閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

117 呑み助封じ

 大抵の定食はごはんに適ふ。野菜炒め、茄子の肉味噌炒め、鶏の唐揚げ、鯵フライ、とんかつ、鯖の味噌煮、回鍋肉や青椒肉絲。定食と云ふくらゐだから当り前だが、今挙げた定食の難点は麦酒にも似合ふことで、さうなるとごはんやお味噌汁を、どう扱ふのかといふ問題に直面する。ごはんとお味噌汁を先に平らげるのは、正統派でなささうな感じがされて気に入らないし、麦酒を飲み会干してからとなると、ごはんもお味噌汁も冷めて仕舞ふ。勿体無い。わたしの場合、定食を先に註文する。三分ノ一くらゐ食べてから、麦酒を追加し、最後はごはんで締める流れにしてゐるが、麦酒が壜だと、何だか中途半端になりかねず、實に悩ましい。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、かういふ心理的な葛藤を感じた経験がないだらうか。勿論そこで麦酒を呑まない撰択はある。たとへば仕事中の晝めしならさうなるもので、併しそれは積極的に呑まないのではなく、呑まないことを積極的に撰ばざるを得ないだけの話ではないか。呑み助は隙と口實があれば、いつだつて呑まうとするから、定食が例外になるとは考へない。そんなのは呑み助の勝手と云はれれば、まつたくその通りとして、晝の定食くらゐ、麦酒を控へたつていいんではないかと時に思ふ。尤もそれは自分の躰を案じた結果でなく、近所の目を憚らうとする見栄なので、たちが惡い。

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 併し最近になつて、どうもこれが解決策になるのではないかと、気がついたことがある。非常に簡単な解決策で、麦酒よりごはんが慾しくなる定食を食べればいい。かう云ふと、そんなのがあるのかと訊かれるにちがひなく、わざわざ一文を草するのだから目星はつけてあつて、豚肉の生姜焼きがそれである。ポーク・ジンジャーではいけない。カタカナ表記だと寧ろ定食ではないひと皿になるから、葡萄酒の一ぱいも呑みたくなる。呑まざるを得ない。とんかつなら我慢が出來ても、ポーク・カットレットだつたら無理なのと心理的な事情は同じで、かう考へると、文字からの連想は大切だと解る。と書き出すと、話が逸れて収拾がつかなくなりさうだからそこは控へて、豚肉の生姜焼きに戻すと、麦酒に適はないのではない。といふより適ふのであるが、あの濃い味は麦酒よりごはんに似合ふ。回鍋肉や青椒肉絲はひと皿の料理で出されて、不思議に感じることはないが、生姜焼きがひと皿、ぽつんと出されたら、不思議…物足りなさ…いやもつとはつきり、不満を感じるのではないか。何がさう感じせるのか、味覚だけでなく嗅覚や視覚も含めて、研究が必要と思はれて、ここで確實なのは、豚肉の生姜焼きはごはんとお味噌汁、お漬物とちよつとした小鉢を揃へ、始めて完成すると断言しても誤りではないだらう。もつと云へば、それ以上を必要としないのが豚肉の生姜焼きであつて、麦酒一ぱいも余分になる。なつて仕舞ふ。食事として完結し、呑む必要を感じない点で、この定食ほど美事な呑み助封じをわたしは知らなかつた。