閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

313 裏話

 三百二回目から三百十二回目まで、主に食べものについて、短めの話を書いた。本棚に福武文庫版の内田百閒の随筆があるのを取り出して讀んでゐる内に影響されたらしく思はれる。百閒先生の随筆は割りと短くて、妙なところが緻密で、文章の基本と云はれる起承転結や序破急とは無縁なのに可笑しい。大眞面目な顔つきで、大眞面目な話を、懇切丁寧にしてゐる筈なのに、それが可笑しいのだから不思議でたまらない。何べん讀んでも不思議で、何讀んでも可笑しい。可笑しい可笑しいと思ふ内に、眞似事をしてみるかといふ気分になつたらしいが、正確ではないかも知れない。百閒先生の随筆が今でも再讀三讀に値するのは、それが百閒先生の藝だからで、わたし如きが眞似を目論むのは、樂器に触れたことのないひとがパガニーニを弾かうとするやうなものである。それくらゐはこちらも理解出來る。詰り眞似事云々ではなく、もつと浅い場所で影響されたと考へる方が實態に近い気がする。ではもちつと具体的にどんな影響だつたのだらう。といふことを考へるには、百閒随筆の特徴(と思はれるところ)を考へる必要がある。實は既に丸谷才一が、無意味を突き詰めて意味に転化させた藝、と絶讚してゐるから、両手をあげれば話は済みさうなものだが、本筋を衝きすぎた分、些か抽象的にも感じられる。福武文庫版の『百鬼園先生言行録』には[茗荷屋の足袋]といふ一文が収められてゐる。新しく買つてきた十文半の足袋を穿かうとしたら足にあはず苦心惨憺…“汗がぽたぽたと”したたるのに足に這入らない。一ばん太い鐵火箸で無理をしても這入らない…して、後日それが九文半の足袋と判つたといふ、それだけの話。曰くありげな美女も、勇敢な少年も、素晴らしい宝ものも、人生に役立つ教訓も何も出てこない。ただそれだけの話が併し微に入り細を穿つて描かれてゐる。書かずもがなと云ひたくなる緻密さで、俗に行間といふでせう。あれを残らず文字で埋め尽した感じがする。丸谷の云ふとほり、確かに無意味である。そしてどうやらわたしは、その無意味な緻密にいたく刺戟されたらしい。

 こんな風に云ふと百閒先生の熱心な愛讀者から巫山戯てはいけないと叱られるのは容易に想像出來る。またさう叱られたなら、こちらも御免なさいと頭を下げる外はない。尤も頭を下げつつ文學(とここは大きく云ふ)は伝統の模倣から始まるのですと、辞を低くするふりをして反論するのだらうなとも思ふ。間違つてはゐない自信はある。わたしの場合、その模倣が拙劣であるだけのことだ。