閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

098 好きな店の話

 お店の名前を出すかどうか、ちよつと考へたけれど、色々恩義があるし、迷惑にはならないだらうと思ふので出す。[清瀧]といふ。都内に何軒かお店を出してゐる、俗に云ふチェーン店の居酒屋。かれこれ二十年近く、お世話になつてゐるのではなからうか。最初は上野御徒町。それから新橋を経由して三田に移り、三田の閉店に伴つて今は新宿歌舞伎町に通つてゐる。神田や高田馬場、本拠地の池袋にも行つたことがある。池袋が本拠なのは理由がありさうで、[清瀧]は居酒屋の名前以前に酒藏の名前である。要は藏元が運営してゐて、藏は埼玉の蓮田にある。残念だが未だ、訪ねたことはない。

 直営だから、仕入れだの運搬だので、余計な費用が掛からないのだらう。麦酒はサッポロだから例外として(赤ラベルがないのは残念)、お酒と焼酎は藏で醸つたのを呑ませるから、えらく廉い。品書きには枡酒と書かれてゐるコップ酒(但し枡まで溢れてはゐる)は、確か二百円に届かない値つけの筈である。二合入りの“大徳利”で三百円くらゐだつたか。馴染んでくると、徳利のすり切り一杯まで注いで呉れるようになつて、我われを大きに喜ばせた。この値段は、所謂普通のお酒なので、“通を唸らせる”味でないのは、念を押しておかう。尤も“通が唸る”味にどの程度の信憑性があるのか、わたしは甚だ疑問に思つてはゐる。眉を顰め、舌に乗せ、息を抜いて香りを確かめ、吐き捨てるやうな味はひ方で、あれは旨い、これは今ひとつと云はれても、それはわたしの呑み方ではないから、参考にはなるかも知れないが、信頼を置くわけにはゆかない。

 では“わたしの呑み方”はどんなのだと云ふと、肴は絶対に欠かせない。お酒が肴を旨くして、肴がお酒を旨くするのが理想で、お酒それ自体が旨くても、肴を拒むやうな仕上りは感心こそ出來たとして、悦ばしいとは思へない。菜つ葉と厚揚げの焚きあはせ、大根や牛蒡の焚きもの、小芋の煮ころがし、鯵や鯖や烏賊の干物、鯛の塩焼きや鰈の煮つけ、豆腐に生揚げ、田樂、金山寺味噌、諸々のお漬物、外にも挙げてゆけば切りがないから、これくらゐにしておくが、お酒は本來かういふ食べものと適ふように發展してきたのだから、純米だか大吟醸だかで、上等の塩くらゐしか似合はない醸し方では、どう扱へばいいのか、戸惑はざるを得ない。それはあんたの勝手だと云ふひとがゐても不思議ではなく、それはその通りとして、お酒に何を望むかは、お互ひの勝手ででせう。そちらがお酒に何を求めるかに文句はつけない。だからわたしがお酒に何を求めるかは、口を噤んでもらひたいね。

 失礼。ちよつと昂奮しました。

 落ち着いて、話を進めませう。

 ええと、何だつたか知ら…さう、[清瀧]に話を戻さなくちやあ、いけない。前段では廉価に着目してゐたが…おつと、また昂奮しさうになつた。もう一ぺん、深呼吸をして、[清瀧]では廉価に徹した普通酒だけを出してゐるわけではない。純米酒吟醸酒も、 純米且つ吟醸酒も用意してゐて、新酒の出る時節には、濁り酒や鰭酒も呑める。そこで特筆したいのは値段はさて措き(但し最高値の銘柄でも、一合余りの徳利で千円に届かない)、肴に適ふことで、その肴も大体のところは旨い。大体のところと曖昧になるのは、口に適はないものもあつたからだが、わたしは元來、好ききらひが多い。文句を云ふ筋ではないでせう。

 つき出しが流石に感心しないのは、チェーン店の常として、たとへばほつけの塩焼き、たとへば独活の酢味噌和へ、たとへば山菜の天麩羅と、焼き和へ揚げはまつたく安定してゐて、ことに宜しいのがお刺身。仕入れがしつかりしてゐると思はれて、廉なのにいいところを出してくる。大間産の鮪や関鯖までは流石に望むべくもないが、鯵に鰤に鰹、いさきにかんぱち、サモンといつたところは、お酒の供とするには十分うまい。それに期間限定とか称して、あれこれの工夫を施したつまみがあるのもいい。この品書きに初ものの名前を見ると、季節が移りかはりが何となく嬉しくもなる。後は煮焚きもの、味噌漬け、蒸しもの、昆布〆の類がもう少し充實すれば、チェーン店の肴としては、ほぼ完成するのではないかと思へる。参考までに云へば、散々に呑み喰ひをして(麦酒が二はいにお酒が四合くらゐ)、平均的に掛かるのは二千五百円から三千五百円の間。酒席でコスト・パフォーマンスを云々するほど、莫迦げた話もないが、限られたお小遣ひで呑むのだから、多少は注意を払ふのも惡くないだらうし、さういふ野暮つたい視点に立つても、[清瀧]には及第点をつけてかまはない。好きな店だから、点数が、あまくなつてゐるかも知れないけれど。