閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

357 秋の聲の連想

 秋の聲が微かに聞こえてくると、沖縄の食べものが恋しくなる。琉球料理ではなく、大雑把に米國の占領期を経た後に成り立つた沖縄めし。十余年前の十一月から翌年の二月にかけて、沖縄県にゐたからで、あの土地の夏にうらみがあるわけではない。お金を貯めて遊びに行つたのでなく、仕事だつたのは無念と云ふ外に無いが、仕事でもなければ今に到るまであすこには行かなかつたと思へば、無念は云ひ過ぎかも知れない。

 仕事だからと云つてさういふ準備に気を取られはせず、その話を受けた時に決めたのは、出來るだけあつちのお酒と食べものを満喫し、煙草を喫はうといふことだけだつた。そのくせ下調べも何もしなかつた。暢気を通り過ぎて怠慢である。

 那覇空港に降りたのは(ひどく暑かつた)午后のやや遅めの時間帯だつたと記憶してゐて、最初に食べたのは空港内の食堂での、沖縄そばとじゆーしー(鹿尾菜の炊き込みごはんと考へて間違ひない)の定食だつた。空港の食堂だから、伝統ある名店の味には程遠かつた筈なのに、えらく旨いものだと思つた。こーれーぐすといふ辛い液体…後日、泡盛に唐辛子を漬け込んだものだと知つた…が、沖縄そばと非常によくあつて、沖縄だなあと思つた。その夜にオリオン・ビールと泡盛(“菊之露”だつたと思ふ)を呑んだ。どちらも初めてだつたが、どちらも旨いと思つた。

 沖縄市の知花といふ地域が仮住ひになつた。駐車場があつたから、車を借りる手もあつたが、こちらは呑む。だから車は諦めて自転車を買つた。十分とか十五分とか走らせると、マーケットやちよつとした一膳飯屋があつた。マーケットで買ふのはオリオン・ビールと泡盛で、泡盛の銘柄なんて知らないから、四合壜を手当り次第に買つて呑んだら、“残波”が呑み易いと判つた。或る日、賣場の別の場所にカップ泡盛を見つけたから、試してみたが、あんまり旨いとは思はなかつた。その時にはもう、濃い目で割る癖が滲みてゐたからだと思ふ。惡いことをした。

 一膳飯屋ではポーク玉子定食が旨いと思つた。ポークは豚肉そのものではなく、ポーク・ランチョン・ミートの略で塩漬けの罐詰を指す。これを厚めの小判大に切つて焼き、同じくらゐの大きさの玉子焼きと一緒に、ハインツのケチャップを添へる。当時で五百円から六百円の間だつたか。オリオン・ビールの中壜を奢つて千円になるかどうかだつたのは確かで、色々な事情を含んでの値段だつたのだらうが、旨くて廉だつたから、食べる側としては単に有り難かつた。

 この辺で感心しなかつた食べものを挙げると第一にラーメンで、お店が惡かつたとも考へられるものの、積極的にまづいと思へたのだから、まづかつたのだらう。併し積極的にまづく感じる食べものに出合ふのは当時でも珍しい体験だつた。もうひとつ感心しなかつたのは早鮓で、どうしても食べたくなつたから(炒める揚げる焼く煮るで胃袋が疲労した所為か)、現地のひとに頼んで連れて行つてもらつたが、旨いとは思へなかつた。何せ生魚を料るのは、沖縄式でないのだもの。仕方がない。ラーメンだつて琉球料理でないのは勿論、沖縄料理でもないのだから、こなれてゐなくてもやむ事を得ない。

 矢張り旨かつたものの話がいい。ぐるくんといふ魚の唐揚げ。おでんの具だつたていびちー。みみがーの味噌和へ。ハンバーガー(ルートビアを頼む勇気は持てなかつた)にタコライス、大量の野菜炒めで仕立てた味噌汁(宿醉ひに好適だつた)横には大体の場合、オリオン・ビールか泡盛があつて、バイオレットかうるまかハイトーン(いづれも当時あつた煙草)があつて、土地の食べものと酒精と煙草の組合せの歓びが形になつてゐた。

 それで最後に書くのは苦瓜…ごーやーであつて、ちやんぷるーと呼ばれるごちや混ぜの炒めものには必ず入つてゐる。素麺や車麩、島豆腐(おそろしく堅い)、茄子に玉葱や人参やもやし、ポークで炒め上げられた苦瓜はまつたく美味い。東京でも沖縄料理を喰はして呉れるお店には必ずちやんぷるーがあつて、併し沖縄市の一膳飯屋で喰つたちやんぷるーにはどこか及ばない。苦さの厚みといふか複雑さといふか、さういふのが違つてゐると思へる。育つ地域のちがひなのか、東京風の洗練された調理法でそれが打ち消されるのか…東京で感心したのはパプリカと一緒にピックルスにした苦瓜で、偶に置いてある“菊之露”とよく似合つた…何とも云へない。さういふ経験をしたのが年末から年始にかけての沖縄だつたので、秋の聲を遠くに聞くとあの土地が恋しくなる。さう云へば讀谷に旨い呑み屋があつたと記憶してゐるが、あの店は今もあるのか。