閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

138 平成最後の甲州路 第1回

 旅行に関はる随筆といへば矢張り、内田百閒の『阿房列車』で、この[閑文字手帖]でも何度か、或は何度も触れてゐる。同じ本を挙げるのはどうかと思ふよと、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏からは呆れられるやも知れないが、繰返して取上げ、また推奨したくなる本がさう簡単に増えるものか。併しあの本が旅に纏はる本なのかと云はれたら、その疑問には賛意を呈したくなる。稿が進むにつれて随筆なのか小説なのか、さつぱり解らなくなるもの。尤もそれが面白い上、為にならないのだから、正しい意味での純文學と呼ぶのが相応しいのだらうか。それはそれで似合はない気もする。百閒先生はどう考へてゐたのか知ら。仮に

「あの『阿房列車』は純文學だつたのでせうか」

と訊いてみたとして、叱りつけられる自分しか想像出來ない。それとも不機嫌な顔つきで、一献やり玉へくらゐ云つてもらへるだらうか。その百閒先生は東海道本線奥羽本線や八代線で阿房列車を運行さしたが、ニューナンブも年に一ぺん、似た列車を走らせるならはしがある。秋…といふより初冬の甲州路行きで使ふ新宿驛午前8時發の特別急行列車“スーパーあずさ5號”がそれで、本当かなあと疑問を感じる向きには、[025 山梨に行つたこと]とその前後をざつと讀んでもらへればいい。

 平成の元号が終らうとするこの年も、その“スーパーあずさ5號”に乗らうではないか。

 といふ話は随分と以前から出てゐた。厳密に云へば前回の帰り道には出てゐた筈で、併しそれを出てゐたと称していいのかどうか。漠然とまた行かうぜといふだけでよければ、さういふ話は幾らでも挙げられる。現實的な話となつたら、年が改まつてからとなつて、最初は例年より早めでもいいんではないかと考へてゐた。大体ニューナンブの秋は忙しくて、10月の終りには小澤酒造の藏開きがある。当日の往復は無理でないとして、但し帰りがどうなるか、見当がつかない…有り体に云ふと不安なので、羽村にホテルを取るのがいつもである。その藏開きを見送り、11月の初頭に甲州路行きを入れ込むのはどうだらうか。さう考へたのは、勝沼甲府では11月3日前後にヌーヴォ解禁だからで、お祭りがたくさんあるだらう、そこを狙ふのも方法ではないか。尤も厭みを云ふと、ヌーヴォは大して旨くない。あれは今年も葡萄酒が醸せたぞと神さまに感謝するのが目的だから、“近年類を見ない当り年”とか何とか煽る必要はないし、極東の我われが勇んで飲む性質の酒精でもない。さういふお祭りは佛蘭西の農民と醸造家に任せておいて、こちらは身近な酒藏で新酒を味はふ方がいい。藏開きもまあお祭りではあるんだが、矢張り親近感がちがふ。

 そこで気がついたのは、お酒には“寝かす”といふ發想がきはめて薄い。殆どの銘は醸つて1年以内に飲み干すもので、かういふ酒精は案外と少ないのではなからうか。勿論例外なくではなくて、たとへば先に挙げた小澤酒造には[藏守り]といふ長期熟成の銘柄がある。琥珀いろになつた獨特の色あひで何度か含んだことがあるが、味はひ…香りや喉越しや後くち…は舌に馴染んだそれとは遠く、適はないと感じるひとの方が多さうに思へる。それは馴れの問題でせうと云ふ見方もあるとして、ではそれが晩酌の肴に適ふのかといふと、疑念と議論の余地は残る。当り前の話で、鰯の煮つけや秋刀魚の塩焼きや青菜と厚揚げと小芋の煮ころがしは、寝かさないお酒に適ふ方向で進化してきたのだから、熟成酒が旨く感じられても、その点で未熟成酒より不利であらう。では我われのご先祖はどうして、未熟成のお酒を好んだのかといふ疑問が浮んできて、簡単に考へれば保存の問題でせうね。長期の保存に耐へられるものが醸れなかつた。元は濁り酒だから、はふつておくと直ぐ醗酵して仕舞ふ。その習慣が、浄酒…これはスミサケと讀んでほしい…に到つても抜けなかつたのではないか。もうひとつ想像出來るのは、古代の神道的な穢れや忌みと佛教的な潔癖が混淆した結果で、腐敗への厭惡感と云つてもいい。もしかすると身も蓋もなく、長い貯藏期間に我慢ならなかつたとも考へられなくもないけれど。

 實際は兎も角、さう考へると、同じ醸造酒なのにお酒と葡萄酒とはえらくちがふ。更に云へば、これは吉田健一に教はつたのだが、お酒はひとつの銘柄で最初から最後まで食事が出來る(これは葡萄酒文化圏のひとにとつて、奇異に感じられるさうだ)けれど、葡萄酒は食べもので赤白重軽酸甘を飲み分ける必要がある。確かにそのとほりであつて、お酒なら鰯や秋刀魚や煮ころがしが見当らなくても、冷や奴が焼き海苔が焙つた油揚げがあれば、さて飲まうかと思へるが、葡萄酒だと、何を食べるかを優先して、飲む銘柄を決めたくなる。家禽は赤、魚介やジビエは白と厳密主義を取らなくてもいいだらうけれど、食べものあつての葡萄酒なのは間違ひがない。併し残念ながら、わたしにはさういふ知識も経験も十分でないのは、認めなくちやあいけないし、さういふ啓蒙は藏にも望みたい。甘みや酸み、豊かな果實の薫り、タンニンの風味…さういふ葡萄酒の味はひが大切なのは判るが、我われが知りたいのは寧ろ、普段の食事に似合ふのは何なのかといふことではなからうか。それがマーケットの廉賣りで500円に押し込められるのは、どうも納得が六づかしい。こちらは洒落たピックルスとか牡蠣のオリーヴ油漬けとか鴨のオレンジソースとかを毎日食べるわけではない。だつたらちよいと気張つた1本で、鯵フライやもつの煮込みや玉子焼や鶏の唐揚げで樂しめる工夫を教へてもらひたいし、さうするのが葡萄酒の裾を広げることに繋がると思はれてならない。

 たださう考へた時、甲斐國はどうも分が惡い。わたしが単に無知な可能性は大きにあるし、またくさすのは本意でもないが、山國は損をしてゐる気がする。京都(山國ではないが海に面せぬ盆地である)だつてミヤコだから鯖を塩漬けで送らせ、或は乳牛院を用意して醍醐や蘇や酪を納めさせたり出來たので、でなければきつと食べものの貧しい小都市のまま現代に到つたにちがひない。といふ大坂人の京都に対する目の辛さは措いて、甲斐國のうまい食べものといへば、餺飥(ほうとうにはこの字をあてるらしい。元の讀みはハクタクださうだから、歴史的仮名遣ひではハウタウだらうか)と鮑の煮貝くらゐしか思ひ浮ばない。あとは鶏もつ煮か。共通するのは濃いめの味つけで、國人の好みがさうだつたのか、保存出來る食べものを用意する習慣が、國人の好みを決めたのか、どちらかと云へば後者だらうな。外に観光客向けの果樹園は兎も角、お漬物や山菜や川魚はあつても不思議でない筈なのに、聞いたことがない。その辺は丸太が甲斐に馴染んでゐない所為だと云はれたら、そこは確かにその通りとして、それでも甲斐國の葡萄酒が甲斐國の食べものと些か離れた場所で發展してきたと見るのは誤解ではなからうと思ふ。但しそれは甲斐の葡萄酒と食べものが適はない意味ではなく、わたしの或は甲斐人の見落しがあるにちがひない。なので今回の、そして平成最後の甲州路行きでは、葡萄酒と食べもの、それも甲斐國の食べものとの組合せをひとつ、主題に取上げてみるかと決めた。