閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

034 旧い友人と呑む話

 自慢ではなく、卑下することでもないだらうが、わたしは広範な人間関係がどうにも苦手である。公の部分は公が求めるのだから仕方がないと諦めるとして、私の方は自分から狭めはしなくても、積極的に広げ、或は深める積りになつたことがない。その所為か知らない土地で知らないひとにたとへば道を尋ね、たとへば神社仏閣の由來を訊くなど、とても出來ない。もつと卑近にどこかの食堂でうまいものを食べた折りに、これは何ですと訊く勇気の持合せもなくて、これは長年の内に染み着いた習性だから今さらどうにかなるものでもない。尤もそれでつき合ひが續く場合も時にはあつて、そんな相手は半世紀生きてひとりかふたり、ゐてくれれば贅沢なものではなからうか。大坂にエヌといふ男がゐる。某社の研究所に勤めてゐるらしい。らしいといふのは詳しい話を訊いた記憶がないからで、それ以上に訊く積りにもなれない。こちらも自分の仕事がどうかうだと話もせず、では何の話をするのだと云はれたら大体は莫迦ばかしいこと計りで、それが愉快なんである。考へてみたらエヌとは三十年余りのつき合ひで、今も年に一ぺん会ふ。会ふと中學生の頃のやうな気分になる。だから仕事の上の眞面目な話題が出ない。それでかまはない。
 京都を半日ほど歩いてから大坂で呑まうと、話が纏まつたから、さういふことにした。阪急電車でこちらは上新庄驛から乗り、途中の茨木市驛で合流した。エヌは肥つた狐のやうな顔つきをしてゐる。更に今回は東向日驛でもうひとりの友人エスも合流して、三人で烏丸驛まで電車に揺られた。烏丸驛は地下にあつて、地上に出ると直ぐのところに錦市場がある。棒鱈や黒豆、種々のお漬物、お茶、何故だかソフトクリームが賣られてゐて、ひどく混雑してしてもゐる。地元のひとに観光客と思しき人びとが混つて、東京のアメヤ横丁が連想された。尤も錦市場にはアメ横めいた猥雑さは感じにくい。張り上げる聲まで不思議におとなしく響くのは、京ことばの所為なのかどうか。我われ御一行は三人ながらにカメラをぶら下げ(エスはエヌから借りてゐた)、ちやかちやか撮つてゐる。エヌもエスも家族の寫眞以外を撮るのは久しぶりださうで、何となく浮かれた感じがされる。わたしも浮かれてゐる。四半世紀ほど前に、この三人でEOSを携へて北山の植物園に足を運んだのを思ひ出した。ここで少し整理をしておくと、わたしとエヌは中學生からのつき合ひ。エヌとエスは京都にある大學の同窓で、わたしとエスはエヌの紹介で知り合つた。エヌとエスは京都の道やうまいお店に詳しい。
 それで晝めしにと案内してもらつたのが新京極の[かねよ]といふ鰻のお店。きんし丼が名物らしく、何だか判らないがそれを頼む。一緒に“聚楽菊”を一合。エヌには晝から呑む趣味の持合せはなく、エスはまつたくの下戸で、ちよつと気にはなつたが、鰻屋に來て呑まない法はなからう。ゆつくり呑みながら阿房な話に花を咲かせてゐると、きんし丼が運ばれてきた。蓋から黄いろいものがはみ出てゐて、取つてみると、表面がすつかり玉子焼きに覆はれてゐる。玉子焼き(油揚げくらゐの厚さ)の縁を捲ると鰻の姿があり、さういふことかと思つた。思ひながら
「併し錦糸玉子ぢやあないのに、きんし丼なのはなンでやねんな」
と呟いたら、エス
「云はれてみたら、糸にはなツてへんな」
なので何故きんし丼なのかはよく判らない。別添へのたれや粉山椒を振り、玉子と鰻とごはんを案配よく食べると實にうまい。建物の造りが比較的ふるいのか部屋(座敷だつた)の天井が高く、無理に明るくしてゐないのも宜しい。綺麗に平らげて表に出たら、微かな雨になつてゐる。傘を買ふまでには至らないかと判断して、そのまま知恩院畿内人としては“サン”をつけて呼びたい…の方向に歩を進め[一澤帆布]に入つた。最初にここで買ひ物をしたのは三十年くらゐ昔のことで、その時手に入れた肩掛け鞄と筆入れは今も使つてゐる。三年ほど前もうつかり小振りな肩掛け鞄を買つて仕舞つた。流石にけふはそんな眞似はしないと思つてゐたら、いい具合のお財布…札入れが目について購つて仕舞つた。お金を払ひながら訊いてみると、三十年前の鞄でも手入れは可能なのださうで、そんなら次の機会に頼んでみよう。
 高台院から二寧坂の方向に足を移すと、着物で歩く観光客が無闇に多い。臺灣中國からのひとなのだらう、すすどくはぜる音で賑やかに喋り、到るところで寫眞を撮つてゐる。貸衣裳だから仕方がないのは当然なのだが、近くで見ると生地も柄も概して安つぽい。わざわざ口に出すことではないし、何より当人が納得して着てゐるのだから、それはそれでよしと考へることにする。歩いてゐる内に、エスが珈琲を喫みたいと云ひ出した。子供に晩く恵まれたかれは今、大人が入るお店に入る機会が随分と少ないさうで、偶さかけふのやうな日には
「(子供は喜ばないだらう)自分の好きな店」
で飲み食ひをしたくなるのだと云ふ。成る程さういふものかと納得したが、手頃な喫茶店がその辺りには見当らず、三条の商店街の路地にある[TOTO]といふところに入つた。きちんと豆を挽いて淹れられた珈琲は中々美味。店で飼つてゐる二匹の仔犬が愛嬌よしでもあつて、通ふひとが多いと見受けられた。そこから烏丸驛に降り、地下鐵で京都驛まで出る。エヌがちよいと用事があると云ふので[ヨドバシカメラ]に入る。エスは半日の撮り歩きで物慾を刺戟されたのか、色々なカメラを手に取り、値段を見ながら考へ深さうな顔つきになつてゐる。腹の底ではどうやつて奥さんの目を誤魔化すか、策謀を巡らせてゐたのではないだらうか。
 京都驛から旧國鐵に乗り込み、向日町驛でエスと別れた。わたしとエヌはそのまま大阪驛を経由して天満驛で降りた。驛から数分歩いたところの[てぃだ]といふ南國奄美風と獨逸風を同時に味はへる妙なお店で呑む。以前偶然入つて、中々うまかつた記憶があつたのが撰んだ理由のひとつ。こちらは麦酒と焼酎を好み、麦酒とヰスキィを好むエヌと共に都合が宜しいのがもうひとつの事情。わたしはオリオン・ビール。エヌは獨逸のホワイト・ビール。ソーセイジ盛合せ(三種。マスタードは粒と普通のと甘めの)、ジャーマン・ポテト。獨逸出張の経験があるエヌは褒めながら
「南獨逸風の味つけかな」
と呟いてゐる。獨逸に行つたことがないこつちは、成る程ねと納得せざるを得ない。話の序でにエヌは
「ヨーロッパで乗り継ぎをするなら、同じ航空会社を使ふのがこつだ」
と教へてくれた。間違つてもルフトハンザからエールフランスなんて経路を撰んだら
「えらい目にあふ(ことがある)」
さうだから用心するとしよう。苦瓜の炒めもの。苦瓜が好みより薄すぎるかと思へたが、惡くない。豚の角煮は上塩梅。レーベンブロイから黒糖焼酎(高倉だつたか)に移る辺りで少し計り眞面目な話になつたが、詳しくは触れない。互ひに色々の撰択があり、分岐点もあつて、不平不満が無いとは云はないけれども、その結果が今なら、まあ幸せだと考へていいんぢやないかと、そんな結論になつた。エヌは残波をオンザロックス、わたしは銘柄は判然としないが獨逸の葡萄酒を赤と白を順に呑み(赤は冷しすぎ。掌で温めたら香りが立つてきた。白はまづまづ)、五種のチーズ盛合せをつまんでおひらきにする。上新庄驛で降りてから、何とはなしにラーメンが食べたくなつて意見の一致を見た。そこで目に入つた[華路]に入り込んで醤油ラーメンを啜つて、カーテンコールまで恙無く終り。かろく掌を当て、生き延びた今年をことほぎ、次の年も生きてゆかうぜと云ひあつた。