閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

347 石麻呂鰻

 大伴家持が友人を揶揄つて詠んだ戯れ歌

 

 石麻呂に 吾物申す 夏痩せに 良しといふものぞ 鰻取り食せ

 

 といふのがある。石麻呂の訓みはイハマロで、吉田連老(キツタノムラジオユ)の字。歌の方はごく簡単で、石麻呂さんよ、鰻は夏痩せに効くさうだからね、たんと食べなさいな、くらゐの意。石麻呂は随分と痩せたひとだつたさうだから、揶揄ひながら気にかけたのですな、要するに。

 その家持は八世紀…奈良時代のひと。詰りその頃から鰻は栄養のある食べものと認識されてゐたと判る。筒切りで串焼きにして食べたらしいが、どんな味つけだつたのか知ら。醤油や味噌の原形に相当するものは既にあつた。尤もそれらが調味料として確立してゐたかどうか。そこは判然としないし、少々怪しいかと思ふ。或は塩焼きだつたかも知れない。

 現代風の蒲焼きがほぼ出來たのは十八世紀に入つてらしい。それまでの味つけは酢や(山椒)味噌で、たれの完成(鰻を裂く技術も忘れてはならないか)にそれだけの時間が掛かつたことになる。家持の時代からざつと千年。気の長い話だなあ。

 

 すりやあまあ、鰻はうまいからね。

 と首肯きたくなるけれど、家持が石麻呂を揶揄つた戯れ歌はもう一首あつて

 

 痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな

 

 矢張り六づかしい歌ではない。痩せたまんまだつて、生きてゐるのが大切だからね、鰻を捕りに行つて、川に流されちやあ、いけないよ、程度の意味か。どちらの歌も夏痩せに鰻は効果的だぞとは詠つてはゐても、そこにあれは實に旨いものといふ響きは感じられない。萬葉歌人と友人にとつての鰻は精々、栄養剤程度だつたみたいだ。

 さう云へば焼いただけの鰻…所謂白焼きを食べたことがない。歴とした鰻屋での白焼きは、お刺身の代りださうで、山葵醤油で食べる。いい肴だと思ふが、醤油の大完成があつて成り立つ食べ方でもある。それ以前の酢味噌が駄目とは云はないにしても、味のいい滋養強壮剤くらゐの扱ひ…それでもぶつ切りの串刺しよりは遥かに旨かつただらうけれど…が精一杯だつたらうな。

 背を裂き、白焼きにして、更に蒸し、たれを塗りながらもう一度焼くといふ蒲焼きの手法を發明したのは江戸人で、天麩羅や早鮓と並ぶあの都市の功績と云つてもいい。とは云ふものの、何故そこまで膠泥したのか。鰻でなくても旨いものは色々とあつたのは間違ひないのに。

 そこで我われは江戸といふ町が、労働者の溢れる場所だつたことを思ひ出したい。かれらは烈しい労働で稼いだ日錢で飯を喰つてゐた。それなりに腕のある職人なら、日々の稼ぎに不自由はしなかつた…宵越しの錢を持たずに済む…といふから、見方次第では豊かで気樂な社会だつたとも思へてくる。その錢で何を喰ふか。京大坂風の洗練は好まれず

「あれあ、ちまちましてゐやがるし、水くさくつて、いけねえ」

さう文句を云つたらうなと想像するのは、さして六づかしくない。何しろかれらは文字通りに汗水を垂らして働くのだから、その躰が塩分を求めるのは尤もだし、素早く摂れる栄養価の高い食べものの需要があつたのもまた然り。畿内人は屡々江戸風の濃い味を嗤ふけれど、それは理に叶つた慾求だつたし、その濃い味つけを京大坂と異なる方向で洗練させ續けた(蕎麦つゆを併せて思ひ出したい)のが江戸の三百年であつた。

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 さてそこで気になつてくるのは、肝を食べ出したのはいつ頃からだらうといふ点で、この場合の肝は、肝臓ではなく、内臓全般を指す。鰻そのものは文字以前の時代…ざつと五千年前の遺跡から骨が出土してゐる…から食べられてゐたが、肝食については曖昧で、文献も口を噤んでゐる。魚(の内臓)を塩漬け醗酵さして食べるの(元は保存目的だらうが)は古い手法で、烏賊の塩辛や鮒鮨を頭に浮べれいい。だから鰻の肝がそこから外れるとは考へにくいが、さういふ話を讀んだ記憶が無い。鮒や烏賊に較べて鰻の地位は低かつたのだらうか。さうすると、鰻の肝まで舌…食慾が伸びたのは、矢張り江戸期に入つてからと考へるのが妥当かと思へてくる。ただ苦心の發明譚があつたわけではなからう。きつと蒲焼きのたれを作るのに、鰻の頭や骨を使ひ出した頃

「臓物を棄てるのは、勿体ねえな」

と考へた賢い鰻屋がゐたのだらう。暖簾をしまつた後、佃煮で晩酌を樂しんでゐた時に、ひよいと思ひついたと想像出來るし、もつと単純に何気なく(でなければ手元不如意の職人にねだられて)焼いてみたら旨かつたのかも知れない。或は棄てる臓物を譲つてもらつた佃煮屋(さういふ調理の専門ですからな)の發明だつたらうか。發句仲間の鰻屋と佃煮屋が一緒に工夫したのだつたら面白いが、勝手な想像に過ぎない。まあ實のところはどうであつても、鰻の肝は旨い。鰻の栄養と滋養強壮はこの部分に凝縮してゐるのではないかと思へるからで、それは鰻の肉に対して肝の分量が少ないといふ単純な事情による。但しその肝に味があるものかどうかはよく判らない。ねちりとした歯触り舌触りは確かに好もしいが、それらを彩るのはたれの甘辛さと山椒の香りであつて、たとへば串焼きの肝を食みながら

「旨いものだね」

と呟いたところで、それが肝を褒めたことになるのかは些か怪しい。家持だつて石麻呂さんに、肝も取り食せとは云ひにくかつただらう。