閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

244 ナポリタンを寄越せ

 ナポリ風とかナポリ人はナポレターノと呼ぶ筈だから、ナポリタンは和製伊語かと思はれる。トルコライスや天津甘栗と同じである。ごく簡単に

茹で(過ぎ)たスパゲッティのケチャップ炒め。

と定義して、まあ間違ひではないでせう。具に用ゐるのはハム(もしくはベーコンかウインナ)、玉葱、ピーマンくらゐ。チリーソースをほんの少し垂らして、大量の粉チーズを振りかけて、ホークを使つて啜り込むのがこの場合は正しい。

 伊太利人はこのナポリタンを見ると驚き且つうんざりするのだといふ。ちよつと待て、日本人はトマトを使はないのか。成る程、伊太利の食卓からトマトの姿がなくなつたら、伊太利人は絶望するだらうな。気持ちは想像出來る。

 ここでナポリ人に云ひわけをすると、我われはたれひとり、ナポリタンを伊太利料理と思つてゐない。亞米利加を経由し、我が國で獨自の変化を遂げた洋食の一種…その意味ではとんかつと同じ範疇に入る食べものといふ認識。なので伊太利人ナポリ人には、我われがカリフォルニアロールを眺めるやうな気分で、ナポリタンのお皿を見てもらひたい。

 亞米利加を経由したと書いたのは本当ですよ。詳しいことはご自身で調べて頂きたいが、太平洋戰争の敗戰後、米國式のケチャップスパゲッティを目にした横濱のホテルの料理長が

「まつたくあの連中の食べ方は憐れでいけない(意訳である。念の為)」

と工夫した結果なのださうで、さう考へるとこれはヨコハマスパゲッティ(伊太利語風ならヨコハマーニャか)と呼ぶ方が、歴史的にも正しいか。尤もヨコハマスタイルの原型は、スパゲッティにハムとピーマンとマッシュルームを炒めて加へ、生トマトに玉葱、大蒜、トマトペースト、オリーヴ油を使つたトマトソースを和へたものだつたといふから、ケチャップの姿は見えない。これだつたらナポリ人だつて、納得の顔を見せただらう。

 ではケチャップを用ゐだしたのは一体いつ頃なのか。はつきりはしないが、近い時期の洋食屋(矢張り横濱)だつたらしい。トマトを使つてソースを作る手間を省く工夫だつたのか。因みに云ふ。ケチャップが我が國に入つたのは明治の半ば過ぎ(19世紀末から20世紀初頭にかけて)だつたから、戰後の洋食屋がケチャップを使つたのを、奇異な方法と見るのは誤り。ここまではいいでせう。併しそのケチャップ式ナポリタンが、どうやつて全國に広まつたのか、また炒めて供するに到つたのか、よく判らない。ファミリーレストラン(昭和四十年代の中頃に遡れる)のメニュに載つたのが大きいといふ説があるが、本当か知ら。

 歴史の詮索は専門の研究者…ナポリタン専門の研究者がゐるのかどうかは別として…に任せませう。我われは大雑把に、ヨコハマスタイルのスパゲッティが、洋食屋の親仁や喫茶店のマスターの手で安直…ではなかつた、素早く手軽で安価に提供出來るまで変化を遂げたのだと理解しておけばいい。茹で置いたスパゲッティの炒めあげとケチャップでの味つけは、それらの云はば最大公約数であつて、ここまでくると申し訳なくも思ふが、ナポレターノが口を挟む余地は(少)なからう。

 かう書いた以上、わたしが亞米利加發横濱経由洋食屋喫茶店変化のナポリタンを大きに好むと、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には完全に理解されたと思ふ。そこはまつたく否定しない。否定はしないが、不満と云ふか要望と云ふか、それが無いわけでなく、詰り葡萄酒に似合はない。伊太利式ならそんなことはない筈で、ケチャップのもたらした弊害であらう。裏を返すと、その点がどうにかなれば(チリーソース?七味唐辛子?それとも柚胡椒?)、ナポリタンはわたしの食卓に、もつと重要な地位を占めることになるだらうし、ナポリ人とも仲良く飲めるにちがひない。ナポリタンを寄越せ。葡萄酒に適ふひと皿のナポリタンをば。