閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

232 これしか出來ない

 オリンパスのアクセサリに“ボディキャップ・レンズ”といふのがある。文字通り、ボディキャップにレンズを組み込んだもので、扱ひはあくまでもアクセサリ。レンズの製品紹介には載つてゐない。15ミリと9ミリが用意されてゐて、どちらも手元にある。ボディキャップなのに、目測で距離の設定が出來るのは、中々に生意気ではなからうか。調整はレヴァ。オリンパスが大昔に出したXAのやうだ。

 以前はオリンパスのE‐PM1につけてゐた。あの小ささはボディキャップ・レンズに似合ふ。ただそのE‐PM1は調子が惡くて、シャッターが時々、正常に切れなかつたから、手放した。それで残つたGF1につけてみたが、どうも見映へが宜しくない。ボディキャップに見映へも何もなからうと思はれるかも知れないが、カメラは手に持つもので、手に持つものの見た目は大切である。賣り払はうかとも考へたが、幾何になるでもなし、あつて困るものでもないので、そのままにしてゐた。

 過日、久しぶりに中古カメラ屋を覗くと、ペンタックスのMZ‐3が5,000円くらゐで出てゐた。先日触れた通り、尊敬する植田正治が使つてゐたカメラなので、危ふく物狂ひさうになつたが、好みではないシルヴァだつたので、何とか我慢した。おれも冷静だなあと自讚しながら、別の中古カメラ屋を覗くと、パナソニックのGF3が目に入つた。MZ‐3より廉である。値札には“傷あり”と書かれてゐるが、こちらの目にはよく判らない。出してもらふと、確かに細かい傷に、文字の印刷も掠れた箇所があつたが、別に気になるほどでもない。えらくコスメティックな評価である。尤もGF3のやうな機種を今も慾しがるひとは少なからうし、仮にゐるとして、綺麗な個体を求めるだらうから、お店の判断も誤りとは云ひにくい。併し液晶に傷はない。動作だつて、をかしくもない。値段は許容範囲だし、何よりこの小ささなら、ボディキャップ・レンズに似合ふ。さう考へて買つた、と書けば矢張りおれは冷静な判断が出來るものだと自讚を重ねられるが、實際のところはさうでもなかつた。GF3と後継のGF5は以前からちよいと気になつてゐて、納得出來る値段なら慾しいなと思つてもゐた。なので少々昂奮しながら財布を取り出したのが本当で、これでは自慢にならない。

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 持ち帰つて最初に“レンズ無しレリーズ”をオンにした。でなければボディキャップ・レンズが認識されない。後は動画のボタンと電子音をオフにして、弄つたのはそれくらゐ。ボディキャップ・レンズをつけると、予想通り、よく似合ふ。残る問題はストラップで、肩掛けのそれはあるけれど、これはポケットなりポーチなりに、無造作に突つ込むカメラなので、長々しいストラップを使はうとは思へない。ただ残念なことに、手首に巻きつける式のストラップが見当らない。あつたとしても、GF3のストラップ通しは細いから、取りつけるのは無理かも知れないけれど。それでも流石に何もつけないのは不安なので、がらくた箱を引つ繰り返すと、紐の太い指を通す式のストラップ(と呼んでいいのだらうか)があつた。つけてみると見た目はそんなに惡くない。使ひ心地がどうなのかは、實地で試してからの判断になる。まあ試すと云つても、GF3にボディキャップ・レンズの組合せは、デジタルカメラの“写ルンです”だもの、なーんにも考へずに撮るだけである。といふより、それ以外に出來ることがないとするのが正しい。勿論それは外のカメラでも出來なくはないだらうが、GF3はあれを買つてこれを追加してといふ物慾を刺戟しない。メーカーの思惑はさて措いて、わたしにすれば有り難い話で、残るはどんな寫眞が撮れるのか。これは後日、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の膝下にお届けしたい。