閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

314 娯樂といへども

 空腹はきらひだけれど、何を食べるかを考へるのは好きである。矛盾してゐる。どこが矛盾かといふと、何を食べるか考へるのが樂しいのは、お腹が減つてゐるからで、満腹の時に考へるだつて詰らなくはないが、どことなく計劃的な気分になる。お財布にとつて、その方が好もしいのは判るし認める。ここでは娯樂気分の話なんである。

 何を食べるか考へるのが娯樂になるのか知らと首を捻るひともをられるだらうか。これはもうはつきりなると云はなくてはならない。絢爛豪華な満漢全席やフルコースを思ひ浮べなくてもいい。思ひ浮べれば樂しいだらうと想像はつくとして、満漢全席もフルコースも縁がないから、具体的に思ひ浮ばない。湯麺と八宝菜と酢豚と青椒肉絲胡麻団子と杏仁豆腐、後は東坡肉が精一杯なのは我ながら少々情けない。たれかにご馳走してもらはなくちやあ。

 奢つてもらふのは吝かでないが、今のところ實現の見込みは(少)ないから、将來の夢想とする。

 何を食べるかと考へるのは矢張り、次の食事への具体的な期待である方が望ましい。それが袋入りの即席ラーメン…サッポロ一番にするか出前一丁チキンラーメンと考へるのだつて問題はない。或は帰り途の蕎麦屋か家の近所の定食か。作り置きの煮物を温めなほして饂飩を湯がくか、といふことを考へまた迷ふのは、空腹でないと實感が伴はない。併しその空腹感は厭なもので、どうしろと云ふのかと、たれかに文句をつけたくなる。けれど文句をつける先が見つかりはしないから、余計にいらいらする。

 惡循環である。

 それでは困る。

 どうにかしなくてはならない。

 そこで何を食べるかを考へるのは、空腹ではないにしても、満腹でもない時にしてゐる。どうです、中々名案ではあるまいか。出來るだけではあるし、空腹でも満腹でもない時間帯は、大体何かしらの用件…たとへば仕事があるから、胸を張るほど簡単でもないのだけれど、行く先のない文句を溜めるよりはましである。

 腹に溜めるなら旨いものの方が好もしい。

 更に云へば家で食べるより、どこで食べるか呑むかを考へる方がいい。外はお金も掛かるし足を運ぶ面倒もあるのだが、自炊だと手間暇を思つて、どうにも想像がみみつちくなつて仕舞ふ。

 浦賀屋に行かうか。壜麦酒ともつ煮。ハラミとレヴァを焼いてもらつて、お奨めのお酒は何があるか知ら。

 立ち呑みならぽこぱにだらうな。茄子のカレーと焼き餃子と鶏の天麩羅で、金魚を二はいか三杯呑まうか。

 或は久しぶりにクラウンで黒麦酒にフィッシュ・アンド・チップスとロースト・ビーフを平らげてから、山亭のポーク玉子をつまみに黒糖焼酎を呑むのもいい。

 もつと簡単に牛蒡家で焼酎ハイとポテトサラドとおでんで済ますのも惡くない。

 お店の名前は架空だから、そこは念を押すが、仕事でうんざりしてゐる最中に、かういふことを考へると、気分も多少はましになる。尤も月給日前の囊中さみしい日だと、空腹が理由ではない腹立たしさが増すのは請合ひだから、娯樂といへども、その辺りはお互ひに用心致しませう。