閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

319 正しいおにぎり

 コンヴィニエンス・ストアでは種々のおにぎりが賣られてゐて、それを眺めるのは密かな樂しみでもある。尤もわたしが買ふのは、ごくありきたりのおにぎりで、性分と云ふ外にない。ではそのありきたりは何かと訊かれるだらうか。

 梅干し。

 昆布の佃煮。

 おかか

 鮭。

 まあこんなところ。偶に高菜漬けなんぞの混ぜごはんや、おこはも買ふが、その程度であつて、保守的な態度か単に臆病なのかの判定は、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に委ねたい。その態度はどこに原因があるのだらう。などと疑問に思ふまでもなく、祖父母と同居だつた幼少時の経験である。祖母はどうも躰の丈夫ではない孫が可愛かつたらしい。一ぺんも叱られた記憶がないのだから、疑念はない。甘やかしではない無條件の愛情を注がれたのは、幼いわたしにとつて幸せであつた。

 少年丸太に祖母が作つてくれた食べもののひとつがおにぎりで、いや何か特別に豪華だつたわけではありません。小さな俵型に味つけ海苔を巻いたやつがお皿に数個。外には何だつたらう。お味噌汁や鰈の煮つけでなければ、玉子焼きくらゐではなかつたか。旨かつた。美食などといふ厭らしい言葉が入り込む余地のないうまさで、わたしの場合、おにぎりがその代表格になんである。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にもさういふ味、記憶をお持ちにちがひない。

 話をおにぎりに絞りませう。改めて云ふのも何だが、ごはんの器は深い。お茶碗ではありませんよ。その辺のコンヴィニエンス・ストアやマーケットで賣られてゐるお惣菜なら、殆どすべてがおかずになる。さう考へると、殆どすべてのおかずはおにぎりの種になると推察出來る。俵型または筒型或は三角に纏めるといふ條件が、たとへば卵かけごはんの“おにぎり化”(いや十年くらゐ前、一ぺん試した。ひどく食べにくかつた。麦とろめしのおにぎりは見たことがない)を阻んだりはするけれども、ささやかな例外には目を瞑つてもかまはないだらう。

 そんな風に考へを進めると、変り種のおにぎりが次々に出てくる理由も、オーソドックス乃至クラッシックな種、いや具と呼ぶ方がいいのか、そこは措くとして、そちらが堂々と生き残る理由も解つてくる。おにぎりはいはばベテランのプロレスラーである。若手の何とかのマヨネィーズ和へ撰手やかんとかの照焼き撰手が相手でも、ちやんと試合を組立てられる。梅干し撰手やおかか撰手との絡みなら、前座でもメインイベントでも、間違ひないといふ安心感がある。この安心感…安定感と云つてもいいのだが…は、ごはんを長年食べ續けてきた我らのご先祖が磨き上げた組合せだから成り立つので、詰り伝統の強さと云へる。

 ここでおにぎりは本來、家の外での簡便な食事であつたことを、我われは思ひ出したい。おにぎり史を遡る余裕は無いけれども、現代の我われにとつて身近な外食はお弁当の筈で、お弁当といへば矢張り驛弁であらう。さうでないひとだつてゐるのは認めるとして、わたしはさうなのだから仕方がない。そこで驛弁を遡ると、元祖は諸説紛々であつて、通説は明治十八年七月十六日、宇都宮驛前の旅館[白木屋]が賣り出したのを嚆矢としてゐる。梅干し入りのおにぎり二個(三角形。胡麻塩を振掛けてある)に二切れのたくわんを竹の皮に包んで金五銭也。日付がはつきりしてゐるのは、大宮から宇都宮まで鐵道が延伸された(上野宇都宮間の開通でもある)からである。[白木屋]旅館の主は斎藤嘉平といふひとださうで、中々抜け目の無い商ひですな。その五銭が今ではどれくらゐなのか、物価の比較は六づかしいから、見当はつかないけれど、兵隊相手の商賣を目論んだ気配が感じられる。所謂ぼつたくり値段ではなかつたらう。

 さて。かう書いてから理窟をすつ飛ばすと、この明治十八年は宇都宮の驛弁が、近代…訂正、コンビニおにぎりの原型ではなからうか。

 自分でにぎる。

 母親や妻ににぎつてもらふ。

 息子と娘ににぎつて持たす。

 要は家で用意するのがおにぎりの筈で、兵隊さんもまさか旅館のおやぢが用意した(まさか斎藤さんが直々ににぎつたわけでもなからうが)おにぎりに、財布から五銭を取り出すとは考へもしなかつただらう。我われが幼い頃、水やお茶がペットボトルで賣られる様子を想像しなかつたのと同じである。わたしが一ばん驚いたのはカルピスウォーター。これが原液と水の正しい割合ひなのかと教へられた気分だつたが、明治の兵隊さんも、宇都宮からの列車内で、これが正しいおにぎりなのかと考へたかも知れない。いやもしかすると、舌に馴染まない味を飲み下しながら、少年の頃に頬張つたおにぎりを懐かしんだだらうか。そのどちらだつたとしても気分は解る。コンヴィニエンス・ストアのおにぎりだつて、梅干しでも昆布でも決してまづくない。煮玉子だらうが照焼きだらうがソーセイジだらうが惡いとは云ひにくい(實を云ふと、安賣りの際に買ふこともある)併し当り前だけれど、記憶の彼方に残つてゐる祖母の小さな俵型に味つけ海苔のおにぎりには、矢張り及ばない。わたしにとつてはあれこそが、おにぎりの正しい姿であつた。きつともう何年か経てば、あちらでまた、土曜日の午后に頬張れるから、樂しみにしてゐるのだが、祖母からは慌てンでもええからねと、窘められるかも知れない。