閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

239 カレーに関はる問題

 ここで云ふカレーはカレーライスに限つてゐない。カレー饂飩やカレーラーメン、或はカレー(のルゥ)そのものも含めてゐる。厳密な定義は困難だが、カレーの味つけがされた食事だと(従つてカレー風味のお菓子は含まれない)、大まかに云つておきたい。そのカレーの問題をここで大きに論じてゆく…といふのは嘘、ではないとしても、正確ではなくて、ではどう云へば正確なのかといふと

「カレーに適ふ酒精は何か」

であつて、これをこの稿で考へたい。これを考へるのに、“カレーに適ふ酒精問題”としては、間延びするからいけない。“カレー(に適ふ酒精)に関する問題”とすればよかつたか。

 尊敬する丸谷才一は“小説作法”といふ短い随筆の中で、カレー(随筆中ではライスカレーと書かれてゐた)は、酒精に適はないから格のひくい食べものだと(冗談混りに)断じてゐて、この随筆自体からは色々と影響されてゐることは認めるのに吝かではないのだが、格がひくいといふくだりだけはどうにも納得し難かつた。今でも納得し難い。ただ全部を讀めばそれなりに説得されるのも、また認めなくてはならなくて、詰りカレー乃至ライスカレーを食べる時に、何を飲むかと考へると、氷水が一ばんうまい。後は辛くちのカレーを平らげてから飲む甘めのカフェ・オ・レが浮ぶくらゐで、併しそれは世界の眞實なのか。

 浅草田原町に[松樂]といもつ焼き屋があつた。そこの名物が“カレーのル”だつた。ルーでもルゥでもなくル。小さめの鉢で出される文字通りカレーのルゥ。当時の我われは腹がくちくなるまで呑みまた食べてから、〆に“カレーのル”を註文し、電氣ブランをあはせた。ストレート…ではハイカラに過ぎる。ここで生と書いて“キ”と讀みたい。理科で云ふ表面張力を實感出來る注ぎつぷりで、口で迎へるやうな呑み方をした。電氣ブランについて詳しく語る積りはないが、甘くちのブランディとヰスキィの合の子だと想像すればいい。ひどくきついのに、口当りだけはよくつて、これが“カレーのル”に似合つた。

 中野に[めいぷる]といふお店があつたのも思ひ出した。ここでカレーライスを註文して、これに適ふ一ぱいをと云つた時は林檎の發泡酒を出してきた。覚えてゐるくらゐだから、まづくはなかつたにちがひない。尤も[めいぷる]は酒精が微妙に感じられることも少なくなかつたから、多少の贔屓が含まれてゐるかも知れない。同じ中野には[navel]といふお店もあつて、そこでは葡萄酒をあはせた気がする。序でに云へば、[松樂]も[めいぷる]も[navel]今はもうない。なので我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、探す手間を省いてもらへる。

 さてここで一ぺん整理をしてみたい。

 カフェ・オ・レに電氣ブラン。

 それから林檎の發泡酒。

 といふことは、原則的に“甘めに仕立てられた飲みもの”がカレーに適ふのではなからうか。確か印度にはチャイだつたか、甘いお茶があるさうで、印度と云へばカレー…が不正確なら、スパイス料理だから、印度人が愛飲する飲みものの味つけがカレーに適ふ飲みものの方向性を(暗)示してゐる考へても、大まちがひにはならなささうな気がする。そこでチャイ(風のアルコール飲料)がいいと断定するのには、些かの疑念が残る。我が國のカレーは印度發英吉利経由でもたらされたといふのがその理由。詳しい経緯は幾らでも調べられるから、ここでは触れないが、日本でカレーが受け容れられたのには、英國渡りと理解されたのが大きかつたのではないかと、指摘はしておきたい。

 さうなると英吉利式にギネスやスコッチがいいのか知らと思へてきて…いやどうも怪しいね、これは。経験的に麦酒は適はなかつたし、スコッチはそもそも食事時に飲むものではないもの。それに英吉利のカレー料理は、印度人が作る印度式だつた可能性がきはめて高い。その辺りの感覚は世界に冠たる植民地帝國の遺風が残つて、外國料理はその國の料理人が作るのが当然(スパゲッティを茹でるのは伊太利人なら餃子を茹でるのは中國人)と考へてゐるにちがひない。それに紳士諸君がカレー饂飩を啜つて、うつかり跳ねを飛ばし、折角のシャツに染みをつけて仕舞ふだらうか。それで冷笑的な冗談を口にする姿なら、見てみたい気もされるけれど。

 さてそこで経験に立ち戻ると、酒精をカレーにあはすなら、少し甘めが好もしいらしい。それで葡萄酒はどうだらうと考へた。デザート・ワインは極端としても、獨逸の白で銘柄は忘れたが、ほの甘いのがあつた。或はサングリアやミモザ。惡くないと思ふ。ただカレーは香りがつよいから、葡萄酒やシャンパンでは太刀打ちが六づかしいだらうか。そこで紹興酒を考へてみる。ソーダで割れば、葡萄酒より適ふ可能性はある。尤も日常的に紹興酒を使ふのかといふ問題が出てくるから、(電氣ブランと同じく)安易には撰びにくい。それなら寧ろ濁り酒の方がいいかとも思へる。新鮮な濁り酒なら、發泡も期待出來るとして、さういふのは時節が限られるから、少しのソーダで割れば、似合ひさうな気もされるがどうか知ら。

 とは云ふものの、ギネスやスコッチは勿論、電氣ブランにシードル、葡萄酒やシャンパン、ミモザもサングリアも紹興酒も濁り酒も、致命的に適はないわけではないとして、ことがカレーの相手役だと、ミルクをたつぷり入れたカフェ・オ・レや氷水を凌ぐとは思へない。この現状を印度やパキスタンスリランカの人びとは、また大英帝國のカレー愛好家たちはどう思つてゐるのか。すすどい口調で詰問したくなつてくる。このままではカレーの格はひくいままになつて仕舞ふ。もしかして諦めなくちやあならないのだらうかとも思はれるが、裏を返すと“カレーに適ふ酒精”を作り出せば、酒精の歴史にも、カレーの歴史にも、燦然たる足跡を残せるにちがひない。難問に挑む強者の登場に期待して、この問題は棚にあげる。