閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

294 調理場からの忠告

 気温を高く感じる時節になると豆腐を、食べる機会が増える。青葱、生姜、削り節、揚げ玉。ぽん酢か麺つゆか。まあ大体はそんな感じ。その辺のマーケットで賣られてゐるやつ(充填豆腐と呼ばれるらしい)だから、厳密には豆腐と云へるかどうか、些か怪しい。尤も厳密主義を排し、旨いと思へる食べ方があるなら、マーケットの(充填)豆腐も有り難いもので、罐麦酒を横につまむのは、夕方のささやかな樂しみだと云つていい。

 ただかういふ食べ方に馴れると、外で豆腐を食べるなら、冷や奴は避けたくなるのが人情で、上に挙げた程度なら、余程贅沢な豆腐を使はない限り、ひとり前百円にも到るまい。なので外豆腐の場合は何かしらの手間が掛けられた料理が慾しくなる。我が儘贅沢といふより貧乏性な慾求でありませうな。ぢやあ豆腐料理は何があるんだと云はれてもこまる。高名な『豆腐百珍』が編纂されたのが天明年間…十八世紀の終り頃だから、亞種も含めて現代の豆腐料理は五百を下るまい。

f:id:blackzampa:20190516075907j:plain

 その中のひとつが画像で、メニュには“豚肉と豆腐のオイスターソース煮”と書かれてあつた。オイスターソースが何だかはよく判らないが(後で調べたら牡蠣油のことらしかつた)、豚肉と豆腐の組合せなら、まづく仕立てる方が六づかしいだらうから、註文するのに躊躇はしなかつた。

 脇を支へるのは筍と人参と青梗菜。匙で頬張ると果してうまかつたから嬉しくなつた。豆腐が絹漉なのは兎も角、軟らかすぎに感じられたのは残念。もう少し水気を切つて、豚肉との歯触りを調へてあれば、もつとよかつた。味つけは比較的穏やか。山椒を利かすか、花椒を散らせばきつと麦酒の佳いつまみになるだらうと思つたが、晝の定食である、筋の違ふ感想と云はれればその通りだし、もしかすると“晝間から飲むのは感心しませんね”といふ調理場からの忠告だとも考へられる。七百八十円。納得に足るひと皿であつた。