬の雨だつたからうんざりした。