閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

306 惣菜麺麭

 惣菜麺麭を偶に食べる。ソーセイジやコロッケやミンチカツ、或はソース焼そば、ナポリタン・スパゲッティ(ジャムやチョコレイト、クリーム、餡の類は菓子麺麭だから別扱ひにしたい)を乗せ、または挟んだ麺麭。取り立てて旨いとも思はないが、何かの弾みで口にすると惡くないとも感じるから、味覚といふのはいい加減なのか。

 食事でないのは確實である。尊敬する内田百閒は朝に牛乳とビスケット、晝はもりかかけを食べて、それらはお膳についてゐないから食事ではないと書いてある。そこまで厳密主義を採らうとは思はない(さういふ態度が赦されるのは百閒先生ひとりの特権である)が、惣菜麺麭にはさういふ雰囲気が感じられなくもない。

 大体は珈琲をあはせる。紅茶やコーラやサイダーの時もあるけれど、まあ殆どは珈琲。麦酒や酎ハイのお供にはしたことがない。麺麭がまづい…も少し正確を期すとまづく思へるのが理由で、焼そば麺麭で顕著に感じられる。もつと正確を期せば麺麭の不必要なあまさが要因と思はれる。但し同じ麺麭でもナポリタン・スパゲッティが挟まれてゐればさほどでもないことから察するに、麺麭のあまさだけでなく、具の味つけとの組合せに眞の要因を求めるのが正しいといふ気がしてきた。

 よくは知らないが惣菜麺麭に使はれるのはきつとコッペパンだらうと思ふ。小學校の給食で六年間お世話になつた。丸きり同じでもないにせよ、親戚くらゐにはなりさうである。マーガリンか苺ジャムかチョコレイト・クリームで食べた。それで些かあやふやではあるけれど、外のおかずを挟んだ記憶が残つてゐない。幾ら小學生とは云へ、その程度の工夫を思ひつけないか知ら。コッペパンには適ひさうにないおかず計りだつたか、それとも試してまづかつたのを忘れたのか。

 ここで少し落ち着くと、惣菜麺麭でコッペパンを使ふ規則があるわけでないのに気づく。バゲットや食麺麭や黒麺麭に、ソーセイジだのコロッケだのミンチカツだのうで玉子だのや(贅沢が出來るならベーコンでもサラミでもスモークト・サモンでも)、チーズだのケチャップだのマヨネィーズだのチリー・ソースやウスター・ソースを挟み乗せまた時に焼いた惣菜麺麭なら、案外と麦酒に似合ふかも知れない。尤もかういふのを買ふのは如何にも勿体無いから、自分でどうにかしなくてはならないけれども。