閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

056 掻き揚げ

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 ここで云ふ掻き揚げは天麩羅の一種を指す。指すのだがふと気になつて辞書で調べる(以下⚫️印の部分は引用元の仮名遣ひをそのまま用ゐます)と

⚫️ひっかくように上の方へ引きあげること。

とあつた。何となく引つ掛る感じがして、更に“あげる”を確かめると、“上げる/挙げる/揚げる”と宛てられてゐた。“上/挙/揚”はどうやら似た意味の字であるらしい。勉強になるなあ。役に立つかどうか、判らないけれど。では“掻く”はどうなのかと云へば

⚫️指先やつめ、またはそれに似たもので物の表面を強くこする。

が最初に出てきて

⚫️“手やそれに似たものであたり一帯にある物を引き寄せたり押しのけたりする。

が續く。この稿の主旨から云へば、二番めの意味合ひが近いだらうか。序でに“揚げ”は

⚫️油で揚げること。また、揚げたもの。他の語と複合して用いられる。「さつま揚げ」「精進揚げ」「揚げ玉」

⚫️客が芸妓・娼妓を一昼夜通して買うこと。

とあつて、後者の艶つぽさがいいねえ。さてでは肝腎の、食べものとしての掻き揚げはどうなつてゐるでせう。

⚫️てんぷらの一種。細かく切った貝柱・いか・桜えびなどをやや濃い衣でまとめて油であげたもの。

⚫️芝海老、魚介類や野菜などを小さく切ったものに小麦粉を用いた衣でまとめ、食用油で揚げた日本料理であり天ぷらの一種である。

とある。誤りでないのは当然としても、何だか詰らない。辞書的な定義に詰るも詰らないもないよと云はれたらその通りだが、愛想が無いなあと思はざるを得ない。尤も“文學的な筆致の辞書”があつたとして、扱ひにこまるだらうね。檀一雄が掻き揚げの項目を書いたら、どんな風になるか知ら。きつとひどく美味さうで、併し辞書からはほど遠い曖昧模糊な一文をものにするにちがひない。吉田健一なら、辰巳浜子なら、或は北大路魯山人ならどうだらう。

 さう云へばたれが書いたか忘れたが(篠田一士だつた気がするが、自信がない)、文學で描かれた“食事に関はる、まつはる場面だけ”を集めた本を讀んだ記憶がある。A to Zの形式ではなかつたけれど、辞書風に編纂したら愉快なパロディと異色の“文學手引書”を兼ねるのではないか。併し仮にさういふ本が編まれるとして、掻き揚げが項目として採用されるかは疑はしい。天麩羅がある程度にしても一般的になつたのは十七世紀以降らしく(中頃には天麩羅に触れた文献があるから、それ以前に広まつてゐたと考へられる)、調理法としては新しい部類に入る。天麩羅の出始めは今で云ふファストフード扱ひ(これは火災を極端に怖れた幕府が、屋台式の商ひしか認めなかつた事情もある)で、海老や穴子を串に刺して揚げてゐたさうだ。町人のおやつですな。簡便で旨さうでもある。たださうなると、“小さく切つた具を(濃いめの)衣で揚げる”のは天麩羅三百年史の中でも更に新しい方式といふことになる。そこで掻き揚げの原形はいつ頃出來たか、ざつと調べてみても、どうも曖昧である。十九世紀に入つてからの發明らしいのはほぼ確實なのだが、どこのたれの手になるのかははつきりしない。兎に角掻き揚げの歴史はざつと二百年足らずと推測しておかう。不明瞭なのは残念。

 とここまで書けば、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、この男は掻き揚げが好物なのだと理解して頂けるでせう。何行も前から判つてゐたよと笑はれるかも知れないが、改めてわたしは掻き揚げを大きに好む。海老や鱚、穴子、烏賊、大葉、蓮根に南瓜に獅子唐に薩摩芋、それから各種の山菜。数へるに暇がないくらゐの天麩羅の種を押しのけるやうに、と云つていい気がする。尤もわたしが好むのは、辞書的な定義に忠實な(芝)海老や貝柱や烏賊より、牛蒡に玉葱に人参に枝豆といつた野菜の掻き揚げ。櫻海老なんぞが少し計り入つてゐたらまつたく贅沢と感心するけれど、なくて腹を立てるわけでもない。元々海老や蟹の類に拘泥しないからだらうか。

 たとへば立ち喰ひ蕎麦だと“天麩羅蕎麦”は大体、野菜の掻き揚げが乗せられると思ふ。わたしが時折食べるお店だと、分厚め堅めの掻き揚げがどさりと乗つて三百円。廉だねえ。これをかぢりまた崩し、七味唐辛子を振りながら啜りこむのがうまい。さう云へば一ぺん、その天麩羅蕎麦を平らげてから、掻き揚げを追加してつゆに沈めつつ堪能した女性を見掛けた。素晴らしい食慾ではありませんか。名店と呼ばれるところでは、ふはりと大きく揚げるのを自慢にしてゐるらしいし、それはそれでうまいと思ふ(名店かどうかは判らないが、さういふ巨大な掻き揚げにお目に掛つたことはある)けれど、密度の高い掻き揚げの方が好もしく感じるのは、こちらの舌の問題か知ら。まあ深くは考へまい。

 もつと廉に済ましたい時はマーケットで賣られてゐる掻き揚げで、百円から百五十円の間くらゐか。ごはんを丼に盛つて、その掻き揚げを乗せ、自慢のたれでも醤油でも味つけぽん酢でも垂らせば、簡便な丼が出來る。贅沢な気分になりたければ、温泉卵をひとつ落とせばいい。この場合、掻き揚げの衣は溶けさうになるくらゐが寧ろ、好ましい。多少の焦げがつく程度まで温め、山葵とお茶で汁飯にすれば魯山人を気取れるが、あのひとの文章は残念ながら、あんまり旨さうではないから、眞似したくなりにくい。決して惡文ではないのに、不思議だねえ。それに温めなほした掻き揚げなら、茶漬けより小皿に大根おろしと生姜と天つゆを用意して喰ふ方が余つ程うまいと思ふ。これならおやつ代りにもなりさうだが、両手が塞がるから、江戸風屋台でファストフード式にやつつけるには無理がある。