閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

255 ラーメン批判序説

 困つた時はWikipediaを見る。役に立つ場合とさうでもない場合があるが、さて、“ラーメン”の項はどうだらうか。

 ※Wikipediaからの引用はすべて一部省略。また讀み易さを考慮して改行を入れる。仮名遣ひはそのままとする。念を押すまでもなく、わたしの責任によるところである。

「中華麺とスープを主とし、様々な具(チャーシュー、メンマ、味付け玉子、刻み葱、海苔など)を組み合わせた麺料理。

漢字表記は拉麺、老麺または柳麺。別名は中華そばおよび支那そば、南京そばなどである。

中華人民共和国中華民国(台湾)では日式拉麺または日本拉麺と呼ばれる」

 冒頭部分を一讀すると、非常に曖昧な書き方になつてゐるのが解る。大まかに書いて、後は各項で詳述すればいいと考へたのかと、その各目を見ても、何だか曖昧なままで、たとへば“日式拉麺または日本拉麺と呼ばれる”と書かれてゐるのに、日式ではない“拉麺”についての記述が見当らない。念の為にその“拉麺”項を探してみても

「中国国家食糧局によると、拉麺は小麦粉・塩・水を用いた麺で、ウイグルで伝統的に食されるラグマンに由来するとされる」

としか書かれてゐない。ではその“ラグマン”とは何ぞやと更に探すと

中央アジア全域で広く食べられている手延べ麺である。

ウイグル語ではランマン、中国語では拉麺(ラーミエン)、ドンガン語ではリューミエン。小麦粉(中力粉)に塩水を加えて、十分にこね、粘りがでた状態で両手で引きのばして作る。通常鹹水などは加えず、塩加減は、夏に多め、冬に少なめにする」

とあつて、ラグマンまたはランマンに漢字を当てたのが拉麺なのだらうか。とは云ふものの、本当にラグマンが伝播したのか、したとすればいつ頃なのか、その辺は漠然としたまま推測乃至想像をする切つ掛けも見つからなく、シュルレアリスムの手法を用ゐた小説を讀まされた気分になる。まつたく役に立たないね、Wikipediaは。

 批判は措きませう。あすこは話の種の仕入れ場所にはなつても、信用に値しない。

 何の話をしたかつたと云へばラーメン(ここで云ふのはWikipediaでいふ“日式拉麺”の意)で、ではラーメンが(一応)どんな風に定義されてゐるのか、気になつたんである。序でだからコトバンクを経由して、ラーメンの項を見てみる。

◾️世界大百科事典 第2版

 中国風のめんの一種で,細ひも状に伸ばしたものの呼称。日本の中華料理店では普通,これをゆでてスープを注ぎ,わずかな〈ぐ〉をのせたものをラーメンと呼んでいる。スープの味付けにより,しょうゆラーメン,みそラーメン,塩ラーメンなどに分けられる。

 ラーメンという名まえは,中国語の拉麵あるいは老麵のなまったものという説もあるが,実際のところは日本でおおいに好まれ,中華そばの代名詞のようにも考えられている。

◾️日本大百科全書(ニッポニカ)

 中国の麺は小麦粉に塩、卵、鹹水、水を加えてよくこねて、手だけで引っ張り、細く数多くの糸状に引き伸ばしてつくったものを拉麺という。拉は引っ張るの意。拉麺に対して麺杖で薄く伸ばして畳み、包丁で細く切ったものを切麺という。

 これらの麺を用いて、湯麺、涼麺、炒麺など各種の中華そばがつくられる。

 日本では、これらの麺に主としてしょうゆ味のスープを用いたものをラーメンあるいは中華そばと称している。

 関東大震災後大いに流行し、海苔、鳴門巻、ホウレンソウなどの具を加えて日本風に仕立ててある。塩味、みそ味などのラーメンもある。

 引用についての留意はWikipediaと同じ。

 ニッポニカが比較的、親切ですね。拉麺の“拉”の字が調理法ではなく、麺の作り方を示してゐるなんて初めて知つた。字面から察して、我われがラーメンと呼ぶ食べものに近いのは、湯麺なのだらう。この場合の“湯”はソップ(上述の定義で云ふとスープ)の意。汁麺とかそんな語感ではないか。併しあちらの“湯”とこちらの“ソップ”には大きなちがひがある筈で、Wikipediaも世界大百科もニッポニカも、その点に触れてゐない…と云ふより、醤油味味噌味塩味と書いて、丁寧に逃げてゐる。

 当り前と云へばその通りで、我が國のラーメンは渾沌としてゐる。ざつと調べた限り鶏がらで出汁を取り、醤油味のたれを用ゐるのがソップの基本乃至原型らしいが、出汁の素は獸骨やら魚介類もあり、またそれらの混ぜ合せもあり、更にたれまで含めると、出來上りのソップは随分な種類になる。そこに麺と具材の組合せまで考へると、現代ラーメン事情は無秩序である、無秩序にならざるを得ないと見立てるのは誤りでないと思ふ。その無秩序を辞書的に定義するのが困難だとは、想像の中でも容易な範疇に属する。辞書の筆者でなくてよかつた。

 では何故ラーメンは、渾沌無秩序に到つたのだらう。旨くて廉で人気になつたからだよ、と云ふのは簡単だが、流石にそれでは曖昧に過ぎる。そこで新横浜ラーメン博物館が公開してゐる“日本のラーメンの歴史”を見ることにする。

http://www.raumen.co.jp/rapedia/study_history/

割りと俯瞰的になつてゐるのがいい。一次史料の情報があればもつと助かつたのだが、そこまでは望みますまい。そこで一応、この記述が正しいとして考へを進めるとポイントになると思はれるのは以下。

・1899年:居留地廃止に伴い、中国の麺料理を含め中国料理が広がっていく。

1906年:中国からの留学生が増え、神田、牛込、本郷あたりに大衆中国料理店が増える。

・1923年:関東大震災により、東京・横浜を中心としたラーメン店が全国へ散らばる。被災したことにより屋台が増加し、ラーメン専門店が増える。

 明治32年から大正12年にかけてのことで、併し饂飩や蕎麦もあつたでせうとに思ひたくなる。尤も饂飩も蕎麦も、天麩羅や掻き揚げや油揚げや若布や卵を乗せはするけれども、煮干しや鰹節で出汁を引き、醤油を練つたかへしを使ふ点は変らない。鶏がらや牛骨で出汁を取つたきつね饂飩なんて、見たこともない(實際あるのなら、一ぺんくらゐは食べてみたい)無闇に保守的だと批判してもいいし、伝統を護るのは大切だと弁護してもいい。

 要は鶏がら何ぞで出汁を取る。醤油で味をつけてソップにする。そこに茹がいた中華…“拉“の麺を入れれば、ラーメンの形にはなるわけで、これならひとつ、やつてみるかと思ふひとが出てきても不思議ではなからう。かう考へると、饂飩や蕎麦に較べれば、ラーメンは商ひとしての敷居が低かつたとは、ほぼ確實に云ひ得るだらう。食べる側も事情は大して変らない。ややこしい礼儀作法や食べる順番、註文の気取り方が成り立つてゐないから、暖簾をくぐつたお客は

「ラーメンひとつ」

と云へば、後は好きに啜つて勘定を済ませるだけだから気樂である。それでまづくなく、空腹も満たせるのだから、貧乏國の國民に似合ひだつたとも云へる。お行儀も何もあつたものではない(眞面目な中國料理のお店では、さうもいかなかつたらうが)と苦笑ひが浮んでくるが、重視すべき伝統が無いのは詰りさういふことなんです。

 さういふ…基本になる形を持たないまま、もしくは持つ前に受け容れられたラーメンは、何をどう試してもかまはないといふ、先立つ汁麺料理とは異なる決定的な特色を得た。これがラーメンにとつて幸運だつたか不運だつたかは判らない。何をしてもいいのなら、その気になれば幾らでも凝れる一方、その気になれば幾らでも手を抜けることにもなる。作り方に一定の決り事があれば、手抜きには(多少は)寛容になれるかも知れないが、饂飩屋蕎麦屋が鰹節を牛骨には移すのは不可能に等しい難事業にちがひない。饂飩や蕎麦はその“一定の決り事”が従つてこその饂飩や蕎麦だからで、これを伝統の重みと取るか、工夫の余地を認めない不自由と取るか、議論の分かれるところだらう。どちらかと云ふとわたしは前者に与する者で、ラーメンの自在さは規範の無い放埒に感じられる。

 と直前の行で我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、改めて確認頂けたと思ふが、麺料理の中で、ラーメンの位置は低い、とわたしは思つてゐる。饂飩蕎麦は勿論、湯麺や涼麺や炒麺だけでなく、スパゲッティや米粉も、“かうすれば旨い”といふ明確な規範があつて、その規範があるから、たとへば我が國でナポリタン・スパゲッティが成り立つんである。なのでもしラーメン屋の店主がラーメンの格づけを

「蕎麦まで引き上げたい」

と思つてゐるとしたら、規範を作つてゆく以外に適切な方法はなささうな気がされる。尤も規範が成り立つに短くても半世紀くらゐは必要だらうから(それが規範乃至伝統と云ふものだ)、店主がそれを望むかどうかは甚だ怪しい。仮に全國ラーメン屋店主連合がさういふ方針を立てたとしても、有象無象のマニヤが

「その必要はない」

「伝統から離れた自由な食べものこそ、ラーメンの本質なのだ」

と聲高に叫びさうでもある。どれだけ叫んでも、それはかまはないと思ふ。思ひはするが、それだと半世紀後にラーメンがあるとして、それは現代の我われが知つてゐるラーメンとは別種の食べものに変貌してゐさうな気もされる。それがラーメンなのだと云ふなら、さうですかと応じる外にないのだがもしかすると來世紀のマニヤは

「知つてゐるか、ラーメンは鶏がらで出汁を取つて、醤油味に仕立ててゐたんだぜ」

さう自慢するかも知れない。わたしは來世紀まで生きてゐないけれども、きつとわたしに似たたれかが、饂飩を啜りながら

「さういふもんですかね」

と呟くだらう。その饂飩は現代と同じく、いりこと昆布で出汁が取られてゐるにちがひない。