閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

324 MZ‐5(ペンタックス)

 デジタル・カメラの惹句によくある、“タッチ・パネルで直感的な操作が可能”といふのは嘘…嘘が惡ければ誤魔化しである。画面をいちいち叩き、メニュ階層を下がるのが本当に合理的なら、フラグシップ機にダイヤルやレヴァが数多く配置される理由はどこにあるのか。

 被寫体までの適正な距離。

 適切な露光の為のシャッター速度と絞り値。

 カメラ操作の基本的な要件はこれだけで、信じられなければシート・フヰルムを使ふ大判カメラを見ればいい。

 解らなくはないが、極端でもあるなあ。

 と呟くひとでも、骨組みの部分は同意してもらへるのではないか。カメラ…ここでは一眼レフを指すのだが…の發展史は、この骨組みへの肉づけ史と考へて間違ひはなく、平成元年前後の数年間は、その肉づけが酷い状態になつてゐた。

 自動化と電子制禦。

 このふたつへの極端な偏りが原因で、αxi(ミノルタ)とZ(ペンタックス)が特に熱心であつた。ここでは後者に視点を絞りますよ。

 ペンタックス…旭光學社はZ以前から、カメラの自動化と電子化には力を注いでゐた。何しろM42ねぢマウント機にも、些か無理をして自動露光を組み込んだし、Kバヨネット・マウントに移行してからの機械制禦の一眼レフが、實はそんなに多くないことからも、熱中の具合が想像出來る。

 自動化と電子化は、技術の正しいあり方で、また使ひ方でもある。

 無邪気と云へば無邪気、時代と云へば時代。さう微笑んでも赦されるだらう。ただ一眼レフが成熟した時期に到つても、その考へ方で開發を續けたから、悲惨なことになつた。無闇に巨大な筐体には何とか目を瞑つたとしても、取扱説明書を持ち歩かないと使ひにくい操作系になつたのは、どうにも弁護が出來かねる。

 その反省だか反動、或は揺り戻しの結果がMZ‐5であつた。プラスチックの筐体は如何にも安つぽいし、特徴的なスタイルでもない。贔屓目に同社のMXを現代風に焼直した感じ…と云ふのは褒めすぎか。但し旧式機を模しただけあつて、操作は非常に判り易い。冒頭に挙げた基本の要件を知つてゐれば、取扱説明書を棄てても困らないだらう。

 勿論そこで、あれが出來ない、これも出來ないと不満は云へる。云へはするが、だから寫眞が撮れないわけではないし、そもそも、あれもこれもを使ふ機会がどれくらゐあるものか。“あれば便利ですよ”は“無くたつて別にかまはない”の裏返しだと、この地味な機種は證明してゐる。かういふカメラを今造るのは六づかしいのか知ら。