閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

129 とりとめのないカメラなどの話(その4)

 食事の時に食べものや飲みものの寫眞を撮るのが習慣になつたのはデジタルカメラ…正確にはカメラ機能を搭載した携帯電話の常用に伴つてのことで、馴染んだ頃にそれをフードポルノと呼ぶのだといふ批判的な言を耳にした。今でも使はれてゐるのかどうかは知らないが、初めて聞いた時はその意味より、いちいちカタカナに変換したことへの莫迦ばかしさが先立つて、何とかハラスメントと同じ構図だなこれはと感じたのは忘れない。莫迦ばかしいのは兎も角、併しお行儀が惡いのは確かである。旨さうなお皿、お椀、お鉢が出されたら、やあ旨さうだとお箸でも匙でものばすのが、食べものと食べものを用意してくれたひとへの礼儀だと云はれたら、こちらに反論の余地はない。

 反論の余地がないなら止めにすればいいではないのといふ指摘もまた正しいのだが、それでも止めないのはポルノ愛好家だからではなく、いや別のポルノは愛好したいところとして、食べもの相手の場合、寫眞(デジタルカメラの場合だと画像と呼びたいのだが)は記憶の補助の役割がある。冒頭の習慣を補足すると、どこで何を食べたかを手帖に残すのが本來の目的で、そんなの覚えられるでせうと考へるのは脳味噌が若い証拠である。こちとら老人なのだから、外部に記憶装置を準備しなくちやあ、ぽろぽろ忘れるのよ。それにわたしのの場合、後でざつと判れば目的は達するので、露光も構図もピントもいい加減でかまはない。撮るのは精々1枚か2枚だし…おつと、少し昂奮しましたね。落ち着いて進めませう、落ち着いて。

 そこで話はフード・ポルノグラフ(アンダグラウンドの藝術つぽい響きですな。荒木某辺りが好みさうな予感がする)用途のカメラになる。スマートフォンや携帯電話はかういふ時に便利である。そこは認めるのに吝かではない。ただあれはあくまでもカメラの“機能”で、この“とりとめない話”では些か取り上げにくい。気分の問題と云へばその通りだが、その気分も含めて“とりとめない話”だから、そこはその漠然…気分を優先する。ささやかな経験で云ふと、単焦点で近接撮影に強いコンパクトなデジタルカメラが使ひ易い。素早い記録、訂正、記憶の補助が目的なので、迷ひの種になるズームは不要。フラッシュは使はず、シャッター音は消しておく。液晶画面がチルト式なら好都合。更に小さなテーブルポッドをつけておくと、便利の度合ひが高くなるし、これなら卓子の隅に置いても、そこまで不自然にはならないと思ふ。

 では實際問題、そんなカメラがあるのかと考へるのは当然の疑問で、身も蓋もなく云ふと、現行機種には無い。わたしの知る範囲で単焦点を採用したコンパクトなデジタルカメラを出してゐるのは、リコーと富士フイルム、それからシグマくらゐ(但しシグマはコンパクトとはかけ離れたスタイルを採用してゐるから、省いてもいい。他にライカにもあつたかな)で、どれもAPSフォーマットなのが気に入らない。何が気に入らないのかと疑念を呈するひとが出るだらうか。旧來の機種に較べて、ぼけを樂しめるし、いい寫眞が撮り易いだらうにと。そこで

 ・先づフォーマットの大きさとカメラそれ自体の大きさは正確に比例する。町中でスナップでもするなら兎も角、食べものの並んだ卓子の端に置くなら、小さいのが必須の條件だと云へる。

 ・またこの場合、ぼけは要らない。わたしの好みでもあるのは認めるとして、寧ろ隅つこまできりきり寫つてもらひたい。その方が記憶の補助としても有用なんである。

 ・序でに、フォーマットの大きさと寫眞の良し惡しに関係はまつたくない。ミノックスでも優れた寫眞はあるし、4×5判だつて駄目寫眞はある。デジタルカメラだから、それは当て嵌らないと云ふのは莫迦げてゐる。

と、ささやかに異論を呈しておかう。そしてその意味…といふより、わたしの目的から云ふと、撮像素子が1インチ未満のデジタルカメラには残つてもらひたかつた。

 ここでやつと具体的な機種を挙げると、リコーのGRデジタル(のシリーズ)はかなり、理想に近かつた。レンズのバリアが内蔵式で、同社製GX200のやうな外付けEVFがないこと、序でに液晶画面がチルト式でないのが、まあ不満と云へば不満だつたが、小さく軽く、近接撮影に強く、いざとなれば乾電池も使へる。それに割りと細かく設定を弄れ、それを直ぐに使へる点も中々によかつた。このⅡ型はある期間、熱心に使つてゐたのだが、ある時突然に飽きて手放した。失敗だつたなあ。改めて買はうかどうか、迷つてゐるうちに、GRデジタルはデジタル抜きのGRになつて、然もそこでAPSフォーマットにもなつて仕舞つた。僅かに大きくはなつても、GRデジタルと同じ形状や操作箇所はほぼ同じで、ここから少しややこしくなるが、それは誤りだつたと思ふ。

 原則的に云へば、同じ銘のカメラは、形状や操作系を保持するのが好もしく、また望ましい。併しきはめて似てゐて、ほんの少し大きな筐体に、元の操作系をそのまま配置すると、大きくなつた分が間延びに感じられる。リコーがGRの設計で、インタフェイス(物理的なボタン類だけでなく、そこに割り振る機能やその名称も含めて)を出來る限り崩さないと判断したのは、その意味で正しかつた。但しそこで、視覚的なバランスの崩れに注意が向かなかつた(或は気がつきつつ、これでよいと考へた)のは、GRデジタルユーザの視覚の馴れに対して行き届きが不足してゐたし、その点をわたしは惜しむ。

 だつたら何を撰ぶのがいいのか。現行機種に無いのは既に述べた。撮像素子の大きさ、詰り本体の大きさに目を瞑れば、富士フイルムのX70は候補に挙げていいが、スマートさに欠けるので、フード・ポルノグラフには似合はない。散々批判した後でGRⅡ(これは現行機である)は撰びにくく、さうなると残る方法は、遡つてGRデジタルⅣを探すくらゐだらうか。本心を云へば、リコーにGRデジタルⅤを出してもらひたいのだが、それは無理がありすぎる。さうだ、ペンタックス銘なら近年にQといふ實績があるから、そちらに期待するのはどうだらう。作り込んだ玩具の位置づけだつたら、案外うけさうに思はれる。