閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

095 八王子ダブル

 八王子でWといふ暖簾を見つけたから、ちよつと驚いた。関内に同じ暖簾があつて、二年ほど前に何べんか訪れたことがある。関内のWは女将さんの愛想がよく、客あしらひも上々だつたから、今も好感を持つてゐて、併しあつちには中々足を運ぶ機会がない。まあ八王子にしても事情が異なるわけではなく、ではどうして八王子にWがあるのを知つたかと云へば、八王子に行く用件があつたからで、あすこには夢美術館といふ施設がある。そこで廣重の[二つの東海道五拾三次]と題された展示があつたので、ニューナンブの頴娃君と足を運んだ。“東海道五拾三次”は有名でせう。わたしだつて知つてゐるくらゐだもの。併しそれが保永堂と丸清といふふたつの出版社から、別々の版画を出してゐたとは知らなかつた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何か知ら。

 日本橋を起点に京師三条大橋まで。

 面白いのは名古屋熱田を過ぎてからで、東海道新幹線に馴染んだ我われとは異なり、四日市に下り、そこから鈴鹿峠を抜けて草津大津に出る。詰りさうすべき事情があつたのだらうと思へるが、何なのかはよく解らない。それでじつくり眺めてゆくと、保永堂版と丸清版は何だかちがふ。不思議だなあと思つてゐたら、頴娃君が云ふには

「保永堂版の方が、描冩が細やかで、刷りもちやんとしてゐるねえ」

「ことに黒の締りとグラデイションが、ちがふ」

成る程なあと感心した。保永堂版の箱根宿で描かれたすすどい岩壁はパッチワークのやうな色使ひだつたし、何点かあつた雨の神経質な細い線は、確かに丸清版では見られない。

 併し。と違和感をここで覚えたのも事實で、暫く眺めてから、やうやく気がついた。もしかすると丸清版は

「イラストレイション…それも広告的な扱ひのそれに、近いのではあるまいか」

「絵画としての完成度は保永堂版に劣るけれど、名物を紹介したり、無闇に丸清の文字を中に入れたりするのは、さういふ事情ではなからうか」

さう云ふと、頴娃君も頷きながら、さういふ見方もありますなと、一応の同意を示した。かれは熱心な絵画の愛好者でもあるから、それぢやあ藝術の純度が下がるではないか、と思つてゐたかも知れない。

 さういふ話をしたのは美術館を出てからで、八王子驛までは少し歩かねばならない。暑い日だつたから体力が一歩ごとに、達磨落しのやうに削られるのが實感出來た。お午をまはつた時間帯で、空腹は感じるのに、食慾に結びつかないといふ妙な感覚にとらはれた。ニューナンブの伝統で云へば、お午は蕎麦屋に潜りこむことが多く、頴娃君の記憶だと、一軒あつたさうだが、見当らなかつた。尤も仮にあつたとして、もり蕎麦を一枚啜るのが、精一杯だつたらうとは思ふ。そこで目に入つたのがWの暖簾で、これは関内のWと同じなのだらうかと云ふと、頴娃君は自信たつぷりに

「同じです」

と断言した。そこで麦酒の一ぱいでも引つかけ、酢のものとかなんとかをつまんで、お開きにしませうと話が纏まつたので入ると、晝間なのに混雑してゐて驚いた。八王子人は晝間の酒席を愛好してゐるらしい。

 取急ぎの註文は生麦酒。銘柄はアサヒで、烈日を浴びた直後は寧ろ有り難い。喉を通つた瞬間が余りに快くて、あやふく一ぺんに呑み干すところだつた。そこを何とか我慢して、さて何をつまみませう。暑い日だから、暑い土地の食べものがいいと思つて

「苦瓜のちやんぷるーは、どうでせうか」

「いいねえ」と頴娃君は賛意を示しつつ「それからサイコロ・ステイクと、鮪の食べくらべで、いきませう」

勿論こちらに否やはない。先刻まで食慾がどうかう云つてゐたのは、どうも勘違ひの一種だつたらしく、果して苦瓜のちやんぷるーが旨い。こちらの好みで云ふと、苦瓜はもつと厚めに切つて、苦みを際立たせてもらひたかつたし、豆腐は堅いのを用ゐて慾しくもあつたが、それはまあ、我が儘といふものだらう。

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 まづまづ、宜しい。と思ひながら、サイコロ・ステイクを見ると、全然サイコロになつてゐなくて、これは笑ふところだつたのか、自信が持てない。但し塩梅は満足出來る仕上りだつたし、何より鐵板に乗せてこなかつたのは、見識である。焼いた肉を鐵板に乗せて提供するのは野蛮な行為なのだと、我われはもつと、聲を大きくする必要があるのではないか。…といふことをその場で考へたわけでは、勿論ない。会話はとりとめがなく、記憶から色々と抜け落ちてゐるのは、それだけ中身がなかつたことの間接的な證明でもある。それより問題は鮪の食べくらべで、赤身ととろの部分が三切れづつ、用意されてゐる。そしてアサヒはほぼ空になつてもゐる。

「お代りは」

「いるよねえ」

「何を呑みませうか」

「六づかしいなあ」

散々悩んだ結果、互ひに[順正]といふ銘柄のお酒を撰んだ。わたしは冷酒で、頴娃君はぬる燗。

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 赤身ととろの順につまむと、どちらも旨いが、赤身の方が舌に適つた。とろがいけないのではなく、その時の舌と胃袋が赤身を悦んだといふ意味である。あはせて呑む[順正]も惡くない。絶讚に値する出來ではないけれども、鮪に対するのには十分であつた。それで頴娃君に

「赤身のひと切れを、もらつていいだらうか」

「かまはないとも」

といふわけで、鮪は恙無く、互ひの腹の底に収まつて、お開きとなつた。お勘定の時に、お店の小母さんが、ひどく愛想の好いのに気がついた。蕎麦屋は見つけ損なつたけれど、Wがあるのが判つたから、次の八王子に不安はないねとの結論に到つた。尤もその、次の八王子がいつになるのか、目処は立つてゐない。