閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

184 烏賊にまつはる謎は

 藤田まこと中村主水だつた時、白いお刺身を見て顔をほころばせ

「や。烏賊ですな。歳を取るとね、かういふのが嬉しくなる」

とつまんだら、實はお刺身ではなく蒲鉾だつたといふ場面があつた。それでせんとりつに給金がどうかうととつちめられる。烏賊も買へない家計なのですよといふ厭みですな。藤田まことは贔屓の俳優ではなかつたし、仕事人だつて殆ど観た覚えがないのに記憶に残つてゐる。池波正太郎の影響だつたかとも思へるが(仕掛人の梅安先生は中々の美食家)、この場面を観た時に“仕掛人”ものを讀んでゐたかどうか。“鬼平”に熱中してゐたのは確かなのだがなあ。

 さう云へば“仕掛人”でも“鬼平”でも“剣客商売”でも、うまさうな食べものは色々出るが(ことに野兎の団子汁は一ぺん、やつつけてみたい)、烏賊がお膳に現れた場面は記憶にない。梅安さんも火盗改メのお頭も秋山の老先生も、しやんとした食べものを口にしてゐるから、あの時代…十八世紀半ばから後半くらゐの料理屋は、烏賊を扱はなかつたのではなからうか。八丁堀の中村主水は、おほむね十九世紀前半辺りを舞台に登場するから、その間で烏賊の扱ひが変つたのかも知れない。この辺りの時期に、魚介類の保存法として、醤油漬けが出來てきたさうだから、矛盾は少なからう。主水が頬を緩めたのはお刺身と勘違ひしてだから、その点を衝かれるとこまるけれども、そこは調理法史と時代劇は、大体がいい加減な関係なのだらうとしておく。

 烏賊といふのは宛字だと思ふ。物騒な宛字だとも思ふ。烏ノ賊だもの。それ以前に烏賊の語源がはつきりしない。ざつと調べたところ

 ・“厳めしい”や“厳つい”の“厳”…イカに由來するといふ説。

 ・“イ”が“白”で、“カ”が“堅い”の意だとする説。

 ・“イ”には大した意味がなく、“カ”は甲を指すといふ説。

 ・蛸より速く泳ぐ様から、“行かう”が転化したといふ説。

があるさうだが、どれもこぢつけめいた感じで、素直には納得しにくい。第一、“イ”が白の意なんて聞いたことがない。古語は不得手だから探るのは諦めて、兎に角我われのご先祖は、あの生きものを“イカ”と呼んだのだとしておかう。では烏ノ賊と字を宛てたのは何故だらうとなつて、これは中國の伝承らしい。あの生きものが死んだ振りをして海面を漂ふ。それを狙つて舞ひ降りた烏を逆に捕まへて食べた姿が、“烏にとって賊のやう”だといふことになつたらしい。尤もこの話はをかしい。烏賊には烏を食べる習性はないし、仮にイカが海面を漂ふとしても、そんなところまで烏が飛ぶものか知ら。墨を吐くところが烏めくからといふ説もある。この場合の烏賊は、“烏ノヤウナ賊”と讀むだらう。但し何に対しての賊なのか、そこがよく判らなくなる。

 中國の伝承はクラーケンを連想させる。蛸だか烏賊だかのやうな姿で、船を水底に引摺り込む怪物。これくらゐのスケールなら、“厳つい”からイカなのだと主張したくもなるが、北欧と中國と日本語にどんな接点を見つければよいか。語源が曖昧で伝承が生れる程度、あの生きものは我われのご先祖に馴染んできたと考へるくらゐだらう。馴染んだ理由に特徴的な姿も含めるのは当然として、矢張り喰つてみたら旨かつたといふのが大きかつたにちがひない。實際、烏賊は殆ど棄てる部位が無いさうで、確かに肉も内臓も我われの舌を悦ばせてくれる。お刺身は勿論だが、下足の天麩羅で宜しく、烏賊フライも嬉しい。ご先祖はきつと、焼いて食べるところから始めたのだらうが、今だつて丸焼きは旨いし、青梗菜とあはせて炒めたのも實にいい。

 併し飲み助を一ばん悦ばす烏賊料理は矢張り、沖漬けや塩辛の類ではなからうか。云つては何だが、たかが塩漬けの保存食が贅沢で喜ばしい肴になるのは、塩藏を編み出した先人の知恵も忘れてはならないとして、それ以上に烏賊自体が旨いからだと云はざるを得ない。かういふのをつまめる夜は、どうしたつてお酒である。わたしは切れがすすどくて、軽みのある味はひを好むのだが、塩辛を相手にするなら、輪郭のはつきりした銘の方が似合ふかも知れない。そこで葡萄酒ならどうだと想像して、生に近い魚介はどうも不釣合ひで適はないだらうと思つた。尤もこれは塩辛での想像である。オリーヴ油に漬け込んだら、掌を返す可能性は残つてゐる。後日の樂しみにしておかう。

 もうひとつ、後日…但し遠くない後日…の樂しみにしたいのが、黑づくりと呼ばれる塩辛の一種。烏賊の墨も一緒に漬け込んであるさうで、吉田健一の『私の食物誌』によると

「烏賊がまるごと幾匹もその墨に塗れて塩漬けになっていて、それが豪壮に目に映るのみならず、その味と来たら何とも言えなく見事」

であるらしい。本当か知らともし疑ひを抱くひとがゐても、その後に

「当の烏賊が海の中を泳ぎ回ってその生活を楽むにはその体全部が必要である筈で、このことはその味にも関係する訳であり、それならば烏賊のまるごとの黒づくりの方が一般に売っているのより遥かに旨いのは少しも不思議ではない」

と續けられれば、どうでも説得されるし、仮にさうでなかつたとしても、一ぺんはその黑づくりでお燗酒をやつつけたくなるのは間違ひない。八丁堀の同心も火盗改メの頭目仕掛人も、かういふ味は知らなかつたらう。そこまで考へて、早鮓の古典的な種に烏賊があつたのを思ひ出した。といふことは江戸の海で烏賊は獲れたのか。だとすれば江戸の漁民が黑づくりを(こつそり)作つたとしても不思議とは云へないが、實際がどうだつたかは判然としない。烏賊にまつはる謎は数多く、また奥が深い。