閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

318 Ig Nobel

 平成十七年の栄養學賞は、『三十四年間、自分の食事を写真に撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与へる影響を分析したこと』に対して、中松義郎に与へられた。平成十七年から遡つて三十四年前といへば昭和四十六年。そこから三百六十五日、規則正しい一日三食を續けたとして、三万七千二百三十食。一食一枚としても、三十六枚撮りのフヰルムに換算して千三十六本にもなる。大した量ですなあ。尤も受賞理由は、分析の手法や結果に触れてゐない。当り前と云へば当り前で、この栄養學賞はイグノーベル賞の話である。

 ここでちよつと解説。イグノーベル賞は平成三年に創設された、“人々を笑はせ、そして考へさせる業績”に対して贈られる賞。綴りはIg Nobelで、Igは否定的な意味を示す接頭辞。“下等、下品、見下げた”といふ意味のignobleも掛けた造語である。ノーベル賞を揶揄つてゐるのは指摘するまでもない。序でながら、平成十四年の“バウリンガル(平和賞)”から、同三十一年の“座位で行ふ大腸内視鏡検査―自ら試してわかつた教訓(医學教育賞)”まで毎年、日本人からは毎年受賞者が出てもゐる。

 ではその受賞は名誉なのかどうか。たとへば平成二十九年の物理學賞は、マルク=アントワン・ファルダンの『猫は容器の形状に合せて液体のやうに形を変へることについて』でそれは“固体とも液体ともつかない猫の振舞ひに注目し「流動体」として物理学的に分析した結果、老ひた猫の方が子猫より流動性が高いことが判明した”ことに与へられた。“老ひた猫の方が流動性が高い”と聞けば確かにははあと思ふし、馴染みの呑み屋で自慢したくもなるが、そこから先に進むかといへば、どうも怪しい。それとも笑ひはしたし、ははあとも思つたのだから、賞の目的は達せらたのかも知れない。名誉かどうかは兎も角、かういふ性格の賞だもの、食事の寫眞を撮り續けた行為を讚へるくらゐ、何でもなからう。

 寫眞があるかどうかは別として、池波正太郎も三年だか五年だかの連用日記に、朝晝晩の食事を克明に記録したといふ。夫人がその日の献立に迷つた時は、たちどころに去年はこれ、その前はかうだつたと示したさうで、便利だつたらうな。ただ池波は家人に見られることも意識してゐて、まづいものが出ると、これぢやあやる気も起らないなんて書きつけもしたといふから、便利の反面、腹立たしくもあつただらう。小説家の奥さんはたいへんだよ。別の某作家乃至學者(残念ながら名前を失念して仕舞つた)も矢張り、食事を記録してゐて、ある年に何をどれくらゐ食べたか、統計的な一覧(秋刀魚何尾とか蕎麦何枚とか)を作つたのを見た記憶がある。“脳の働きや体調”への影響は解らないが一年分の量なので、甚だガルガンチュワ的に感じられるのがいい。

 實はわたしも書いてゐる。手帖に、簡単に。余程うまかつたか、口に適はなかつたらそれも記すが、大体はまあ簡単に書くだけである。令和元年の時点で五年分以上は残つてゐる筈で、あと何年分かも記すことになるだらうが、それが好事家の役に立つかどうかは、こちらが死んでから好きにしてくれ玉へ。それでわたしのこの習慣は前述した池波の眞似である。影響されたかも知れないではなく、眞似をすると決めて真似た。胸を張ることではないよと云はれさうで、またその指摘は正しくもあるから、こちらは頭を下げませう。とは云へ眞似が駄目なわけではなし、すつかり習慣にもなつてゐる。

 そこでひとつ余談。司馬遼太郎が優れた小説家なのは云ふまでもないが、飲食の描寫だけは丸で駄目なひとだつた。『街道をゆく』で國内に限らず、モンゴルや中國、欧州にまで足を運んでゐるのに、土地の煮炊きもの、焼きものに揚げもの蒸しもの漬けもの、獸肉や魚介、野菜に果物を歓んだ気配すら感じられない(精々が國道沿ひの蕎麦屋かサービスエリアのとんかつ定食くらゐ)のは寧ろ奇観とするべきか。あの小説家が生涯に採つたであらう膨大なメモの中に、飲食の嬉しさや酒席の愉快はきつと、ただの一行も記されてゐないにちがひない。同年の池波正太郎(ふたりとも大正十二年生れ)と何が異なつたのだらう。余談終り。

 話を戻しますよ。

 文字でも寫眞でも、飲食を記録する理由は何だらう。中松のやうに“脳の働きや体調”への影響を調べたいからか。わたしはさうではない。池波のやうに細君へ献立の助言をする為か。残念ながらさうでもない。習慣に理由は無いものと居直つて、それでも習慣になる前の切つ掛けは何だつたのかとの疑問は残る。池波にあくがれた(随筆に限れば今讀むと、時に魯山人風の厭みを感じて、少々こまる)のは間違ひない。ただそれだとわたしがあくがれたのは、鬼の平藏でも秋山の老先生でも梅安さんでもないことになる。具合が惡い。それ以前に日記をつけてゐた時期があつた。日記といつたつて、毎日何か書けるわけではないのは、小學生を悩ます夏休みの絵日記帖と事情は変らない。そこに池波の随筆を讀んで、飛びついた可能性は十分に考へられる。変化に乏しいと感じられる日々であつても、朝は珈琲とトーストとうで玉子、晝はざる蕎麦、晩に罐麦酒、ご飯にお味噌汁に白菜漬けに塩鮭と、決つてゐるわけではない。珈琲が紅茶に、うで玉子がハムエッグスに、ざる蕎麦が天麩羅饂飩に、お味噌汁が豚汁に、白菜漬けがたくわんに、塩鮭が揚げ鶏に、或はもつと大きな変化(たとへば葡萄酒と牛肉とチーズ)があるかも知れず、大きくはなかつたとしても、三百六十五日、まつたく同じになる筈はない。同じになつたとしてもそれはそれで面白いぢやあないですか。

 と。ここまで書いて棚の奥に処分してゐない手帖や日記が見つかつた。残つてゐる一ばん古いのは平成十年だが、飲食の定期的な記録だと平成二十一年四月一日(水曜日)が遡れる限界である。当日の天候は“曇。小雨。夜に大雨”だつたらしい。朝は牛乳入り珈琲とソイジョイ。晝は仕出し弁当とある。事務所でお弁当を註文してゐたのだらう。おかずはハムカツ、カレー、オムレット、サラド等で、“カレーのルウだけを用意するのはアレ”ではないかと文句をつけてゐる。晩はカップ麺(サッポロ一番醤油味)に温泉卵。おにぎり(昆布と梅と鰹。どうやらセブンイレブンで買つたらしい)それからスパークリング・ポップの五百ミリリットル罐ださうで、手を抜くにしてもほどがある。帰宅が遅くなつたからか、大雨で面倒になつた所為かは、はつきりしない。併し前段で、“好事家の役に立つかどうかは、こちらが死んでから好きにしてくれ玉へ”とえらさうに書いたけれど、この程度の記述では、好事家諸氏の役に立つものかどうか。どうもこれでイグノーベル賞を狙ふには無理がある。