閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

270 新しい元号(發表の前)

 元号の話は随分と以前、[051 改元]で一度、触れたことがある。かういふ切れ目のある紀年法が現役なのはおそらく我が國に限られてゐて、外ツ國の人びとには奇妙な風習に思へるのではないだらうか。それとも漢字で歴史の時間を示すなんてクールだと思ふのだらうか。

 その元号は芽出度い字を宛てるのが慣はし。殆どは2文字。殆どと云ふのは

天平感宝(749年)

天平勝宝(749年から757年)

天平宝字(757年から765年)

天平神護(765年から767年)

神護景雲(767年から770年)

の5例があるからである。参考までに云へば、公的な元号で3文字の例はない(私元号には幾つかあるらしい)またこれ以降の元号で4文字は採用されてをらず、8世紀半ばのこの20年、日本で何があつたのか、不思議な気がする。

 さう云へば、天皇諡号は大半は2文字だが、3文字のそれも散見される。後小松帝のやうに“後”がつく形式と正親町帝のやう最初から3文字の形式。例外は後土御門帝の4文字で、最初から4文字形式の諡号はない。

 妙な話題と云はれさうだが、我われには文字数に吉兇を感じるたちがある。正確にはその性質が残つてゐる。歌舞伎の外題なんかがさうですね。あれは奇数に纏めるのが伝統である。元号にもさういふ感覚があるのではないか。上に挙げた5例も4文字でひとつの言葉といふより、2文字+2文字の構成であつて感宝、勝宝、宝字、神護、景雲(ここで註をつけると、天平感宝のひとつ前が天平)でも不都合があるとは思ひにくい。

 ではどうして2文字+2文字なのか。根拠があつて云ふのではないが、前代の元号を含めることで、連續性を意識したのではないかと思ふ。[051 改元]でも触れた筈だが、元号は時間の支配…統治の正当性を示す記号だつたから

「前の元号の一部を引継げば、無知蒙昧の民草にも、その辺りが解り易いんぢやあないか」

と小知恵のまはる下級貴族が考へた…と想像するのはどうか知ら。

 惡い發想ではないと思ふね、わたしは。

 元号は前後関係が掴みにくいのが難点だが(僅かな例外は元亀/天正と文化/文政くらゐではなからうか)、ひとつ前の元号を含める4文字元号にすれば、そこが解消出來る。そこに規則性を用意すれば、随分とすつきりしさうな気がされる。たとへば平成に續く元号は○○平成、その次は××○○、更に次は△△××のやうに。

 それも面倒だし、この際元号を廃止して、西暦に統一したらいいよ。

 といふひとがゐるのは知つてゐる。知つてはゐるが、では何故我われが西洋式の紀年法にあはせなくちやあならないのか。元号は時間の支配と統治の正当性を示す記号だつたと先に書いたが、それは過去形の話である。

「だつたら、デファクト・スタンダードの西暦で不都合はないでせう」

と云ふのは誤りで、我われの歴史は元号と密接に関はつてゐる。白鳳文化。保元と平治ノ乱。享保ノ改革。天保暦。明治ノ御一新。大正デモクラシー。外にも挙げるのは容易だけれど、いづれ元号が絡んでゐる。さう考へると元号の廃止は、それらをすべてただの記号に変換して仕舞ふ蛮行と断じてもかまふまい。まあ平成の次が、(嘉字)平成になるかと云ふと、さうはならないだらうな。

 わたしは元号を使ふのに賛成で、一世一元は反対…たとへば太平洋戰争で敗けた後、現行憲法の發布か講和条約の締結をもつて改元してゐれば、近代史はもう少し掴み易くなつたのではなからうか…である。芽出度い事があつた兇事があつたで、改元をすれば、そこで何となく気分が変るでせう。この“何となく”の気分が大事なので、かういふ柔軟さは西暦如きでは無理な離れ業であつて、活用しない手はないと思はれてならない。尤もその前に次の元号が、文字も發音も麗しい嘉字であつてもらはなくちやあならないけれども。