閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

344 出無精

 元來が出無精なので外に出ないで済むならその方がいいと思ふ。併し外に出ないままだと罐麦酒や煙草が無くなる。罐麦酒や煙草だけでなくお米も肉も魚も野菜も無くなる。それは困るから外に出る。今は何と云ふのか色々なあれこれを家まで運ぶサーヴィスがあるのはわたしだつて知つてゐる。知つてはゐるが使ひたくない。昔の出前みたいなものですよと云はれても昔の出前も使つたことがない。きらひかと訊かれたらきらひではないと応じるけれど、好きでもないのは確からしくてだから使ひたくないといふ結論になる。詰り出無精はその通りとして、但し断然外出はしたくないといふわけではなく、日に一ぺんくらゐは表に出るのでさう考へると三年寝太郎といふのは凄い。出無精界のチャンピオンでなくても挑戦者の資格は十分にある。

 とはいへわたしは出無精界のチャンピオンや撰手権のベスト・エイトを目指してゐるわけではない。大食ひ自慢が何十貫の鮨を平らげたとか聞くと凄いなあと思ふ。あれと同じで序でに凄いなあと思ひつつも頭の隅つこで莫迦だなあと呆れるのもまたさうである。莫迦げてゐるからいけないと云ふのが短慮なのは解る。何であれ突き詰めるのも娯しみではあつて、さういふ突き詰めを本の形にすると『ギネス・ブック』が出來上る。尤も眞似したい見習はうとは思はない。熱情の不足だと云はれてもこちらの勝手である。三年寝るのも百貫の早鮓も極端でこまる。敬シテ遠ザケ見物するに留めておかう。

 かう書くと丸太は如何にも中途半端な輩だと思はれさうだが確かにその指摘は正しい。なので出無精も中途半端であつて偶に外に出たくなる。この場合の外に出るは買物や散歩ではなくて遠くに行く…旅行の意味で、ただ旅行と云つても精々二泊くらゐしか思ひ浮ばない。十日でも一ヶ月でも思ふだけならただなのにそこまでの慾が広がらないのは、けちん坊なのもあるだらうが、矢張りどうも中途半端な性根が顔を出してゐるのだと思ふ。

 少々開きなほると遠くに行くといふのは必ずしも距離に比例するとは限らない。地図での遠さと気分の遠さはちがふもので、年に何べんか足を運ぶ青梅は遠いと感じないのに、銀座や渋谷や池袋は止む事を得ない事情が無ければ行かうとは思はないので、さういふ意味では随分と遠い場所なのだと云へる。どこかのたれかが、知らない町を歩きたい遠くに行きたいと唄つてゐて、その他はひどく感傷的だつたこと以外覚えてゐないが、わたしにとつては六本木も赤羽も知らない町で、気分としては矢張り遠い。遠いなら泊つていいと思ふかと訊かれれば頸を傾げるけれども。

 併し旅行の意味合ひで外に出るなら、地図の面でも多少の距離はある方がいい。地元から半時間か一時間、もうちつと離れてゐてもかまはない。と書くのはいいとして、では何を使つた半時間乃至一時間なのか。在來線の各驛停車と特別急行列車と新幹線では同じ一時間でも路線図上の距離が丸で異なる。在來や高速のバス、飛行機に船を含めると話はもつとややこしくなる。考へる分にお金は掛かりはしないが、ややこしいのは面倒なのでバスと飛行機と船は省かう。省けば簡単になるとも云ひにくいが、ましにはなる。

 在來線の電車と特別急行列車と新幹線でちがふのは同じ一時間で行ける距離だけでなく、費用も異なつてくる。挙げた順に高くなるので、高いのは困る。併し地図で遠い場所、わたしが住んでゐる東京からだと仙台や鶴岡、札幌、或は倉敷や米子や博多や鹿児島を目指すとしたら、どうしたつて特別急行列車と新幹線を使はざるを得ない。在來線を乗継いでも行けるけれど、さうなると目的の土地に辿り着くまでの間に一泊か二泊を挟むことになる。出無精の癖が顔を出せば途中で面倒を感じてたとへば庄内を目指して家を出ても新潟で踵を返すことにもなりかねない。新潟ならお酒も肴も旨からうからそこで引返してもかまはないとして、いつでもそんな風に具合よく進むとは限るまい。その都合はわたしの都合だから好きにし玉へと云はれると御説御尤とうなづく分に不平は無いが、わたしがどこかに出掛けるのはわたしの勝手なので優先されるべきはわたしの都合である。

 そこで切符代は節約する方針を立てる。片道二千円。かう決めると自動的に特別急行列車と新幹線は除外される。乗れないのではなく二千円で乗れる程度の距離なら在來線を使つても支障は出ないからで、支障の出ない距離に急行券を買ふのは勿体無いといふだけのことである。そこで簡単に調べると熱海千二百九十円、甲府千八百五十円、宇都宮千九百四十円と判つた。金額は少し超過するが水戸や沼津は二千二百七十円。いづれも新宿發の片道で急行券もグリーン席も使はない。乗継ぎも含めて二時間から三時間くらゐ掛る。時間の掛り方には疑義が呈せられるやも知れない。急行券でその時間を節約する方が賢明ではないか。親切な見立てだがそれは具体的に何処でどうしたいと希望がある時に勘案すれば宜しい。今はそこまで頭が働かないし二時間乃至三時間の乗車時間自体を娯しむのも一興か。

 ところで上に挙げた町或は驛は沼津を除いて泊つたことがある。泊つたからと云つてよく知つてゐるとは云へないけれど實績としてはさうなので自慢をしてゐるのではない。まただから今さら行きたくないと云ふのでなくただ今のところはその気になれない。沼津だつて未踏の地を理由に訪問したいとは思ひにくい。沼津をくさすのでなくこちらの気持ちの話であつて併し港町には何とも云へぬ魅力がある。早起きは苦手だしきらひでもあるが朝の漁港で呑みながら焼き魚をつまめたら愉快だらう。これは別の計劃に取つておくことにする。それに気がついたのだが切符代の片道二千円を上限まで遣ふ必要はなかつた。片道二千円が往復二千円になつて困りはしない。これだと秩父奥多摩辺が範囲に入る。どちらも山地なのが稍気になる。

 新宿から片道千円の港町なら小田原がある。正確には小田原からひと驛進んだ早川。二キロメートル程の距離だから時候に恵まれれば歩けなくもない。では仮に早川の漁港に行くとしてそこに何かしらの樂しみがあるのかといふ疑問がある。漁港でとんかつを食べる莫迦はゐない。ゐたとしても少数派にちがひないし文句を云ふ積りもない。蕎麦屋のカレーは旨いから漁港のとんかつだつてうまいかも知れませんぜと云はれたら、そこは認めていいとしても矢張り蕎麦屋に行つたら蕎麦を啜りたい。それと同じでわたしなら漁港に行けば魚を喰ひたい。鯛や比目魚の舞踊りに興味はないけれど鯵に鰯に鯖や鰤は大ご馳走である。定期的に朝市も催されてゐるさうだから早朝に起きねばならぬ條件をどうにかすればそれもまた樂しみになる。朝市で麦酒やお酒が賣られてゐるかは知らないが罐麦酒の一本や二本を鞄に忍ばせるくらゐ何と云ふこともない。規則違反ですよと叱られたら開けた分だけ飲み干せば済む。

 ここまではいいとして朝市または午前中から早川魚で一ぱい呑んだらそれからどうすればいいのか。早川から小田原を経由して新宿までは二時間余りだからそのまま帰宅しても帰宅が変な時間になることはない。片道千円を忘れて小田急ロマンスカーを奢ればもつと早く帰れもする。併し朝から呑んだ後に各驛停車だかロマンスカーだかに乗るのは面倒である。それに今考へてゐるのは一泊くらゐを伴ふ外出であつて、そんなら小田原に泊るのがよささうに思へる。小田原には具合のいいことに使ひ馴れたビジネスホテルが店ではなく建物を出してゐるから部屋が空いてゐれば文句はない。驛の周りに何があるのかよく判らないが蕎麦屋は一軒ある。観光地だから飯屋や居酒屋くらゐはあるだらう。仮に見当らなくたつて罐麦酒は驛で買へるし、驛前には蒲鉾屋が幾つか並んでゐたのを見た記憶があるから餓ゑる心配は無用である。蒲鉾がつまみになるのかどうか試したことが無い。鯵に鰯に鯖や鰤が酒席に歓ばしいのを思へば蒲鉾だつて似合ふだらう。蕎麦屋にだつて板わさといふのがある。それで安心したのはいいが、小田原なり早川なりをいつ訪れるのかはまつたく未定である。何しろ出無精だから仕方がない。