閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

113 贔屓

 初めて使つたスマートフォンはhtcのbutterflyで、型番は忘れたけれど、4年とか5年くらゐ前のモデル。3年ほど使つたが、2年かそこらでバッテリが駄目になつて、今の機種(シャープのAQUOS SHV33)に換へ、butterflyは家で目覚し時計とサイマルラヂオの専用機にしてゐる。尤も最近、加熱か何かでバッテリが膨らんできたから、そろそろ使へなくなるだらうと睨んでゐる。

 そのbutterflyで主に撮つたのは、居酒屋で出されたお刺身や、その辺の定食、母親が用意して呉れた晩ごはん、立ち喰ひ蕎麦、うまいお酒や葡萄酒のラベル、その他、諸々で、2,000枚とかそれくらゐは記録したのではないかと思ふ。勿論シャープでも續けてゐて、閑なひとだなあと呆れられるか知ら。それはその通りだが、かうでもしないと、何を食べ、或は呑んだか、記憶から抜け落ちることがあつて、詰り老人となりつつある脳みその、外付けハードディスクのやうなものだ。こんな場合はデジタルカメラだと、カメラである分、持ち重りが感じられるからいけない。

 但しbutterflyのカメラ機能には随分とこまらされて、何かと云へば、ホワイトバランスが破茶滅茶なんである。必要以上に赤が強調され、何と云へばいいか、サイケデリックな感じになる。まさかと思ふなら、添へた画像をご覧頂きたい。わたしが愛してやまないたぬき蕎麦だが、こんな莫迦げた色みのたぬき蕎麦なんて、あるわけないと思ふでせう。わたしもさう思ふ。そして實際のたぬき蕎麦も確かにこんな色合ひではなく、寫眞といふ言葉の意味を疑ひたくなつてくる。いやまあ寫眞が“眞實を寫す”のかと云へば、決してさうではない(この話は長くなるから、ここでは論じない)のだけれど、これだけ破茶滅茶だと、htcのひとが寧ろ、何らかの意図をもつて、こんな風に調整したのかとも思ひたくなる。

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 いやいや。そんなに穿つた見方は要らなくて、単にその辺の作り込みが下手だつたんだよ、と意地惡く、口惡く、見立てることも出來なくはないし、冷静に考へれば、そつちが正しいのだらうなとも思ふのだが、それだと詰らない。詰つたからどうだと云ふと、何でもなく、たとへば撮つたその場でたれかに見せて、なんだこれはと笑ふくらゐであらう。それにさういふ寫り方になると判つてゐれば、さういふ寫り方をすると思つて撮れるのだから、不便はあつても不快ではないし、一ぱい分ほどの話の種にもなる。だとすると、あのホワイトバランスの崩れは、ある種の個性なのだと理解することも出來なくない。スマートフォンのカメラ機能なんぞは所詮、おまけなのだから、思ひ切つて無理をしてもいいんではないか。ちやんと撮らうと思ふなら、ちやんとしたデジタルカメラを使へばいい。だとすればもしかして、butterflyのカメラ機能は、そのひとつの方向を示してゐたのかも知れない…と考へるのは、元ユーザの贔屓目に過ぎないけれど。