閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

142 微妙な立ち位置

 “何々定食”と呼ばれる食べ方は意外と特殊ではなからうか、と不意に思つた。ごはんにお味噌汁、お漬物、小鉢、それから主菜で構成されるあの定食の話。だつてパリでの“鴨のオレンジソース煮定食”とか、フランクフルトでの“焼きソーセイジ定食”、或はリスボンの“鱈のコロッケ定食”やモスクワの“ピロシキ定食(ウオトカ附き)”が食べられるかといふと、どうもあやしい。イベリヤ人は米を食べるから、“鱈のコロッケ定食”が成り立つ可能性はあるが、たとひ成り立つたとしても商ひにはならないだらうな。そんな気がする。

 ではそれは何故だらうと考へるに、我が國の食卓の中心には米があつて、後は“おかずになるかどうか”(だけ)で、取捨撰択がなされたからではないか。思ひ切り乱暴に云ふと、米があれば塩や味噌や海苔や梅干しのどれかがあれば、最小限の食事にはなる。すりやあ、“ごはんと何を組合せるか”にはたれもが熱中するし、熱中が商ひになつても不思議ではないよ。さうなると、“何々定食”が成り立つ條件は何かといふ点が気になつてくる。では何をもつて“定食”と呼ぶのかと疑問が湧いてくるが、この稿では前述のとほり、ごはんとお味噌汁、お漬物に小鉢があつて、そこに一品の主菜がある食べもの、食べ方であると仮に決めておく。また食べるのは外であつて、問題にしたいのは主菜…ここからは“おかず”と呼ぶ…ともする。詰りわたしの興味は“お金を払へる定食”のおかずは何が最小なのかといふことで、莫迦ばかしいと云はれれば、まつたくその通りですと応じざるを得ない。

 先づ当り前に考へたい。鯖の味噌煮、秋刀魚や鮭の塩焼き、(肉)野菜炒め、とんかつ、鶏の唐揚げ、豚の生姜焼き、肉じやが、焼き肉などは定番と云つてもいいでせう。少々豪華なのはハンバーグに牡蠣フライ、天麩羅にお刺身辺りか。ちよと捻つて肉豆腐やかつとぢ、もつ煮、茄子の肉味噌炒め。中華風からは青椒肉絲、酢豚、麻婆豆腐、鶏のカシューナッツ炒めを挙げませうか。少し格が落ちるとミンチカツや烏賊(リング)フライ、コロッケ…但しこの格落ち組が合体してミックスフライになると侮れなくなるけれども…かと思はれるが、まあこの辺までは“お金を払へる”定食と呼んでも異論は出ないだらう。海老フライはどうしたとか、青梗菜の炒めものを忘れてゐるとか、鯖は竜田揚げに限るとか、色々の指摘はあると思ふし、こちらが忘れてゐる定食もあるにちがひないが、そこはそれだけ定食の世界が豊かなのだと考へてもらひたい。パリでもフランクフルトでもリスボンでもモスクワでも、かういふ食事は六づかしからう。幸か不幸かはもちろん別の問題として。

 さて、上を参照しつつ、“お金を払ひにくい(かも知れない)”定食のおかずは何なのか、といふ話…疑問になつてきて、その輪郭はどうやら、“主菜を張るには微妙に感じられる副菜”ではなからうか。プロ野球で云へば、二軍で六番を打ち、打率は二割五分くらゐの、そこそこ堅實な守備の二塁手。相撲なら前頭の上位までは登るけれど、三役には到らない力士。寧ろ譬喩の所為で訳が判らなくなつてきたから、具体例を挙げて考へませうか。たとへば厚焼き玉子。余程いい卵を余程丁寧に焼いたのなら、主役を張つても文句は出ないだらうが、期待を外された時のがつかりも比例する。二軍で直近一ヶ月の打率が三割五分だつたけれど、一軍でそのまま通用するかどうか、といふ感じ。たとへばおでん。實力は十分なのに、定食だと本來の半分もそれを發揮しない。或は鰤大根。わたしの大好物だし、ごはんとの相性も素晴らしいのは異論の余地を見出だせないのだが、定食の姿だと違和感を覚える。ビフテキやトンテキ、またはハムステーキもさうだし、ジンギスカン名義で出てくる羊も些かこまつて仕舞ふ。

 上記の後半辺りになると“微妙な立ち位置”の意味が、二軍の強打者といつた負の印象ではなく、単なる土俵のちがひに近くなつて、すりやあ世界ランク上位のテニス撰手でも、バドミントンの大会に出ればこてんぱんである。定食では違和感がある鰤大根も、酒肴の一品として出されたら、たれだつて歓喜の聲をあげるだらう。わたしならきつと、大喜びする。裏を返すと、さういふ食べものは定食に仕立てる必要がないわけで、定食の最小構成の候補から外しても問題にはなるまい。ここまで考へて、これまで出た中からは玉子焼き、追加でウインナとハムカツ、そして鯵フライを挙げるのが妥当ではないかと思はれてきた。外にもあるだらうと云はれさうだが、それがわたしの想像力なのだと憐れんでもらひたい。当然だが風格は感じられない。贔屓目に見ても、野球なら一軍の下位打線くらゐ。町の定食屋だつたら、五百五十円が出せる上限だらうか。だらうな。玉子焼きが韮入りで大根おろしと薑が、ウインナにザワークラウトマスタードが、ハムカツや鯵フライに上塩梅のタルタルソースが添へてあれば、百円高くても何とか許容範囲に収まるとは思ふ。ただそんなら、家で用意する方がベターな撰択だと考へられてきて、おそらくその判断は正しい。定食が定番の食事の省略なのかどうかは兎も角、時間が定着さした組合せは強さを改めて感じたのだが、仮に玉子焼き三切れとウインナ三本、ハムカツと鯵フライ各一枚が、ひと纏りのおかずとして提供されるとしたら果してどうなるか。