閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

213 古めかしい魚屋

 鮭の字は元々、サカナ全般だか何だかを指してゐて、あの魚は魚ヘンに生と書くのです、といふ話をどこかで讀んだ記憶がある。記憶なので間違つてゐる可能性が高いから、眞に受けない方が宜しい。魚ヘンに生の字はわたしの環境で変換出來ないから、ここからは鮭とするが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、圭の部分を生だと思つてもらひたい。

 實際がどうかは兎も角、鮭には冬の魚といふ印象が強い。陋屋の近くには古めかしい魚屋があつて、師走の聲を聞くと店の前に“新巻鮭あります”と貼り出す。一ぺんその新巻鮭を買つて、鍋に仕立てたり茸と一緒に味噌で炒めたりしてみたいものだが、どう考へても使ひ切る算段が立たない。腐らして仕舞ふのは勿体無いから、手を出せないでゐる。獨居老人はかういふ時に損ですな。

 話が逸れた。冬の魚の印象は新巻鮭の貼り出しもさうだとして、わたしの場合、鍋ものの種が大きな理由。水炊き乃至寄せ鍋に入れる。白身魚ですからね、美味いものですよ。鱈もいいが、もしかすると鮭の方が好きかも知れない。併し實際鮭は冬の魚なのか知ら。その辺で賣つてゐるお弁当で見掛けるのは稀ではないし、お惣菜屋でも、マーケットでも、古めかしい魚屋(調理したものも賣つてある)でも、鮭といへば鰯や鯖と並んで、年中ありふれた魚介ではなからうか。いやありふれたとは鮭や鯖、鰯に失礼で、それだけ我われの食卓に馴染み深いと云ふべきだらう。

 かういふ時は何といつても『檀流クッキング』が参考になる。早速取り出すと、果して[サケのヒズ漬と三平汁]といふ項がある。“ヒズ”は“氷頭”と書く。頭の軟骨。それがたつぷりついてゐる部分を

「そのまま皮ごと、薄く切り、酢をかけ」

ると、たちまちに氷頭の鱠が出來るさうで、美味さうですな。この鱠は『美味放浪記』の[厳冬に冴える雪国の魚料理]でも触れられてゐる。こちらは料理屋で食べたものだから、軟骨にととまめ(いくらの湯通し)をあしらひ、大根おろしをまぶした豪華版。小説家が鮭の肉を味はつたのは云ふまでもなく、ここは引用せずにはゐられない。

 「本番は鮭の大きな切身を竹串に刺して焙ったものだ。表面が狐色を呈していたから、醤油でもつけたのだろうかと思ったが、そうではない」

 「鮭の脂が滲んだものらしく、その皮のパリパリとした味わい、肉のしまりと、とろけるようなうまみと、まったく以て、どんなにほめてもほめきれるものではないような気持ちがした」

たつた三行で脂のはぜる音、烟が立ち、香りがたちこめて、いかにも旨さうな鮭の分厚い肉の味はひがこちらの舌に浮んでくる。かういふのを名文と呼ぶのだが、食慾をきつく刺激されもして、まつたく迷惑な名文でもある。腹立たしい。

 さう云へば水戸の光圀公は鮭の皮が大の好物だつたさうですな。厚さ三寸の鮭皮があれば十万石と交換してもいいとうそぶいたとか。確かに魚の一ばん旨いところは皮の直ぐ下だとはよく聞くけれど、またわたしも好物でもあるけれど、三寸の皮つてステイクでもあるまいし

「見よ、十万石の鮭皮ぢや」

なんて自慢されても、ぼんやり顔ではあと呟くくらゐしか出來さうにないよ。とぼやいてから、併し後世、“越後の縮緬問屋の隠居こと光右衛門”になつて仕舞つた人物が何故、それほど鮭(の皮)を好んだのか知らとも思つた。

 本州で鮭といへば新潟(村上市三面川)だらう。さう考へて念の為、確かめると、いや念の為は大事ですね、那珂川といふのがあつた。栃木那須岳を源流に大洗町ひたちなか市の辺りで太平洋に流れ込む川。鮭が遡上することで知られ、穫れた鮭は水戸徳川家に献上されたといふ。旨かつたのはこれで十分想像出來る。水戸藩主の光圀公が献上の鮭に舌鼓を打たなかつたと考へるのは寧ろ無理…何しろ饂飩を打つのが趣味だつたし、明國の亡臣を引き取つて、拉麺(の原型)を啜つたくらゐだから、喰ひ意地の張つたひとだつたのだらう…といふより、余程好みに適つたにちがひない。でなければ、鮭の皮の旨さに熱狂しなかつた筈だ。

 尤も光右衛門…御隠居…光圀公には惡いが、鮭の皮は塩焼きのそれをそのまま食べるより、食べる前に皮を取つて刻み、乾煎りする方がうまい。薄切りのベーコンと同じく、脂を飛ばすやうに煎りつけるのがこつで、かりつとなつた熱いのを、そのままつまむのがいい。食べ切れなささうなら刻み方を細かくして、かりかりまで煎れば、次の日くらゐまでは保つだらう。少量のマヨネィーズで和へ、サンドウィッチに使ふのも惡くない。麺麭に挟むのかと思ふ方もゐるだらうが、うまいものですよ、案外と。尤も上代の新潟人は鮭の皮を服や靴に使つたさうだから、舌鼓を打つ現代の我われを奇怪な目で見るかも知れない。

 鮭が凄いのは肉や皮や卵だけでなく、内臓も食べられることで、めふんといふ塩辛がある。アイヌ語のメフル(腎臓)を語源にする腎臓の塩辛。女奮の字をあてることもあるさうで、性的な何かがある(と思はれてゐた)のか知ら。食べたことがないから、わからない。デートで機会があれば、試してみなくちやあ。さうなると使へないのは骨だけかとなるのだが、さにあらず、骨を鉈で細かく叩いて、大根おろしと味噌で和へる食べ方があるといふ。旨いに決つてゐるよ。ごはんに乗せてもよささうだし、ごはんに乗せて適ふ食べものはお酒にも適ふから、恰好の肴にもなるにちがひない。一尾の鮭があれば、おかずも肴も食事はほぼ完結する。かう書いてゐたら、鮭が食べたくなつてたまらなくなつた。今夜は近所の古めかしい魚屋で塩鮭を買つてくるとしませう。