閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

073 偶に意味のない無駄遣ひ

 偶に意味もなくビジネスホテルに泊りたくなることがある。どうしてと訊かれても“意味もなく”だから説明は六づかしい。当り前に考へればビジネス抜きのホテルの方が快適ではないかとも思へるし、確かに間違ひではないのだが、どうもビジネスホテルでなければしつくりこない。そこには何か心理的な背景がありさうに思へる。

 単純に考へると馴れだらうか。小旅行で使ふのはほぼビジネスホテルで、要するに寝床だから、清潔なベッドとお風呂があればそれでよく、たとへば雄大な景色、たとへば豪勢な食事は不要といふことになる。景色や食事に使ふお金は、お酒と肴にまはす。自分の好きに費ふ点で、合理的と強弁出來なくもない。但し“意味もなく泊りたくなる” 理由とするには弱い。

 そこで、ビジネスホテルの、一応は特別だけれど、それほど特別でもないといふややこしい気分を挙げたくなる。説明を試みると、ビジネスではないホテルに泊るのは云はば日常からの逸脱である。豪壮な景色を家の窓から眺められるのは、 ごく限られた土地だらうし、贅を凝らした料理を行き届いたサービスで味はへる機会だつて、さう安直には恵まれまい。詰り非日常で、日常ニハ非ズなのだから特別に決つてゐる。それはそれで歓迎するとして、さういふ非日常…特別を満喫したいならホテルに籠らざるを得なくなる。何となくをかしい。出無精ならそれもかまはないかと思つたが、果して出無精が幾許かをはたいてホテルに行くものか知ら。それに対してわたしがビジネスホテルに求める機能は、前述のとほり風呂と寝床だから、花やかな風景も特別な食事も要らない。サービスは不快でなければ問題はなく、こちらが聲を出さない限り、はふつてもらへればいい。要は日常の幾分かを、お金を払つて省略出來る場所…詰り日常の自分にとつて都合のよい延長にあるのがビジネスホテルと見立てられる。ホテルほど特別ではないにしても、多少はその気分もあると述べた理由は、おほむねこの辺りではないかと思ふ。些か無理矢理な分析なのは認めるのに吝かではないが、だとすれば不意に無精をしたくなつた時、ビジネスホテルに行きたくなつても、筋が通るでせう。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に納得してもらへるかどうか、自信は持てないのだけれど。

 それでどこに泊ればよいかと云ふと、“偶に意味もなく”泊りたくなるのだから、別にどこでもかまはない。自宅から一時間以内とか、そんな程度の距離でよからう。わたしの地元から考へれば、立川や福生、八王子。或は船橋から千葉か。横濱も範囲に入りはするが、あすこは意味もなく泊りたい土地と呼びにくい。その辺りは我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の側でも勝手に撰んでもらひたい。

 素泊りか朝食つきで、出せるのは精々六千円とか七千円程度。呑み屋街が近ければ好もしいが、マーケットがあれば上等である。お酒と肴をちよいと奢つたつて、こちらのお小遣ひである。文句を云はれる心配はない。蕎麦でも定食でもやつつけてからひと風呂浴び、部屋でおもむろに罐麦酒を開けるもよく、呑み屋に繰り出すのもまた宜しい。勿体ないとか無駄とか云はれさうだが、これは遊びの一種なのだから、勿体なかつたり無駄遣ひだつたりも止む事を得ない。さてではどこに行かうか知ら。