閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

159 タツタガハ

 古い手帖を捲るのは愉しみであり恥づかしくもあつて、今回は後者の話。

 たれの本で讀んだのかは忘れたが、明治頃に短歌を習つてゐた少女がゐて、何かにつけて一首を詠んださうな。先生に褒められて嬉しいとか、美味しいお菓子を食べたとか、見上げた月が綺麗だつたとか、心動くことがあれば、三十一文字に託したさうで、一度讀んでみたい。きつと大半は拙劣だらうし、その時の背景が判らないと、首を捻ることも多からうが、兎にも角にも詠む…詠み續けること自体が、その少女の歓びだつた筈で、それは讀めば解るにちがひない。

 それでふと思ひ出して、古手帖を捲つてみた。

 ありましたね、矢張り。

 確かに一時期、兎に角毎日、十七文字を捻ることにしてゐて、半年くらゐ續いたから、二百句余りがあつた。讀み返しつつ、纏めに掛つてゐるのだが、はつきり云つてまあ酷い。他人さま…我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の目に見せられる出來は今のところ、見つからない。腹が減つたとか、パーソナル・コンピュータが壊れたとか、そのまま書けば済むのを無理やり十七文字にしたのが大半で、形式としては發句かも知れないが、価値的にはただの文字である。

 当り前と云へばその通りである。十七文字にしても三十一文字にしても、文學の伝統が背骨になくてはならない。ほら、和歌に本歌取りといふのがあるでせう。瀬をはやみとか天津風の歌を引きつつ、自分の想ひを詠む技法。時にそれは二重三重になつて、ごく短い詩に、複雑な綾をつける。

 併しかういふ手法を用ゐるには、先づわたしが、和歌短歌狂歌發句川柳に通じてゐなくてはならない。この時点で無理があるのは念を押すまでもないが、更に我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも同じたけの素養を求めなくてはならない。たとへば酒席を先に立つわたしが、颯風は今はまからむと詠み捨てたとして、人麻呂のそれをたれも知らなければ、冗談が成り立たないではありませんか。

 かう云ふと、そんなクラッシックな社交の儀礼を出されてもなあと呆れられさうだから、別の例にしませうか。竜田川の歌を下敷きに雪花菜の話をするとして、さうすると讀者諸嬢諸氏には本歌と併せ、落語の方も予め知つてもらはないと、話が進められない。因みに云ふ。これは小倉百人一首にも収められた在原業平

 千早ふる 神代もきかず 竜田川

 からくれなゐに 水くくるとは

で、江戸の町人の頭にはこのくらゐ、入つてゐたらしい。でなければ、熊さんの疑問にこぢつけで返答するご隠居の図式にならないわけで、あの時代の藝は大したものだつた。かういふ手を現代で使ふとしたら、現代の流行を織り込むくらゐしかなささうで、閑文字屋には中々六づかしいね。双方に素養がないのだもの。共犯関係が作れない。さう考へると、古手帖の二百が二千になつても、颯風の十七文字が恥づかしいままだらうとは、容易な予測である。明治の短歌好き少女は幸せだつただらうな。彼女の後ろには、竜田川が千年の歴史と共に流れてゐた。