閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

240 ニューナンブ、某所にゆく

 撮影はしてもかまひませんが、SNSウェブログへの投稿は、お控へ頂きたいです。といふお願ひが最初にあつたから、画像は載せない。どこで何があつたのかも、少々ぼやかしておく。

 それで先づ福生に行つた。寧ろ米軍横田基地がある土地と云ふ方が通り易いかも知れない。訓みはフツサ。“生”の字を“サ”と訓ずる例は外にもあるのだらうか。フツサの訓みに無理やり字を宛てたと考へる方が實情にあふ気がする。驛は旧國鐵の総武中央線で立川(乗換への時に“お座敷列車”が停車してゐた。朝もまだ早いのにお客は上機嫌だつた。羨ましいなあ)から青梅線に入つたところにある。某所での予定は午后二時からなので、その前に少し計り歩きませうといふ算段である。我われが属する別のグループ(こちらはごく眞面目に寫眞を撮つてゐる、筈である)が同じ福生で、午前十一時に集まるといふ話があつて、ただわたしも頴娃君も、その半時間余り前に着いた。久しぶりの顔を見られないのは残念だが、止む事を得ない。そのまま散歩を始めることにした。ほんの少し歩くと[大多摩ハム]の看板が目に入つた。ソーセイジや麦酒を出すレストランがあるらしい。尤も通り掛つた時はまだ開店前で、多摩のハムの實力を確かめる機会は得られなかつた。残念に思ひながら(なので機会は改めねばならないとも思つた)歩を進めると十六号線に出た。通りに添つて雑貨屋やオートバイの店、ベーグル屋、何故だかラーメン屋も立ち並んでゐる。対面が基地。週末で業務も休みなのか、深閑としてゐる。通りから見えるのは隊員たちの宿舎と思しき建物。相応の築年数なのだらう、寂れたニュータウン団地のやうな感じがする。それを横目に何となく日本離れした(こちらの勘違ひである可能性も大きにある)お店の看板なんぞを撮る。

 撮りながら頴娃君が時折り、雑貨屋の店先を熱心に覗いてゐて、何をしてゐるのかと思つたら、今使つてゐる米軍式のバックパックだかに

「ワッペンを貼らうと考へてゐるのです」

とのことだつた。それも出來れば

「ちよいとエロチックなのが、いい」

らしいのだが、目に入つたワッペンはどれも健全で、かれの好みには適はなかつたらしい。その無念、推して知るべし。それはさうとして、腹が減りませんかね、貴君。訊ねると私もさう思つてゐたと合意が示された。ニューナンブのお晝は蕎麦を啜ることが多いのだが、基地の前で、わざわざ蕎麦屋に入る必要もないだらう。それに[大多摩ハム]の看板が目に残つてもゐる。[DEMODE DINER]といふお店に入ることにした。ハンバーガーの店である。席に着くと、ハインツのケチャップとマスタードがあつて、何となく嬉しい。メニュは色々とあつてそそられもしたが、午后二時からの某所でも食事は供される。その点を考慮して註文はスタンダード・ハンバーガーとハートランド。待つこと暫し、たつぷりのフレンチ・フライを盛つた大きなお皿でハンバーガーが登場した。

「仕舞つた、これは」

「予想以上の分量だねえ」

なかつたことにしてくださいと云ふわけにもゆかず、覚悟を決めて囓りつくと、旨い。肉を喰つてゐる感じがする。旨いとなると文句も出なくなるもので(いや併しピックルスがなかつたのは残念であつた)、ハインツを使つて綺麗に平らげた。頴娃君は後を慮つてか、フレンチ・フライを半分ほど残した。入つた時は閑散とした店が、出る頃には随分と賑やかになつてゐた。

 [DEMODE DINER]を出て、青梅線牛浜驛まで歩き、午后一時五分發の電車に乗つた。予定通りの移動なので安心する。車内には同じジャージを着た大柄な白人のグループがゐて、カラテの合宿か何からしい。体格の所為なのか、ジャージなのにえらく恰好いい。密かに羨みながら、半時間足らずで予定通りに某酒藏に到着。藏に併設された食事処が會場である。大広間には数奇者が六十人余り。ざはざはした気配が快いのは、同好の士が集つてゐる安心感からだらうか。きつとさうなのだらう。ここで冒頭の注意喚起がされた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に事情を説明すると、注意喚起のわけは、市販されないお酒を飲まして呉れるからで、詰り非公開の催しなのである。前社長(平成三十年末に退任して今は會長)がそのお酒の話をする。我われに供されるのは三種類。第一は今年最初の吟醸酒で、これは販賣されてゐる。第二には大吟醸を醸す時に出來た澱のところ。賣れるほどの量にはならない。會の面々に出せる量でもなくて、大吟醸を戻したといふ。贅沢だなあ。この澱は一説に“杜氏がこつそり呑む役得”とも云はれるさうだが、前社長いはく

「そんな眞似をしたら、國税が黙つてゐない筈ですから、まあ伝説でせうな」

といふことは、國税が八釜しくも無粋な嘴を挟む以前、藏の主に内緒で、濃い澱を杜氏が愉しんでゐた可能性はある。最後に藏のフラグシップと云つてもいい銘柄。但し市販品ではなく、鑑評會向け。鑑評會は東京都と全國、それから東京國税管轄の三度、開かれるといふ。その為に一斗壜で三十本ほど醸り、會の時期に最良なのを出品するさうで、大広間に集まつた我われは詰り、審査員のおこぼれを預かることになる。とは云へ審査員を羨む必要は丸でなくて、何故かと云ふと、我われの目の前には肴が並んである。お酒は肴があつてこそなのは云ふまでもなく、さう考へれば寧ろ審査員がこちらを羨むのではなからうか。

 三種のお酒はいづれも穏やか(頴娃君いはく、澱酒は供された壜で微妙に異なつてゐたとのこと)極端でない味はひは時によつて、物足りなさにも繋がりかねないが、その辺りの調へ具合は流石に巧い。それにお酒の主張がきついと、肴を樂しみにくくもなつて、これくらゐの方が嬉しくもある。その肴は順を追つて出される。すべての論評は控へるとして、特に感心したのを挙げると、五勺位は入りさうな利き猪口に入つた豆腐。絹漉しなのに舌に残る粘つこさで大豆が濃密な感じ。お代りを頼みたかつたけれど、流石にお行儀が惡いので、何とか我慢した。褒めてもらひたいね。烏鰈の煮つけもよかつた。あしらひは木ノ芽。煮汁が下に置いた焼き豆腐も引き立てる工夫が宜しい。わたしは旨いうまいと云ひながら食べ(また呑みもし)てゐたが、隣席の頴娃君はお箸の進み具合が遅い。元々食事に時間がかかるたちであるし、飲みだすと食べなくもなる。それに周りのひとと賑やかなお喋りに花を咲かせてもゐたから、その所為かと思つたら

福生のバーガーがまだ、ね」

と苦笑を浮べた。どうやらフレンチ・フライの残し方が不十分だつたらしい。最後にはすつかり平らげはしたものの、些か駆け足になつたのは傍目にも気の毒に映つた。ここでひとつ、汁椀が茸の味噌仕立てなのは残念だつたと云つておかう。この藏は粕汁が得意で旨い。当り前の話で、藏の酒粕と仕込みにも使ふ水で作る粕汁がまづければ、その方が不思議である。更に云へば、同じ材料で作られるのだから、相性がいいのも決つてゐて、その粕汁を肴にしたかつた。きつと素晴らしい組合せとなつたにちがひないが、まあこれは別の機会に期待するとしませうか。食事処の料理人の名誉の為に念を押すと、その茸の味噌椀は(小聲でつけ加へると、茸が遠慮勝ちと云へさうな気はしたが)決して惡くなかつた。

 二時間の催しは恙無く閉会をむかへ、閉会にあたつては、最初に出されたお酒(四合壜)がお土産で配られた。金額は書かないが、参加の費用を考へると、儲けは無いに等しいのではないか。意地惡く、かうでもしなければ、商ひが六づかしいのかと勘繰れもするが、それは余りに冷笑的な態度だらう。矢張り愛好する者のひとりとしては、有り難いと思ふ。まつたく満足した我われは、お土産を大事に抱へて青梅線羽村驛で降りた。これから定宿にしてゐるホテルで、ニューナンブ恒例の二次会が始まるのである。