閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

050 卵かけごはん

 予め云ふ。TKGとかいふ気色の惡い略し方をわたしは断乎として認めない。あれは莫迦が使ふ記号である。もしもさういふ言葉遣ひをするひとがゐれば、直ちに不明を恥ぢ玉へ。

 予め云ふ。死を撰ぶ特権が与へられるなら、溶き卵で溺死したい程度にわたしは卵を好む。序でながら次点は饂飩での縊死なのだが、まあそれはどうだつていい。

 大きく見得を切つたところで、卵かけごはんは

『溶き卵に醤油(もしくは近似の調味料)を加へ、熱いごはんにかけた食べもの』

と簡単に定義しておきませう。かうしておけば解釈の余地が広くなる。尤も牛丼に生卵なんていふのは論外ですよ。あれはあくまでも、牛丼の変種…が惡ければヴァリエイションで、卵かけごはんには当らない。ゆゑに玉子丼やきつね丼、かつ丼の類、詰り卵を煮る方式の食べ方もこの稿では省かれる。念の為に云ひ添へると、玉子丼やきつね丼やかつ丼が實にうまいのは、わたしも大きに認めるところである。併しこの稿で(無駄に)(熱く)語らうとするのは卵かけごはんなので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、諒とされよ。

 ところで生卵を悦んで食べるのは、我が邦の一種特殊な嗜好らしい。大雑把に云へば、牝鶏を育てる段階から飼料に気を配つて、食中毒を引き起こす可能性を削り落した結果なのださうだ。従つて卵の生食はごく最近に確立した食べ方なんである。本当かなあと疑ふ我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は、岸田吟香の名前で調べてみれば宜しい。始祖とまでは云へないにしても、かれ(岸田劉生の父でもある)が卵かけごはんを愛好した初期のひとなのは…それより前にも似た献立が客人に用意されたのは、記録があるから確實だが、わざわざ献立に残した以上、特別な食べものだつたのだらう…、ほぼ間違ひない。かれは明治人で、詰り我われのご先祖が生卵を食べ、また歓ぶ習慣はこの時期に淵源を發するのだらう。

 さて。吟香は卵かけごはんをどう食べたか。後年思ひ出話を語つたひとによると、蕃椒に塩焼を振りかけたらしい。蕃椒は唐辛子の意。塩焼は焼塩を指すかと思はれる。前述のかんたんな定義からは若干外れることになるが、これはまあ、源流(のひとつ)だと考へませうか。思ひ出話が漠然としてゐるので、蕃椒と焼塩を同時にかけたのか、使ひわけたのかははつきりしない。おそらく後者だらうな。一ぺんにだと、卵を余程たつぷり用意しなければ、からくて食べられないよ。そもそも吟香が卵を溶いたのかどうかもよく判らない。丼の盛切りめしに卵をぽんと落しこみ、蕃椒または焼塩を振つたのか知ら。考へてみたら醤油が用ゐられた時期も判然としないし、卵かけごはん史は謎に満ちてゐるなあ。この辺りの事どもは、碩学のひとのご教示に期待したい。

 六づかしいことをえらいひとに投げ出したところで、ではわたしはどんな風に卵かけごはんを食べるのか。と云つたつて、凝つた眞似をしてゐるわけではない。新しい卵をひとつ。ざつくりと…白身と黄身が一緒にならない程度に混ぜる。それから醤油。たらり、くらゐの量でいいでせうか。ごはんは丼に盛る。眞ん中に穴を開け、溶き卵を慎重に流し込み、ごはんで蓋をして食べる。かうすれば(灌頂または慈雨のやうに注ぐより)ひと椀の卵かけごはんに味の変化が出來る。ここに胡瓜や白菜のお漬物、或いは梅干しがあれば上等だし、味つけ海苔でくるんでもうまい。おびいこ(縮緬山椒の一種。縮緬雑魚と山椒を醤油だけで焚きしめたもの)があればもつとよく、この場合は醤油を省いてもいい。いや別に添へものがなくたつてかまはないので、それこそが卵かけごはんの有難みではありませんか。

 勿論、この食べ方以外を認めないといふのではない。卵かけごはんに狭量は似つかわはしくないもので、定義に目を瞑れば温泉卵に味つけぽん酢なんて、中々いいものですよ。濃いめに味つけた鶏そぼろを予め卵に混ぜてもいい。バタを少し溶かしたごはんに、マヨネィーズをウスター・ソースでゆるめて、少量のケチャップを加へたのを使ふのも惡くない。試したことはないけれど、炒飯やピラフの類でも成り立ちさうな気がする。但しどの組合せであつても、(溶き)卵が主役でなくては話にならないのは云ふまでもない。かういふ限られた條件で工夫を凝らすのが卵かけごはんの愉快なんである。そこで気になるのは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏がどんな風に卵かけごはんを味はつてゐるかといふことで、意外と吟香翁の流儀で唐辛子を使つてをられるやも知れず、かういつた話は、實際に卵かけごはんを食べながら、烈しく論じてみたいものです。