閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

309 鮭の塩焼き

 平成元年の春、庖丁を初めて持つた。時期がはつきりしてゐるのは、千葉県の市川市で独り暮しを始めたからで、自炊をせざるを得なくなつた。何をどうすればいいのかさつぱり解らなくて、野菜炒め計り作つた記憶がある。

 續いて魚を焼くことを覚えた。但し捌くなんて思ひもつかなかつた。仮に知つてゐたところで、捌けはしなかつただらう。それで切り身を買はうと考へて馴染みのある鮭にした。いやさうではなく鮭くらゐしか解らなかつた。

 アパートの瓦斯焜炉の前で、魚をどう焼くのかが知らないと気がついた。焜炉に魚を焼くグリルだか何だかはあるが、焼け具合が見えないのは不安だし、そこを我慢してもそのグリル部分の洗ひ方が解らない。暫く迷つてから、野菜炒め同様、フライパンを使はうと思つた。

 サラダ油の代りにマーガリンを温め溶かして焼いた。塩鮭とあつたから、味つけはしなくていいだらうと思つた。焼き色がついてきて、見えてゐるから安心出來たし、フライパンからいい匂ひがしてきたのも嬉しかつた。失敗はせずに済みさうだつた。焼き上つた鮭は生野菜(レタスとトマト)を用意したお皿に乗せて、晩のおかずにした。

 食べてみたら惡くなかつたが、マーガリンが多かつたのか、鮭の脂の所為なのか、ちよいとしつつこいなと感じた。母親が焼いてくれたのなら、ぶうぶう文句も云へるのにと思つてから、こつちがなんにもしないのに、ごはんを用意して呉れるのは凄いなと考へを改めた。以來わたしは、たれかが用意して呉れたごはんを批評するのは控へることにしてゐる。