閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

298 記号になる

 健康診断といふのを診けたのです。ええ、先日の話。身長体重腹囲視力聴力血圧の測定に採血心電図胸部X線採尿。一時間半くらゐ掛つた。目に入つた数字はざつと、(不養生な生活の割りに)正常と呼べる範囲でした。腹回りは些か増えてゐたけれど、まあその辺は咳払ひで誤魔化しませう。

 それで面白いなと思つたのは、健診センタといふのかそこの光景で、三種に分かれてゐた。第一のグループは白衣。測定やら何やらを担当するひとたち。第二のそれは白いブラウスを着てゐて、案内他事務的な作業をするひとたち。そして最後が無愛想な青い服を着た我われ。綺麗に三分割されてゐて、それが何とも愉快に感じたんです。ではその愉快は、どこから發したものでせう。

 かう書く時、一応の推測は出來てゐて、詰りひとがゐない場所のやうに思へたのではないか。三つのグループが、一定の規則に従つて動作する。その様は複雑だけれどまつたく静かで、混乱からほど遠い。天井にカメラを据ゑ、微速度撮影をしたら、高速道路のジャンクションみたいに…ああいふ映像ではトラックや救急車やオートバイなどの区別が失せて、移動する物体といふ記号になつて仕舞ふものですが…映るんではないか知ら。

 

 健康診断なのに。

 自分の躰のことなのに。

 

 我われはジャンクションのトラックなのか救急車なのかオートバイなのか判らないのと同じやうに、“移動する記号”と化して、健診センタの中をうろうろしたわけで、その記号化をどうやら面白がつたらしいんです。女性がゐる。男性もゐる。そこには美女美男も、さうとは呼びにくいひともゐた筈なのに、劃一的な服装の所為なのでせうか、美醜は無視して差支へないところに押し込まれ、或は会社内の肩書も年齢のちがひも性差も取払はれ、センタを出るまでの限られた時間は等質になります。医師だか看護婦だかも相手によつて丁寧とぞんざいを使ひ分けたりしません。それをたれも疑問に思はないし、ましてや不平不満を口にもしない。これは平等の(少なくとも)(ひとつの)姿と呼べるのではないでせうか。尤もそれをユートピア的な平等になぞらへていいものか。いきなり妙な云ひ方をしますが、軍隊の行進は兵隊一人ひとりが軍服といふ記号になるでせう。センタの中を歩き回る我われ、意思や看護婦、係員を、その記号になつた兵隊に譬へることも出來なくはない筈で、さう考へるとディストピアめいた感じがされてきて怖い。医療福祉ディストピアものなんて分野があるのかどうかは知りませんが、矢張り記号になるのは、限られた場所の限られた時間であつてもらひたいなあ。とまあ、こんなことをぼんやり考へてゐる間に、健康診断は恙無く終つたのでありました。