閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

350 ティオ・ペペが呑みたくなる

 偶にティオ・ペペが呑みたくなることかある。シェリーの一種。酒精強化ワインなどと分類されるさうで、確かにさうではあるが、無愛想でまづさうな呼称でもある。酒屋に入つてシェリーがマデラと一緒に酒精強化ワインの棚に並んであつたら踵を返すだらうな、きつと。

 白で辛口。

 一般的にはアペリティフらしく、檀一雄英國で某氏夫妻を夕食に誘つた際

 「何にしますか?檀さん」

 「やっぱり、鮭の温燻と、ローストビーフです」

 「いいえ、アッペルチーフ?」

 「シェリーが有難いですが…」

招待した積りが招待されてゐたと気がつくくだりがある。その某氏が云ふアッペルチーフが詰りアペリティフ、食前酒と理解していいでせう。

 尤もわたしはシェリーからスモークト・サモンにロースト・ビーフなんて英國紳士的な食事には縁が無い。散々呑んでから、食後酒…ディジェスティフにティオ・ペペを呑む。ソーダで割つてもらふことが大半だから、生眞面目なシェリー愛好家からは厭な顔をされさうだが、これはこれで旨いのだから仕方がない。

 吉田健一が教へて呉れるところに拠ると、ティオ・ペペ…シェリーの醉ひはお酒に近いさうで、観世栄夫がものした一文を見ると、東海道線の寝台特別急行列車に乗り込んで

 列車が、ガタンと発車するのをシオに吉田先生が「河上さん、シェリーは」と言ってさされると、そこから、酒宴が始まる。

と書いてある。注のやうに云ふと、“河上さん”は河上徹太郎のこと。吉田より十年年長の批評家で、よほどうまが合つたのか、金沢や新潟、酒田へ共に足を運んでゐる。

 この場合のシェリーは鮭の温燻のアペリティフといふより乾盃の為であつて、内田百閒が阿房列車に持ち込んだお燗酒入りの魔法壜に近い。きつと驛辨の何とも云へぬおかず…鰤の照焼き、小芋の煮ころがし、昆布の佃煮…や、横濱辺で買つた焼賣なぞがつまみになつたのだらう。

 かういふシェリーの呑み方は試したことがなくて、さうするには列車内で三時間くらゐは必要ではないかと思へる。それが無駄遣ひといふならスモークト・サモンを待ちながら呑むのも、バーでディジェスティフ代りに呑むソーダ割りも無駄遣ひであつて、そんな莫迦げた理窟があるとはとても思へない。寝台列車は今すぐ乗れるものではないが、ティオ・ペペを呑みに出掛けるのは六づかしくない。そこで無駄かどうか、試しに行く。