閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

148 徴

 たれの小説だつたか、ある大人が少年に、パンとチーズを忘れてはいけないよ、と教へる場面がある。我われで云ふと、ごはんにお味噌汁、またはお漬物だらうか。尤もこのくだりで大人が云ふパンとチーズは、苦難に対する希望の徴で、本当ならパンと葡萄酒になるのを、少年に向け、チーズにしたのだらう。キリスト教のかういふ優しげな口調は好もしい。ごはんとお味噌汁乃至お漬物ではちよいと、収まりが惡いのは残念だが、何しろ我が國の神さまは、祟るのが専門だからねえ。希望の徴と云はれたつて困るよ。

 ま。併し。パンとチーズだけでは些か物足りないなあと思ふのも事實(の一面)で、かういふ場合は矢張り、肉が慾しくなる。ごはんなら厚揚げと芋の煮ころがし、秋刀魚の塩焼きか。うーむ、大きに喜ばしい献立だけれど、どことなく野暮つたいか…ここでは目を瞑ることにして、外に肉が慾しくなるのは、空腹で酒席についた瞬間でせう。別に凝つた肉料理を求めるのではない。がつと焼き、ざつと味つけて、ばつとお皿に乗せ、出してもらへれば満足なので、そこまで餓ゑる前に、食卓に着くのが正しいと云はれても、美食なんぞ、はつは、いい加減な感覚だよと笑ひたくなる。

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 それでいつぞやがさういふ空腹の晩で、品書きに“木ノ子とハラミの何とか”とあつたから、これを註文しない手はない。かういふのは何より餓ゑを収める為だから、まづくなければそれでいい。旨ければもつといい。それで食べてみると、木ノ子は兎も角…味はへるほどの量ではなかつた…、ハラミは惡くなく、鐵板に乗せてこなければ、及第点出せるくらゐ。落着いてから改めて飲んだ麦酒もまた、旨いものだつた。少年が忘れるべきでないのは、苦難に対する希望の徴であるところのパンとチーズなら、大人が忘れるべきでない肉と麦酒は、空腹に対する安心の徴にちがひない。