閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

231 連想チース

 吉田健一は詩を引用する時、本をあたつて確かめることをしなかつたさうだ。だから原稿に誤りが散見されるのは珍しくなくて、編輯者は中々にたいへんだつたらしい。無精をしてはいけませんといふ教訓ではない。吉田は詩を暗誦して樂しむものだと教はり、またさうしてゐたからで、文學者はすごい。こちらの頭の中にあるのは、和歌が二首か三首と、ごく短いライト・ヴァースくらゐが精々だもの。とても眞似出來ない。なのでわたしの場合は、“確か”とか“大意”とか、そんな枕詞をつける。

 確か『ご馳走帖』(中広文庫)に収められた一篇。内田百閒が若い頃お世話になつたフンチケル先生と四半世紀ぶりに食事を共にする機会を得た折、先生がしきりに、チース、チースと云ふのを聞いて、ひどく混乱する一幕があつた。フンチケル先生が云ふチースはチーズの意。確かに昔はチースと讀んだのに、いつの間にかチーズになつてゐたところに、忘れてゐた發音が突然飛び込んできたから、驚いたのである。

f:id:blackzampa:20190113111826j:plain

 そこでチーズの綴りを確かめると、cheeseであつた。成る程、チースと發音しても不思議ではなささうだが、ズとスの音はそんなに遠くない。實はフンチケル先生は当時からチーズと發音してゐたのに、百閒先生がそれを誤つて耳にした可能性もある。まだまだチーズが珍しい食べものだつた時代の話だらうから、聞き間違ひをしても怪しむには及ばない。尤も、明治の日本で、チーズをどんな時に食べたのか、といふ疑問は残る。フンチケル先生が學生を招いて、母國風の食事を供したのか知ら。さうなると気になるのは、葡萄酒があつたかどうか。メッケル小佐…獨逸軍人。明治陸軍の教官であつた…が來日した頃は、横濱なら手に入つたさう(司馬遼太郎の『坂の上の雲』に逸話が紹介されてゐる)だから、フンチケル先生が葡萄酒を用意するのは、簡単だつたかどうかは兎も角、無理ではなかつた筈だ。

 併しチーズを葡萄酒のお供と決めつけるのは誤り…ではないとしても短絡で、サローヤンの『パパ、ユーア・クレイジー』では、主人公の少年にパン屋の親父さんが、パンとチーズを忘れてはいけないと諭す場面がある。この場面のチーズは、パンの(おそらく最良の)友人と扱はれてゐる。貧窮や陰惨ではなく、幸福と希望の暗喩。フンチケル先生が振舞つた(かも知れない)チーズが、(もしかすると)西洋文明の徴だつたかと思ふと、あの食べものには色々の役割…遡ると古代の希臘では兵隊の糧食でもあつた…があるのだなあと呟きたくなつてくる。ここで疑問ひとつ。イエス様は使徒

「私の血であり肉である」

と云つて、葡萄酒とパンを振舞つたさうだが、その場にチーズはなかつたのだらうか。ナザレ人には、チーズ食の習慣がなかつたのか知ら。まさかそんな筈はないと思ふのだが。

 さういへば丸谷才一が随筆で、あるヨーロッパ人が中華料理を絶讚しつつ、ミルクやバタ、クリーム、それからチーズの類が見当らないのが不思議だと書いてあつて、意外の念に打たれたといふ一文を草してゐたのを思ひ出した。云はれてみればその通りで、隋唐の帝がチーズに目がなかつたとか、六國の風流人が清談のつまみにチーズをこよなく愛したとか、桃源郷に迷ひこんだ若ものが仙女にチーズでもてなされたとか、そんな話は聞いたことがない。机以外の四ツ足は食べ尽したとまで云はれる料理なのに、不思議だなあ。北方の遊牧民はどうなのだらう。馬乳酒は耳にした記憶はあるが、かれらは大遠征に際して、チーズを糧食にしなかつたのだらうか。『韃靼人の躍り』でその栄誉は太陽に等しいと讃へられたハンが、チーズを食べる場面があれば面白いのに。

 チーズ…乳製品に縁が薄いのは、翻つて我が國でも、事情は似てゐる。皇族と一部の豪族くらゐに許された贅沢だつたのは確實。牛乳司だつたか、そんな名前の役職が乾や酪、醍醐…この辺はミルクにバタ、クリームやチーズの曖昧な親戚らしい…を採つた。搗栗などと一緒に下賜されたとか記録があるさうだから、特別だつたのだらうな。殿上人は濁り酒の肴にチーズ(の親戚)をつまんだのか。さう考へると、かれらの嗜好は甚だ現代的だつたと想像したくなる。烏帽子を被つた麿たちが、濁り酒を飲み、チーズをつまみながら、戯れ歌を詠んだ一夜を想ふと、愉快な気分になれる。百閒先生には、我われのご先祖だつて(ごく一部だけれど)、チーズを愉しんだのですと云つてもらひたかつたが、フンチケル先生がどう応じるのか、見当もつかない。