閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

250 切つ掛け

 元來が出不精なので酒精と煙草があれば家に籠るのに抵抗は感じない。

 併しそれでも稀に旅行に出たいと思ふことがあつて何が切つ掛けなのか自分でもよく解らない。

 名所旧跡や神社仏閣に惹かれてでないのは確實だし花やかな催しがあるからといふのも理由としては大きくないからさう考へれば改めて不思議である。

  尤も特別急行列車に乗りビジネスホテルに泊るのは樂しくまた嬉しくもあつてさういふ慾求が高まつた時に旅行へ出たくなる可能性はある。

 なのでうまい驛弁と清潔なベッドが用意されたホテルと後はホテル近くに愉快な呑み屋があれば満足するがこれを果して旅行と呼んでいいのかどうか。

 勿論折角なのだから早い時間に到着してどこそこに行かうと考へるのはかまはないが名所旧跡にも神社仏閣にも興味を持てなければ早く着いても得になるとは限らない。

 それより旅行は移動の時間も含めて旅行なのであつてならば特別急行列車が惡いとまでは云はないにしても各驛停車で弁当(罐麦酒か葡萄酒の小壜かカップのお酒も忘れてはなるまいが)を使ふ方が好もしいとも考へられる。

 到着したら罐麦酒とつまみを買つてホテルに入り荷物をはふり出して先づ呑む。

 それは第一にさういふ眞似をしてもかまはないと自分に云ひ聞かせる為であり更にこれから安心して呑めるのだといふ気分の確認でもある。

 仮にお午頃に着いたとしてまだ太陽は高いからと遠慮する必要はないのでさうでなければ出不精が思ひ切つて表に出る甲斐がない。

 何なら晝寝をしたつて文句を云はれる筋はなくさういふ堕落した感じこそ旅行ではあるまいか。

 その程度の自堕落なら家でも出來るだらうといふ指摘の正しさは認めるけれど家に居ると洗濯物の乾き具合だの來月の支払ひの請求書だのが頭の隅に散らついて落ち着かない。

 落ち着かない分だけ酒精の味は惡くなるもので休日をそんな風に使ふならお札を何枚か余分に用意して外に出る方が余程にいい。

 話はだつたらどこに行けばいいかと云ふ疑問に繋つてこれは近すぎると外出の延長になつて日常の尻尾が残つて仕舞ふから中々に六づかしい。

 特別急行列車でも各驛停車でもぶらりと乗つてからお弁当なりサンドウィッチなりをつまめるくらゐの時間は慾しいと考へれば自然にほどよい距離が決つてくる。

 甲府

 宇都宮。

 小田原。

 新幹線のこだま號に乗るとしたらもう少し遠くまで脚を延ばせさうにも思ふが新幹線は全般仕事用だつたり帰省だつたりに使ふ印象があつてたとへば金澤に行かうとするなら兎も角この稿で云ふやうな旅行では遠慮しておきたい。

 念の為に云ふが金澤に惡意があるのではなくあすこは尊敬する吉田健一が愛した土地で胡桃餅やら鰌の串焼きやら鮴やら河豚の糠漬けやらを堪能したいのだがさうなると一泊二泊ではとても足りないのは明らかだからどうしても二の足を踏んで仕舞ふ。

 更に念を押すと甲府または宇都宮乃至小田原に含むところがあるわけでもなくわたしの住む東京からであれば特別急行列車“あずさ”號や湘南新宿線の“グリーン車”や特別急行列車の“ロマンスカー”でまづまづ適切な距離と時間ではないかとも思ふ。

 ここまで考へれば後は外に出る日とお財布の兼合ひが問題として残るわけだがそれはこの稿でどうかう云ふ話ではないしまたどうかうなつたとしても切つ掛けを掴めないことには表に出もしないので自分の出不精計りは如何ともし難い。