閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

061 ぼんやり旅行

 不意に鶴岡に行きたいと思つた。

 山形県鶴岡市

 何かの縁があるわけではない。

 併し理由がないわけでなく、尊敬する丸谷才一先生の故地なのがそれに当る。

 小説家兼随筆家兼批評家、時に翻訳家…ジェイムズ・ジョイスと探偵小説と王朝の和歌を愛し、發句をものにすることがあれば、或は同好の士と歌仙を巻いたひと。

 恩義がある。

 といふのも、わたしが歴史的仮名遣ひを常用する直接の切つ掛けが丸谷先生の随筆で、『好きな背広』だつたか『夜中の乾杯』だつたか(どちらも文春文庫)、もしかすると『男のポケット』(新潮文庫)だつたらうか。たいへんに面白くて眞似をしたのが事始め。大急ぎで念を押すが、眞似をすることと、丸谷風に書けてゐるかは全然別の話ですからね。

 さう云へば、“ダ・デアル”調と“デス・マス”調を混ぜて書くのも丸谷流だなあ。

 ここで不思議なのは鶴岡といふ土地からどうして丸谷才一が生れたのか。近畿人のわたしからすると東北は遠すぎる地域で、僻陬とか辺鄙とか、さういふ熟語が浮んでくる。この理解が大間違ひなのは云ふまでもないが、では具体的な印象があるのかと訊かれたら、曖昧模糊のままだと白状しなくてはならない。なので鶴岡市といふ厳密な枠を外して、もう少し漠然と庄内で見渡すと、北前船の寄港地であり、出羽國まで遡ると陸奥國と並ぶ黄金の産地だつたと判つた。黄金はさて措くとしても、北前船が寄つてゐたのは庄内…鶴岡の土地柄を想像するに無視出來ないと思へる。

 詳しい話は省略して、北前船は江戸時代に畿内を中心に成り立つた商業船とその航路を指す。下関から蝦夷地まであつたといふから、通商ルートと呼んでも誤りにはならないと思ふ。但し単純な運送業ととらへるのは正しくなく(その面もあつたけれど)、船主が自分で商品の賣買も行つてゐたといふから、日本海側に大した規模の商業圏が出來てゐたと考へていい。大坂の棉花栽培に蝦夷鰊の堆肥が使はれたなんて話を聞くと、殆ど近代だとも云ひたくなる。

 更に我われは、江戸時代は旅行が現代に較べて想像も六づかしいくらゐ困難だつた背景を考へる必要がある。お伊勢参りが生涯一ぺんの贅沢だつた時代に、他國…ここで云ふ他國は外國とほぼ同じ意味合ひ…の産物を山積みにした船が寄る港を持つ地域が特別な賑いを見せたとしても、寧ろ当然だつたらう。ここで大事なのは港に持ち込まれたのは各地の産物だけでなく、情報や噂話、書物の類も含まれたにちがひないことで、詰りうんと小さな規模の開國だつたと理解してもいい。庄内…鶴岡にさういふ條件が揃つてゐたとすれば、僻陬辺鄙は誤りどころか、相応または相当に文化の程度は高かつた筈で、さうなるとこの土地には、町医者の伜が優れた…といふより異色の文學者となる為の肥料がたつぷり施されてゐたと考へてよささうに思はれる。

 やつと元に戻つてきた。

 鶴岡に行くのは、丸谷先生の生れた町を訪れることで、勿論足を運んだところで何がどうなるわけではないのだが、自分の中でひとつの区切りをつけられさうな気がする。なので伝統行事だとか寺社仏閣だとか、さういふところには目を瞑り、行くことだけを考へる。考へると…遠いねえ、あの町は。長距離バスもあるけれどきらひなので(乗りもの醉ひするたちなのだ)、列車を使ふことにしてざつと調べてみた。すると

①大宮發10時42分の上越新幹線Maxとき315號に乗車。新潟着が12時24分。同12時32分發の白新線特別急行列車いなほ5號に乗換へて、鶴岡への着到は14時20分。新宿からの運賃は12,450円。

②東京09時12分發の上越新幹線とき311號に乗つて新潟着は10時49分。同10時57分發白新線特別急行列車いなほ3號で鶴岡着到は12時45分。新宿からの運賃は12,860円。

の路線があるらしいと判つた。時間に大きなちがひがあるのは、①のMaxとき315號と②のとき311號の停車驛のちがひ。序でながら、とき311號は大宮から09時35分發でも乗車出來る。

 さて。ここでわたしは新潟に留意せねばならない。ああ、お酒好きが新潟を通過するなんて、考へられないものね、と笑ふ讀者諸嬢諸氏はをられさうだし、否定も出來ないのだけれど、丸谷先生の年譜を見ると、昭和19年に旧制新潟高等學校文科乙類入學とある。詰り所縁のある土地なのを重く視たい。尤も昭和19年大日本帝國は太平洋戰争の最中。それも敗けがほぼ明らかな頃で、文學志向の青年には息苦しかつたにちがひない。この時期の自身については、新潟にゐた頃は餓ゑてゐて、兵隊に取られた後はもつと餓ゑてゐた、と短く触れた箇所くらゐしか記憶にない。苦い土地だつたのか知ら。とは云へ『食通知つたかぶり』(文春文庫)に収められた新潟のくだりでは、[朝日山]を呑みながら美味佳肴…佐渡の鴨の酒煮や鮭のスツポン煮、霰ずし(鮭の卵をあしらつた蒸し寿司ださうな)に舌鼓を打つてゐる。

 豊かな土地だねえ。

 その新潟を含む地域が古來、越ノ國と呼ばれたのは我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のよく知るところでせうが、その範囲は可也り広範で、南の福井平野から、北は庄内平野辺りまでが含まれてゐた。上代には獨立した王権があつたと見て差支へはなく、それは富強だつた…米作ではなく大陸との交易で…にちがひない。さうでなければ継体帝(応神帝の五世孫といふかれは、近江…現在の滋賀生れ、越前…今の福井育ち)が即位した事情が理解しにくくなる。上代の事情はさて措くとしても、鶴岡が古制で云ふ越後、即ち越ノ國のおそらく北限近くに位置するのは、この稿の流れで云ふと注目に値する。勿論現代の鶴岡に越ノ國の遺風があるとは思はないけれど、移動の時間も考へれば、新潟に立ち寄らず、まあ鴨や鼈煮は兎も角も、鮭と鰈と南蕃海老とお米を味ははない道理はない。

 やつと全体像が見えてきた。

 大宮發09時35分のとき311號で新潟に出る。着到は10時49分だから、新幹線の車内で麦酒を引つ掛けながら、サンドウィッチをつまむくらゐの時間はある。新潟での半日は呑み喰ひに使つて泊まる。翌日の新潟10時57分發いなほ3號に乗り、鶴岡着到は12時45分。詰り上に書いた②を分割する旅程。いなほ1號なら鶴岡着は10時15分だが、新潟發が08時22分だから、朝に弱いわたしとしてはおとなしく遠慮したい。併し鶴岡での時間が半日足らずなのもしつくりしない。それに酒田まで足を延ばしたい気持ちもある。いなほ3號で鶴岡を通りすぎると酒田着到は13時04分。となると、鶴岡には2泊する方がよささうだ。

 鰰。

 だだちや豆。

 種ぐさのお漬物。

 しよつつる。

 ことに鰰は丸谷先生いはく“日本一と信じて疑はない下魚”で、前記『食通知つたかぶり』ではその味を“脂ぎつてゐてしかも涼然、濃厚にしてかつ清楚、平俗でしかも雅淡な趣”と記してゐる。大絶讚ですな。10年近く前、名前も忘れた山形料理のお店で塩焼きを食べたことがあつて、それも中々旨いと思つたが、先生が云ふには湯上げが最上の食べ方らしい。湯上げで食べるには新鮮な鰰が欠かせない筈で、だとすると鶴岡行きはその旬を外すわけにはゆかないことになる。ざつと調べると冬から早春にかけての時期らしく(後になると卵が旨いさうだ)、これで大体の日程…流石に厳冬の時期は避けたいから、10月から11月初等か、3月4月くらゐが逆算される。残る問題は資金をどうするかなのだが、まあ今のところは、漠然とした課題としておきませう。行けないなら行けないで、ぼんやりと架空の旅行を愉しめる。