閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

089 走るひと

 毎朝の通勤は同じ経路をほぼ同じ時間帯に動くもので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏でもそれは変らないと思ふ。さうなると見掛けるひとの姿もさうさう変らず、その中には必ず走るひとがゐる。昔利用してゐた地下鐵の某驛で、胸を揺らしながら走るひとがゐた。今利用してゐる某驛の近くでも、胸を揺らしながら走るひとがゐる。小柄で眼鏡を掛けてゐて、少し眉根に皺を寄せながら。全力疾走ではなく、急いでゐる程度の小走りをほぼ毎朝、見掛ける。見掛ける度に、不思議だなあと思ふ。不思議に思ふのは、きつと慌ててゐるのだなと決めつけてゐたからで、不思議だと感じながら、どうして五分くらゐ、早く家を出ないのか知らと思つてもゐた。併し落ち着いて考へると、毎日毎朝小走りするくらゐに急ぐのなら、余程しだらない生活の筈で、だとするとちやんとした身なりやお化粧と矛盾する気がされる。ひよつとしてお化粧への拘りが強くて、ぎりぎりまで時間を取つてゐるのだらうか。或は急ぐ以外の理由または事情があるのか知ら。たとへばランニング。平日は時間を取るのが六づかしいから、通勤時の小走りでその分を何とかしてゐるとか。たとへばダイエット。本当なら歩いても間に合ふのに、敢て小走りにして、カロリーの消費を狙つてゐるとか。ただ仮に前者だと、フォームがとてもさうは見えないし、後者はその必要を丸で感じない体つきだから(尤も本人がどう思つてゐるかは判らない)、どちらの想像も、事實からは遠さうである。後はもう本人に訊くくらゐしか、手は残つてをらず、併し訊けるとして、どんな質問にすればいいのだらう。『パルプ・フィクション』には、カフェで舌にピアスを入れたと喋つてゐる隣席の女性に、“好奇心で訊くんだが”と話しかける場面があるから、参考にしてもいいが、あれはトラボルタだから恰好よいので、困つてゐる。