閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

051 改元

 歴史を記すのに使はれるのが紀年法で、これは大きく

①始まりがあつて、そのまま續く形式。

②何らかの形で区切りが設けられる形式。

に分けることが出來る。前者は西暦を代表させればいいでせうね。外にヒジュラ暦仏滅紀元暦や世界創造(!)紀元暦を挙げてもいい。後者は共和政羅馬での“執政官誰々何年”や、古代印度での“何々王の何年”が該当する。両者のどちらが古いかと云へば、②だらうな、おそらく。①だと“始りを示す絶対的な何か”を想定しなくてはならず、それは単一単独の絶対者…神さまと呼ぶのが誤りでなければ、空飛ぶスパゲッティ・モンスターでも正しい…があつて成り立つ考へ方だと思ふ。古代希臘の紀年法がどうだつたかは知らないが、あれだけたくさんの神さまがゐるのだもの、きつと②だつたにちがひない。

 翻つて我が國を見ると、矢張り②である。明確だつたかは別として、“誰々の御門の何年”といふ考へはあつただらう。羅馬や印度と同じである。暦の支配は時間の支配であつて、それは血統と並んで支配の正当性を暗示する。そこにもうひとつ、これは漢字圏内に特有の事情かと思へるのだが、文字の表意性が持つ呪術的な力も挙げる方が宜しからう。天皇諡号に用ゐられるのが目出度い字なのはそのささやかな證で、そこには嘉する意と祟りを避ける畏れが混在してゐる。

 「そんなら」

と想像力ゆたかな古代中國人のたれかが考へたのだらう。皇帝陛下の名前を待たずに目出度い字で時間…支配を祝げばいいんぢやあないか。詰り元号の誕生である。實際かうだつたか保證はしないけれど、大外れでもなささうな気がする。この場合だと、皇帝(の諡号)に関係なく時代…支配を祝へることになつて、中々に具合が宜しい。我が國のご先祖は隋唐に追従すること甚だしい傾向があつたから、“大化”といふ初めての(少くとも公的な)元号は、その受容れ…といふより眞似だつたにちがひない。因みに云ふ。大化ノ改新は西暦だと646年。唐朝初期の“貞観ノ治”の末期に当たる。最初の遣唐使が帰國したのが632年だから、草深い田舎(と云つたつて7世紀半ばの極東亞細亞で大文明は唐王朝以外になかつたから、奈良を莫迦にするのは些か気の毒なのだが)の貴族連中だつて、元号といふ情報は知識として事前にあつただらう。

 「そんなら」

とその情報を受けて考へたのは奈良朝のたれかだつた筈で、元号を作れば唐風…詰り時代の最先端な國制になるんではないか。さうでなくても象徴的に使へるんではないか。“大化(大キク化ヘルの意なのだらうか)”が定められた裏には、さういふ無邪気な、或は自覚のない痛々しい事情が潜んでゐたのではとも思はれる。勿論かういふ影響は日本に限らずたとへば越南にも及んでゐて、深くは踏み込まないけれど、大唐文明の凄みを感じますなあ。併し遡つて印度、抽象世界と實際世界を結びつける言葉…咒を發明した印度で、元号といふ時を祝ふ記号が生れなかつたのは些か奇妙に映る。まあかれらは時間を直線ではなく円弧…輪廻と理解してゐた節がある。終りまたは救ひのない現在を慶祝する積りにはなれなかつたのかも知れない。古代印度人に知合ひはゐないから、本当のところは解らないけれども。

 そこで日本に戻る。明治以降は一世一元といふ制度が出來たから、我われは経験がないが、慶應以前は何かにつけて元号が変つてゐた。何かにつけてとは何だと云へば、天皇の代替り、慶事、凶事が代表格でせうね。和銅といふ元号が、埼玉で銅が産出したのを慶んでつけられたのは、その典型だらう。少し説明を加へると、それまで奈良の朝廷は自國で純度の高い銅が取れることを知らなかつた。“それが見つかつて目出度い”から改元すると改元ノ詔にあるさうで、貨幣まで鋳造した(歴史の教科書にあつたでせう、ほら、和同開珎です)のだから、中々無邪気に思へる。尤もその無邪気は上辺の態度。どうにかして貨幣経済圏を作りたいといふ思惑があつたらしい。貴族豪族の利益が狙ひだつたのは云ふまでもない。8世紀初頭の日本に通用する政策でなかつたのも当然だが、我が國の貨幣史の黎明期はわたしの手に余る。

  もうひとつ、和銅から4世紀半ほど後の平治を挙げませうか。ひとつ前の元号が保元。保元ノ乱で世の中が騒然としたから、これはいけないと改めたわけです。ところが改元を待つてゐたかのやうに平治ノ乱が起つて、あつといふ間に永暦へと再改元された。縁起が惡くて改元したのに、無駄骨だつたのだな。因みに平治が用ゐられたのは1年に満たない期間。保元は3年ほど。永暦は1年半だつたから、改元を繰返したくなるくらゐ、世間は不穏だつたのだと判る。かういふ時に元号は便利ですね。前後を掴まないといけないのは面倒だが、ある時代の雰囲気は西暦よりかういふ記号の方が把握し易い(疑問ひとつ。西洋人は歴史上の“ある狭い時期”をどう捉へてゐるのだらう)ここでもしもを考へれば、太平洋戰争後、昭和から改元…昭和20年から64年までの期間を“後昭和”といつた別の元号で区切る…してゐれば、現代史はもう少し印象がはつきりしたのではないか知ら。

 現代史の掴み方は歴史家に任せませう。問題は平治である。實は異様な元号なので、何が異様かと云へば、“he”音で始まる元号はこれと平成しかないのですね。私元号や僭元号まで調べきつたわけではないが、少くとも公的な元号では平治と平成以外に“he”音始りはない。考へられる理由はふたつ。先づ日本語の母音は元々“a/i/u/o”で“e”が加はつたのは後になつてからであること。もうひとつ、“ha”行の音の完成が遅れた点も挙げておきたい。“ha”音は“pa”音から“fa”音を経て成り立つた。要するに“ha”行の“e”音…“he”は日本語の音韻として見ると新参者だと云つていい。現在に繋がる日本語が一応の完成に到つたのがいつ頃なのかには疑問と議論の余地がたつぷりあるとして、“e”音の参加や“ha”行の変遷を待つてからではないのは明らかでせう。さうなると日本語の綺麗なところ(現代の我われにさう感じられる)は、その音を無視…何しろなかつたのだもの…して出來たと考へるのも当然でありませう。然も羅馬字書きにすると判るが、“hei-sei”と“e”音がふたつも入つてゐて、聲にすると音が如何にも間延びして仕舞ふ。ある程度の年齢であれば、新元号發表に際した、“へーせー”といふ厳粛さに欠けた發音が思ひ出されるんではなからうか。さう考へると、今上陛下にはお気の毒な話である。諡号元号と同じでなくてはならぬといふ規定があるのかどうかは知らないが、慶應の時の孝明帝を最後に…詰り明治以降はすべてさうなつてゐる。“へーせー”天皇なんて間の抜けた諡名、不敬ですよ、不敬。いや失敬、旧弊な言葉遣ひでしたね。併し我が國の歴史…遅くとも中世以降の…にほぼ直接関はる元号には、繊細な心遣ひが求められると云ひ直せば、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏からも反發されずに済みさうな気がする。諡号の問題は別に論じる必要があるとして、元号に関して云ふと、2019年に予定される皇太子殿下の即位を切つ掛けに一世一元は廃めにして、慶事があつた、凶事があつたと改元をする方がいい。これくらゐなら天皇家の發案に任せても大過はないだらうし、伝統に準じてもゐる。