閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

110 波頭

 最近は控へ気味になつてゐるが、獨りで呑むことがある。外での話。外で獨りで呑むなんて勿体無いだけだらうと思ふひとがゐるかも知れず、さういふひとはそもそも呑むことに縁が遠い。何の準備も要らないし、片づけをしなくてもいいのは助かるし、それで旨い酒精とつまみにありつけるのだから、こちらとしては有り難い。尤も何の準備も要らないと云ふのは、もしかすると多少の修正が求められるだらうか。詰りお財布…お財布の中身の問題がさうで、併し家で酒精とつまみを用意するのにもお財布の中身は必要だから、特有の問題ではないことにする。かう云ふと今度は、獨りで呑んで樂しいのかなあと疑問の聲を挙げるひとが續くにちがひなく、さう訊かれたらわたしは樂しいよと応じたい。わたしの場合は、と念を押しておく方が宜しからうが、こんな時に外の基準などありはしない。そこで獨りで呑むのはどんな気分かと訊かれさうだから云ふと、どんなもこんなもなく、ただ呑む。偶に薄い文庫本を持ち込み、呑みながら讀んだりもするが、大体は頭に入らないから、途中で鞄にしまひこむ。なので持ち込むのは、頭に入らなくてもかまはない随筆がいい。ここで斎藤緑雨薄田泣菫の名前を挙げるのは非礼だらうか。併し再讀に値する作家だから、一ぺん試すのも惡くない筈である。ただどちらにしても、呑み屋の卓子で優先されるのは酒精とつまみだから、泣菫がジョイスやドストエフスキィであつても、序盤で鞄にはふり込むのは変らない。

 それでたとへば東中野のUといふ店なら最初は麦酒にする。サッポロの赤星があるから、それにもつの煮込みやポテトサラドをあはせて、何を食べ且つ呑むかを考へる。Uなら串焼きが旨い。ハラミやカシラを焼いてもらふ。赤星のお代りは多いので、空になつたらホッピーに切り替へる。この辺りまでは註文する時以外に聲は出さない。外にもお客はゐて、店員も賑やかに註文を請け、さあどうぞと運び、あちこちで乾盃の聲も挙がるから、寂しくもなければ退屈もしない。仮に寂しかつたとしても、それはそれで獨り呑みだから、気にしなくてもいい。カウンタにはわたしと同じ、獨り呑みをしてゐるひともゐて、稀に十年前なら妙齢と呼べるお嬢さんを見掛けることもある。さういふ時は、やるねえと思ひながら、何をつまんでゐるのか、こつそり眺めたりもする。話し掛けたりはしない。ふと見るとじやこ天のお皿がそこにあつて、こちらとしては気にせざるを得ない。わたしのご先祖は伊豫新居浜の人間で、あすこのじやこ天はまつたく旨い。さうなると註文したくなつて、それだとホッピーは格があはないから、お酒にしなくてはならず、ここでやつと、お店のひとに聲を掛ける。じやこ天をつまむから、お酒が慾しい。何がありますかね。それで淡泊だつたり濃厚だつたり、兎に角お薦めを教はつて呑む。たとへば[鳳凰美田]に[一白水成]だから、改めるまでもなく旨い。[梅錦]や[石鎚]といつた伊豫の銘柄があれば、万全と云へるだらうが、二はいも呑めば十分である。

 そろそろお勘定をしてもらはうかと考へると、カウンタが様変つてゐた。何がをかしいと思へたので、周りを見渡すと、何故か中野のKにゐた。ここは黒糖焼酎泡盛が旨い。気分が変るとまた呑める積りになつたので、お任せで黒糖焼酎の水割りを頼んだ。チリー・ビーンズのつき出しが用意されて、それをつまみながら、水割りを呑んでゐると、顔馴染みのお客がやつてきて、途端に賑やかになつた。かういふのを獨り呑みと呼んでいいのかどうかは判らない。お客はそれぞれ獨り呑みだから、一匹狼の大群といつた気配が濃いめである。一匹狼の大群を實際に見たことがあるわけではないから、正しい譬喩なのかどうか。尤もさういふ思考より、黒糖焼酎とチリー・ビーンズの旨さが優先されるのが酒席といふ場所で、結局その疑問は水割りと一緒に呑み干した。呑み干した以上、お代りが必要になるのは当然の帰結で、これはまつたく論理的だなあと自讚しつつ、またお任せで水割りを頼んだ。序でにがしや豆といふのを追加した。落花生に黒糖をまぶしたおやつのやうな食べものだが、黒糖自体が主張のうすい甘さな所為もあるのか、焼酎や泡盛に似合ふ。もしかしてヰスキィにも適ふかも知れない。Kには[マルス]といふ國産ヰスキィがあるのだが、またこれは中々うまい銘柄でもあるのだが、がしや豆とあはせた記憶はない。さう考へたら何だかひどく損をした心持ちになつてきて、そんならその場で[マルス]を呑めばよかつたのかも知れないが、黒糖焼酎泡盛とヰスキィは同じ蒸溜酒でもちがふ飲みもので、前者は食べものを求めるが後者はさうでもなく、ひよいと切り替へるわけにはいきにくい。今は南國の気分で呑んでゐるのだから、南國の酒席を味はふのが好もしい態度だし、夏は厭なものだが、南の國は旨いから話は別だと思つた。

 そんなことを思つてゐたら、何となく飛行機に乗つた気持ちになつて、航空券を買つた筈はないのだから妙だなとも思へたのだが、乗つた気持ちだけなら請求もされないだらうと決めつけた。窓の外を眺めたが、冥い波の頭が時折り、月の光に照らされるくらゐで、その光る波頭は温かさうであり、氷のやうでもあり、兎に角旨さうだつたから手を伸ばしてふたつみつ、つまみ取つて口に含んだら、温かいのか冷たいのか、堅いのかやはらかいのか判らないが、思つたとほりに旨かつたから嬉しくなつた。喉から胃袋に滑り落ちる間に、麦酒やお酒や焼酎の醉ひをとろかしたやうで、ああまだ呑めるなあと安心したところで着陸したらしい。何故さう思つたかといふと、ひどく静かなお店のカウンタに坐つてゐたからで、併しぜんたいどこなのか。構へから察してどうも和風の肴をつまましてくれさうな感じがする。青菜と油揚げをさつと焚いた小鉢が出てきたので、着物をきちんと身につけた女将さんに、何か焼きものとお酒を頼みますと云つたら、[鳳凰美田]はどうでせうかと奨めて呉れたので、栃木に着陸したのかも知れない。冷した硝子の徳利に入つた[鳳凰美田]は實にうまくて、気がついたら出てゐた焼き肴もすつかり平らげてゐた。ああ、かういふ呑み方もいいものだ。賑々しいお店で呑むのもいいけれど、と思つたところで、いきなりカウンタが賑々しくなつたから驚いた。

 周りを見渡して、お客の聲を聞くと、行つたことのない臺灣のやうでもあるが、品書きに書かれてゐるのは青梗菜の炒めものとか、豚肉と白菜の旨煮とか、わたしにも讀めたので、臺灣でも日本でもいいやと決めた。何を呑むのがいいか、見当もつかなかつたけれど、賑やかなお客がゐるのだから麦酒にした。日本語だか臺灣語だかたれかが話し掛けてきたので、何やかやと応じると、カウンタで爆竹がはぜるやうな笑ひ聲が響いて、いい気分になつた。それで麦酒だけでは詰らなくなつたから、百合根のカレー炒めとトマトと玉子の炒めものといふのを註文した。どちらも麦酒に好適で更にいい気分である。そこで麦酒のお代りを空にしてから、紹興酒にしたところ、燗酒に使ふ徳利に入れて出してきた。日臺友好なのだなあと感心したが、単に臺灣風の徳利が見当らなかつただけかも知れない。些末に気を取られても仕方ないので、からから笑ひながら、お皿と徳利を空にすると、Uの店員がにこにこしながら、こちらに勘定書を出してきてゐた。[一白水成]はすつかり呑み干し、じやこ天のお皿も空であつたが、黒糖焼酎や[鳳凰美田]やトマトの炒めものがどうなつたか、曖昧なまま、お勘定を済ませた。帰り路、空を見ると月がぽかんと浮いてゐて、あの欠片を波頭にまぶしたやつを、もう一ぺん食べるにはどうすればいいのだらうと思つた。